なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

吉本隆明の死と「黙想と祈りの夕べ通信(94、復刻版)」

 吉本隆明の死

 昨夜寿地区活動委員会の場で吉本隆明が87歳で召されたことを知りました。最近吉本の本で読んだのは、15歳の子どもたちへの語らいをまとめた小さな本です。『ひとり』という題だったと思います。15歳の子どもたちにも真正面から心をこめて話している吉本の姿が伝わってきて、この人は相手が誰でも真正面から向かい合う人だと、改めて思わされました。物事に取り組む姿勢はほとんどぶれることがなく、箱舟事件の時もオーム真理教のときも、常識的な見方とは違って、事柄の本質を見抜いていたように思われます。反核異論にしても反原発批判にしても、反核や反原発の論理の中にある問題を封じないで表現者として言い表す人でした。反核の時には、その頃の反核運動ソ連への批判を欠いてアメリカ側にだけ向けられていることへの批判でした。反核というならアメリカもソ連も含めて言わなければならないと。そうでないと反核運動イデオロギーによって利用されることになるというのでしょう。私にはよくわかりませんが、吉本はこの反核運動の背後に政治的な意思が働いていることを見抜いていたのではないかと思います。また、昨今の反原発に対しても、歴史への現実認識からくると思われますが、科学技術の発達は逆戻りできないという吉本の信念ともいえる考えから批判しているのではないかと思われます。科学技術についての上記の吉本の考えを以前に著書で読んでいましたので、最近の反原発にも吉本はある距離をもって見ているのではないかと思っていました。
 吉本の死によって、これで戦中派の時代は完全に終わったのではないでしょうか。

 さて今日は「黙想と祈りの夕べ通信(94、復刻版)」を掲載します。 

           黙想と祈りの夕べ(通信 95[-43] 2001・7・22発行)

 先日召された0さんはお連れ合いと共に戦前奉天組合教会で伝道師をしていた私の父を知っていて、当教会にお二人が転入して来られた時に、そのことをお話しましたら、さっそくアルバムを持って来て、父が映っている写真を見せてくださったことがあります。その他には、日曜日の朝「おはようございます」という挨拶くらいしか声をかけたことはありませんでした。0さんからは2回声をかけられたことがあります。一度は、「奥様はいつもお元気そうですね」。もう一度は、教会の前の草花を手入れしていたときに、ご夫妻がいらして、お連れ合いに自分でおっしゃいとよ言われて、0さんが私に「奥様がお花を育てているんですか」と、声をかけて来られました。この2回だけだが、自分はその声かけの中に牧師の妻の健康を気遣い、見守っている視線を感じました。0さんの働きと生活の場は、主に山口と四国の新居浜でした。それぞれのところでも教会生活を続けておられました。眼科の医者として日曜日の朝も病棟を回ってから、礼拝に行らしたと言います。Oさんが出席した宇部教会、新居浜梅香教会にとっては力強い方ではなかったかと思います。紅葉坂教会での教会生活は、0さんにとっては晩年に当たり、Oさんの人となりや働きについては、召されてからはじめた分かることが多くありました。隠れキリシタンの研究をしていたということも、その一つです。紅葉坂教会で葬儀が行われたので、0さんの生前の働きについては余り触れないで、淡々とした葬儀になったが、それもまた導きなのかと思わされました。寄せられた弔電も多く、遠くから葬儀にいらした方もありました。教会の歴史はそういう人たちの黙々とした歩みによって形づくられてきたのではないかと思います。自分たちも若い人たちを見守る立場になっているが、まだまだ見守ってもらっているように感じてしまうところがあります。長い夫婦生活の末に、一方が召された時に、残された者がどんなにつらく寂しいことかと思います。想像を絶する寂しさがあるのではないでしょうか。そういう方がこの教会には何人かいらっしゃるが、許されるならば支え合うことができればと願います。神の導きを祈り、信仰の先輩の方々が、本当に良い終わりの時を迎えられればと願っています。

 「分かち合い」では、一人の姉妹がOさんの召天から、以上のような発言をしてくれました。続いてもう一人の姉妹から以下のような発言がありました。
 今日は朝から穏やかな日で、礼拝の後K姉からメモを渡され、入院しているS姉を見舞って欲しいとありました。礼拝に一緒に参加していたY姉と共にS姉を見舞いました。病院の受付で病室を尋ねている私たちの声をS姉が聞き付けて、病室でS姉が私たちを迎えるように待っていてくれました。買物を頼まれ、夕方また見舞いました。帰ってきたところにK姉から電話がありました。よい一日を恵まれ感謝です。

 0さんの葬儀が終わってから、お連れ合いに宛てられたU教会牧師からのお手紙と、N教会祈祷会の寄せ書きを見せていただきました。「私達の教会にとりましても、遠くにおられ、お会いすることはない方であっても、私達の小さな教会の柱として教会を守ってくださった方であり、いつも私達の教会を支え、お祈り下さっていることを覚えて、励まされて心を一つにして頑張ることが出来ているものです」(U教会)。「いつも梅香教会のことを覚えていて下さり有難うございます。主に在る平安をお祈り申し上げています」(B教会)。この二つの教会を覚えて祈っていきたいと思います。