なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(35)

 以下【黙想と祈りの夕べ通信(35、復刻版?)】の中に出てきますH姉は10年前くらいになりますか、名古屋で最後はホスピスでの生活の後天に召されました。自分の病気を受け入れ、周りの方々に感謝しながら、最後まで明るく人生の旅路を過ごされました。H姉が召されてから、紅葉坂教会に横浜にいるH兄の弟夫妻が礼拝に出席するようになり、二人とも洗礼を受けました。そのH兄の弟さんも既に召されています。H兄は85歳になりますが、今も元気で私に時々文書を送ってきます。7月末には、東京に用事がありこちらに出てきました。用事を済ませた後、船越教会の礼拝にも出席してくれ、しばらく懇談して別れました。イエスに連なる友の存在は私の信仰生活にとって大きな支えの一つでもあり、感謝しています。
 
黙想と祈りの夕べ
   (通信 35 2000・ 5・28発行)
 
前回の「分かち合い」では、一人の姉妹が自分が関わっている年2回の古着を集める日の出来事について報告してくれました。その日は雨で、どのくらい集まるか心配だった。昨年は集まった古着は2トン車で運ばれたが、今年は雨にも拘らず、4トン車でも一度では運びきれない程集まった。この労働奉仕は今の自分の体にはきついが、古着を使ってもらえる上に、みんなの笑顔が忘れられない。その日の午後には、白楽にあるリサイクルセンタ-でぞうり作りに行った。ぞうり作りを教えてもらい、つくる喜びを感じることができた。こんな日常の小さな喜びを感じて、生活できることを感謝していると。
 私は、たまたまその日の礼拝にH姉という名古屋時代の教会の方がいらっしゃいましたが、そのH姉のお連れ合いのことについて話しました。今でも私にH兄は、自分が今所属している教会の成人科で受けた質問に聖書からの解答を自分で書いたものを送ってくれます。ちなみにどういうものかと言えば、こんなテ-マを扱っています。「夫ヨセフ・誕生物語・処女降誕」「終末・復活・永生」「老いについて」「聖書と歴史」「恐れと安心」「知識と命」などです。H兄は、現代社会に生活する私たちが抱えている問題や疑問に聖書はどう答えているのかということを自分なりに追究して行こうと努めています。そのH兄の姿勢に私はいつも共感しています。一人の信徒として、聖書を今の自分の生活の中で読み、聖書から自分の進むべき道を模索して行こうという姿勢は大切です。そういう一人一人の生活の中での聖書との取り組みに仕えることに、牧師としての私の務めの一つあると言えるでしょう。
 また、一人の兄弟が、個人的なことになるがと断って、体調を崩した自分の父親のことを話しました。その父親にイエスがいつも寄り添っていると信じたいと。
 その日「黙想と祈りの夕べ」に出席した者は、同じ思いで彼の父親のことを覚えて祈りました。
 また、一人の姉妹は、「通信34号」にあった私たちの無意識に中にある「排除の構造」に触れて、その日「紅葉坂教会は貧しい者や体の弱い人を差別する」という抗議の電話を繰り返しかけてくるFさんから2度電話を受けたことを話しました。電話を受けて、Fさんの話を聞いている時は、正直な気持ちとして迷惑に思ってしまいますが、電話が終わって冷静になると、彼の「存在の大切さ」に気づかされる。どんな人も欠けがえのない人だということを、彼から教えられていると思うと。
 また、もう一人の兄弟は、テレビで瀬戸内寂聴さんに沢山の人が相談にくる番組を見て、霊場巡りについて考えさせられたということを話しました。婚約が決まっていた26歳の娘を交通事故で亡くした母親が、娘の死を認
めようとしない。瀬戸内さんは、その両親に四国の四十八ケ所巡りをしなさいと勧め、娘さんは仏となってあなたの内に入っていると言われた。母親は霊場巡りをして行く中で、心が和らいで行く。キリスト教の中にもこれと似たことがるのではないか。自分はルカ福音書24章のエマオのキリストの記事が好きだ。弟子たちと共に旅しているキリスト。神が共にいるという信仰は大切だと思うと。 前回の「分かち合い」では、以上のようにそれぞれの思いが語られました。参加者はそれを聞くのですが、聞くことを通して他者の思いや痛みを受けとめて、自分自身の中に生まれている他者との交流を経験しているように思います。