なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

送られてきた「裁判支援」のチラシと父北村雨垂とその作品(72)

 昨日の日曜日船越から鶴巻に帰ってメールを開けましたら、山梨のCさんが山梨の2・11集会で私の裁判支援のチラシを配ってくださったということを知らせて下さいました。そのチラシや2・11集会の資料も添付してくださいました(この集会の講師は土肥信雄さんです)。チラシには「日本基督教団 免職牧師 北村慈郎さんの 地位と名誉の回復を求める裁判 応援ください」と表題があり、その下にこの私のブログで裁判に関して書いている文章が二つ、〈北村慈郎さんのブログ日記から抜粋〉という形で転記されていました。こういう形で私の裁判のことを多くの方に知らせてもらえることは、大変うれしことです。わざわざ山梨の2・11集会主催者にかけあって、その日の資料の中に入れていただいたということです。以下送ってくれましたチラシを添付しておきます(表題の字は大きめ、私のブログからの抜粋は二つとも点線の囲みがあります)。

        日本基督教団
          免職牧師 北村慈郎さんの
        地位と名誉の回復を求める裁判 応援してください

<北村慈郎さんのブログ日記から抜粋>

私はこの裁判を通して、私の戒規免職処分が手続き上一宗教団体内における懲戒権の乱用に当たることを明らかにしていくとともに、同時に一宗教団体における人格権や名誉権の侵害に焦点を当てて闘っていきたいと思っています。日本社会には宗教団体だけでなく、労働組合、様々な団体があり、また政治的なセクトや党派もあります。そのような集団の中で行われていることが、憲法で保障されている基本的人権の尊重に立っているかどうかという検証の展開にこの私の裁判が繋がることを願い、今回の私の日本基督教団における戒規免職処分のように、公平で真摯な議論を全くすることなく、多数の横暴をもって教団から私を排除するようなことがあってはならないことを教団内外に訴えていきたいと思っています。

 どうぞ日本基督教団内の方々はもちろん、一般社会の方々にもこの私の裁判に関心を持っていただけるように皆さんの友人、知人に働きかけて下さいますように、よろしくお願いいたします。


先日渋谷オーディトリウムに「“私”を生きる」を観に行きましたが、その時映画が終わって監督と映画の出演者の一人である以前三鷹高校の校長をされていた 土肥信雄さんのトークがありました。その時も1月30日に東京地裁で土肥信雄さんの裁判の判決が出ることになっていると伺っていました。土肥信雄さんの裁 判は、東京都教育委員会を訴えて「学校における言論の自由」の不当な介入と、「非常勤教員不合格処分」対する損害賠償請求として2年半の裁判が行われてきました。
昨年10月だったと思いますが、土肥裁判の傍聴に行ったことがあります。その時の裁判長が転勤になり、別の裁判長に代わるので、結審が少し遅れるということを聞いていました。その裁判後の報告会でも、審理が終わり結審する段階になって裁判長が代わるということに対して、一抹の危惧が表明されていましたが、実際にそのようになってしまったようです。東京地裁民事19部古久保正人裁判長は、本日「原告・土肥信雄の請求を棄却する」とする、土肥さんとその支援者には信じられない不当判決が下されました。土肥さんは、最低でも、これだけ生徒や保護者の信頼を得ている自分が、「非常勤教員不合格」にされたことについては勝てるに違いないと思っていたようです。しかし、判決は、土肥さんの請求をすべて棄却し、被告である都(教育委員会)の主張だけを全面的に受け入れたものだったようです。 それどころか、その被告・都(教育委員会)の主張を補完し上回る認定をするという、常識では考えられない最悪の判決内容だったようです(以上「土肥裁判 ニュースから」)。土肥さんは当然控訴するでしょう。
 土肥裁判の東京地裁の判決を知って、東京都と日本基督教団とは違いますが、私の裁判もあらゆる可能性を予測しながら取り組んでいかなければならないと、強く思わされました。

 さて今日は「父北村雨垂とその作品(72)」を掲載します。

               父北村雨垂とその作品(72)

   対流 補遺(脱落から)

 労わって呉れた涙も 枕に来たか

 蛇の尾も消えて ゆっくり 朝の窓

 清烈な 言葉の丘に 北風(きた)の 天

 カトレヤと 薫(かほ)る バラ迄みた 氷雨

 神があって 踊る化石の ペンが 在(あ)った

 灰色の 泡沫(あわ)の 彼女等は 海に 沈む

 白鷺(さぎ)の とまどい勝ちに 黄昏(たそが)れて

 同情と羞痴(しゅうち)に 靜い血を ニーチェ

 赤ん坊も 母も みどりに 陽を浴びて

 かたくなに歌う 椿は 原色なり と

 欠伸する 鷲と蛇とに 桜 散る

 春は 銀の 雑木林の シンホニー

 滝壷も 智惠も 乱舞に 舌を吐く

 からかさの 思想を見たか 錦鯉(にしきこい)

 ソクラテスの虱も裸足(はだし) 銀座の朝

 まっすぐに 笑えぬ人(ひと)を 持ち歩るき

 天台と識て 咲いたか 蕗の薹(とう)

 神よ 一億分(なが)の(い)一(き)の 素粒子が 出たそうな

 淵の風を わらう楞(りょう)厳(が)だ 陽も 石も

 亀 孵る 歩るく 沖には 何が 在る

 ころころところがる 夜 が 銀座に 在る

 天を見て 地を見て 正午(ヒル)だ 招(まね)虫(むし) も

 沖を 歩るく 女は胸に クローバ を

 幻影の人 追う 夜が二時を打つ

 乞食を あひると 山羊は 流し目に

 孤獨(ひとり) 泣く 渚か 月か 白きかな

 天才の血は 靜かった 「神」 創(うま)る

 萬葉の 婦(おんな)を 舌に 釣瓶(つるべ) にて

 心臓を さざなみに 風 茫呼たり