なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(96)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(96、復刻版)」を掲載します。

 沖縄の辺野古のテント村には右翼の宣伝カーがやっていきて、テントをたたんで出て行けと叫んだそうです。また、沖縄のある建築主がアメリカに行って、辺野古に基地をつくるように訴えたということも伝わってきています。厳しい状況の中で平和と人権を大切にしていく未来に繋がる道を歩み続けることの大切さと困難さを改めて思わされますが、何とか踏みとどまって平和を求める歩みを続けていきたいと願います。

          黙想と祈りの夕べ (通信 96[-44] 2001・7・29発行)

 この7月に3人の方が召されました。49歳のI兄(7月3日)、92歳のO兄(7月11日)、82歳のM兄(7月21日)です。M兄は10年来の闘病生活で、昨年暮れ頃からいつ召されてもおかしくない状態でした。O兄は今年になってから癌による衰弱が現われ、ご本人も召される時の近いのを覚悟していました。2月半ば自宅に私が訪ねたときに、自分の葬儀をよろしく頼むとおっしゃいました。I兄は、昨年12月に病院に入院して癌の治療をはじめましたが、思わしくなく5月末からは自宅で療養していました。治療の方法もなくいづれ召される時が来ることを皆覚悟していましたが、身近な者には突然の召しに感じられました。三者三様ですが、それぞれ自分の死の時を自覚し、その日に向かう日々を、特に今年になってから過ごして来られ方々です。ご遺族の方々に主にある平安をお祈り申し上げます。

 以上の私の発言に続いて、一人の姉妹から、日曜学校で平和聖日を迎える準備の一環として行った、N姉による戦争体験のお話と分級での沖縄戦のビデオ上映についての発言がありました。姉妹は、戦争当時両親が奉天にいて、自分は東京のおじさんの家に住んでいたという。姉妹は、両親のところに行くために下関の方に行ったとき、自分の乗っていた列車に銃撃があり、列車の屋根に穴があいたり、何度も死線を越える体験をしたことを子どもたちに話してくた。その後、「1フィ-ト映像でつづるドキュメント沖縄戦」の上映をした。映像によってリアルに沖縄戦の実体が伝わってきた。どんなに日本の国が沖縄の人たちを都合よく利用し、見捨ててきたか。琉球王国としてあった沖縄の人たちに大和魂を注入し、戦争のために利用し、トカゲの尻尾切りのように切り捨てた。戦後も沖縄の人が本土に来て差別を受けたことを、聞いたり読んだりしているが、映像が訴える力はすごいと思ったし、貴重だと思わされた。日曜学校の子どもたちと共に観ることがでたことは、これからの自分の生き方に大きな示唆を与えてくれる時だった。事実を事実として見ることの大切さを強く感じた。

 また一人の兄弟は、沖縄戦のビデオを観たかった。沖縄戦では19万人が死んだ。その内13万人が市民であったと言われる。第二次世界大戦では6500万人が死んだ。その内4000万人が市民だったという。推定だが。相手を屈伏させるために一般市民を巻き添えにしていくという戦争では、許しがたいことが起きる。フランスの小さな村オランド-ルでは、ナチスドイツが一夜にして大人から子どもまで全部殺してしまうということが起こったという。恐さを感じる。日本がなぜあんな戦争をやったのか。アメリカに勝てると思ってやったのか? 慮溝橋事件を通してアジアに拡大していった、精神論で勝てるという論理で、メチャクチャである。その精神論は現在の企業でも生きているように思われる。教団はホ-リネス教会をあなたたちは違うという論理で切り捨てた。論理はその時々でコロコロ変わっていくのではないか。テレビで、イタリア人は、食べて・歌って・恋をすることがすべてだと言っていた。これはと思った。論理ではなく、そういう感覚でやっていけたらと思う。

 滝沢克巳が、「食べる、寝る、遊ぶ」、これ以上に何があるというのかということを述べていたのを思い出しました。現実と観念が逆転したときの恐ろしさは、まさに戦争において如実に現われるのであろう。「平和を造り出す者は幸いなり」。