なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(37)

 今日は、紅葉坂教会時代の方が召されて葬儀式が紅葉坂教会であり、連れ合いと出席しました。葬儀後に2番目の息子を会う予定だったので、普段着で教会に行き、礼服に着替えるつもりで準備したつもりでしたが、いざ着替えようとして開けたらワイシャツが入っていませんでした。15分前に到着していましたので、あわてて野毛商店街まで走り、新しいワイシャツを買って、タクシーの中でワイシャツに着替え、礼服を着て、最初の讃美歌が半分ほど歌い終わっていましたが、何とか葬儀式に出ることができました。葬儀式後、出棺を見送り、紅葉坂の人たちと挨拶を交わし、普段着に着替えて、教会を後にしました。とんだ失敗でした。これから段々このようなことが多くなるのではないかと思っています。いよいよになりましたら、白いワイシャツを買いに走らず、普段着の柄模様のスポーツシャツに黒いネクタイをして、その上に礼服を着て葬儀式に出ればと思ったりしています。連れ合いが一緒の時は無理でしょうが。
 さて今日は、「父北村雨垂とその作品(37)を掲載します。
 
 
 父北村雨垂とその作品(37)
 
十四年度(1939年度)
 
春近づけリこの神經衰弱め
人は花粉家は雌蕊に似たるあり
 
同情を超へた言葉で別れたり
 
いつくしむいのちに今日は泣きながら
 
神童に非情刻々と迫り
 
わがものに遠きこころで子に在りし
矛盾ありいのちといへるものを生む
饒舌と無智のふたつが残りけり
泣くことのひとあしさきに涙でる
これで食ふそんなはかない知惠で食う
 
人格を描きつづけて学者死す
 
子の意志の行くところ地を鎮めたり
木挽住む時刻 ( とき )の自然に流るるよ
 
(父は、「十五年から十七年の三ヶ年の作品が一句もない事は一寸考えられない」と記していました。)
 
 
十八年度(1943年度)
 
知らぬまに汗かいてゐた命の仕業
日日に強く捉えがたくも命を信ず
建つためのいとしき命ここにあり
靜かなる土のいのちを母と呼ぶなり
闇に残る音がいのちの抵抗が
音もなく萩が光って動く夜
食うことの話のはてを笑ひけり
油断するなとこほろぎが起きてゐる
あまだれは縦にこほろぎは横に
一発の弾丸となる吾の待たるる日
吾が死なば骨よ祖国の棚となれ
 
拡がれ空よふくらめ大気学徒が征くぞ
学徒征く純眞天に木霊せる
魂きらら陽を跳ねかへし学徒征く
清冽な歴史に学徒征く粛々
父よりも歴史するどき子ぞ愉し
解けぬいのちときに伽藍も創りける
成る明日を描き生命が薯を掘る