なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(94)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(94、復刻版)」を掲載します。

 下記に出て来ますI兄は、3月10日のブログに書きました、9日に紅葉坂教会で葬儀式がありましたI姉の息子です。I君は東工大出身で、八木誠一さんが東工大の教授をされていたころ、彼も東工大に在学していて、ちょうどその頃私は紅葉坂教会の伝道師をしていていましたので、I君は八木誠一さんの確か東工大の紀要か何かに書いた論文のコピーをわざわざ私にくれたことがありました。また、紅葉坂教会の青年会の飲み会などでの彼のかくし芸は、決まって「ぎんぎんギラギラ夕日が沈む・・・」という歌をオーバーな振り付けで歌うことでした。1974年の4月に私は紅葉坂教会の伝道師になりましたが、その当時70年問題の影響もあり教会から青年は殆ど去っていて、教会に残っていたのは主任牧師の息子とその友人数名くらいでした。私は伝道師として4階建ての教会の建物の一階部分にありました6畳二部屋に教会の台所を兼用して小さな子供3人と妻の5人家族で住んでいました。牧師夫妻と二番目の息子は同じ建物の4階部分にある牧師館に住んでいました。その牧師の息子が酒好きで、毎晩私たちのところに来ては酒を飲んでいきました。するとそこに青年たちが集まるようになり、私の伝道師在任3年間で相当多くの青年たちが教会に来るようになっていました。その中の一人がI君でした。
  
           黙想と祈りの夕べ(通信 94[-42] 2001・7・15発行)

 本年1月28日発行のこの「通信」癸沓阿暴颪ました癌の治療で入院していました「50歳になろうとしている兄弟」は、I兄でした。3日の早朝に逝去されたことをお母さんの連絡で知りました。彼は大学卒業後は鹿島コンビナ-トの三菱油化に勤め、結婚をし、鹿島が彼と家族の居住地となりました。3年ほど前の教会だよりに、彼の「近況報告」が載っています。それによりますと、会社に勤めてからずっと、「朝早く、夜遅い生活が続き、休日は一週間分の寝貯めと称して死んだように寝る」日々だったようです。昨年夏頃から体調を崩し、検査の結果は肺癌で相当進行している状態だったようです。出来るかぎりの治療をしましたが、癌の進行を食い止めることはできませんでした。5月末から自宅療養を続けていましたが、7月2日急変し、救急車で近くの病院に入院しましたが、翌3日早朝に召されました。私は、鹿島で行なわれました彼の葬儀の司式を引き受けて、4日、5日と鹿島に行ってきました。葬儀には、彼の遺族、近親の方々の他には、殆ど会社関係の方々が出席しました。お聞きするところでは、前夜式、葬儀式合わせて、500名近かったということでした。生前の彼の仕事上の人間関係が推し量れました。私の知らなかった彼の一面でした。彼には二人の女の子がいます。彼の妻であるお母さんと死んでしまった父を前にして抱き合って声を出して泣いていました。悲しみを体いっぱいで表現している息子の家族の側で、悲しみを噛み殺すようにしてじっと静かに耐えておられる彼の母のSさんが、私の目にとまりました。私は、ふと、妻や子どもたちの表に出る悲しみとは違う母の静かな悲しみを想像していました。I兄の遺された家族の方々の上に、そして母である姉妹の上に、天来の慰めを祈ります。

 上記の私の発言に続いて、一人の姉妹が、頻繁に「私は幸せになれるでしょうか」と電話が来る女性への対応から、そのような電話を受けとめる難しさについて話しました。最初は真剣に聞いて対応していた。けれども、最近は毎日、朝だったり昼だったり、10回位かかってくることがある。何を言っても通じず、繰り返し同じ問いで電話をかけてくる女性に、いらつく自分を感じてしまう。いたずら電話ではないのか、と考える自分がある。早朝に何度も繰り返し電話があると、その日は完全に寝不足になり、ボ-としてしまいます。留守電話にしたらとも思うが、それは違うのではないかと思う。無限大に聞くことではないか。でも寝不足になったら困るので、断ってもいいのではないか。彼女の電話の対応に、揺れ動く自分を見ていると、人間って弱い。徹底的に人に自分の時間を明け渡すことはできないものだと思う。そのような自分の弱さも自覚するし、彼女の寂しさや不安も分かるので、どうしたらよいのか難しい。自分を見直し、立直しながらが、対応して行きたい。そして、彼女がこのような電話をかけなくてよくなるように祈っていきたいと思うと。

 また、一人の姉妹は、1日の朝6時過ぎに伊勢志摩と伊勢神宮に旅行に行った。顔見知りの人たちとのバス旅行であった。きれいな五十鈴川が印象的であった。同じ部屋の人とも気持ちが通じ、部屋からの景色も素晴らしかった。この旅行のように穏やかで楽しくみんなと交わることができるように、これからも心がけたいと思う。それにはもっともっと祈る時を持ちたいと思う。旅行から帰ったら、モザンビ-クに出張している息子から、自分を気遣う電話が入った。今日の婦人会の修養会もよい会であったと。