なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(104、復刻版)

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(104、復刻版)」を掲載します。

 2001年にアメリカで起こった9・11同時多発テロ事件」以後、10年と7ヶ月が経過しています。21世紀の初頭のこの10年は、ヨーロッパ近代以降のパラダイムの行き詰まりが顕著に現れ、世界大で激変の兆候が見えていると言えましょう。そう簡単には答えが見つからない状態で、社会のあらゆる分野でしばらくは試行錯誤を続けていかざるを得ないのではないでしょうか。
 
 下記の「黙想と祈りの夕べ通信(104、復刻版)」は、ちょうど9・11直後のものです。

           黙想と祈りの夕べ (通信 104[-52] 2001・9・23発行)

 9月11日に起こったアメリカのニュ-ヨ-ク貿易センタ-ツインビルに、二機のハイジャックされた飛行機が自爆突入した事件には、本当にびっくりさせられました。そのために沢山の方々が犠牲になりました。この種の惨劇が許されてはならないことは、心ある者の共通した思いでしょう。二度と再びこの種の行為が起こらないようにしなければなりません。けれども、今アメリカの大統領ブッシュがなそうとしている報復のための軍事行動は、さらなる悲劇につながる危険性が高いと思われます。この報復攻撃については、アメリカの上院は全員賛成、下院では420名中一人の女性議員だけが反対とのことです。この女性議員は、10年前の湾岸戦争のときも反対した方だそうです。今のアメリカ社会を想像して見て、この一人の女性議員が取った行為は、相当勇気ある行為と言えるように思われます。戦時下の日本のキリスト教会が国家総動員の流れの中で、飛行機献納運動を率先してしていったことを思うとき、一つの流れが権力と民衆によって生み出されていくところで、一人それとは逆流する態度表明をすることは大変なことに違いないと思います。でも、たった一人でも自分の信じるところに従って否をいわなければならない時には、否を言うことのできる人の存在は、その社会全体にとっても大切な存在と言えるでしょう。私は、この一人の女性議員のことを知って、何かホットするものを感じました。

 もうひとつ、先日以前礼拝に何回か来られたことのあるNさんという方がお亡くなりになったことを、Nさんの娘さんから連絡を受けました。Nさんは戦前中国に確か修理工として従軍した経験のある方で、戦後中国から日本に留学する中国の青年のお世話をされたということです。それはNさんなりの戦争責任ではないのかと、お話をお聞きしたときに私は感じました。「黙想と祈りの夕べ通信」をお送りしていましたので、娘さんが私の方に連絡を下さったようです。ご遺族の方々に主にある慰めをお祈り申し上げます。 

 以上の私の発言に続いて、一人の姉妹が、その日の礼拝説教で語られたイエスの祈りを思い起し、今ここにイエスさまがいらっしゃったら、何を祈られるだろうか。私たちは何を祈ったらいいのか。ブッシュは礼拝の中で、聖書を持ち出し、神の名において報復行為を正当化するようなことを言っているが、考えさせられた。横須賀にも基地があり、報復が行なわれれば、私たちも傍観者ではない。何をしたらいいのだろうか。パレスチナイスラエル、資金援助をしている大国にテロ、当時国同士の争いに他の国が手を出さなかったらどうだろうか。小さな命、子供たちの命が傷つかないようにと、祈りたい。

 また一人の兄弟は、二つのビルの爆破によって、安否が確認できないでいる沢山の人がいることを思う。自分の両親が青森にいて、教会で六ヶ所村核燃料の反対運動をして、祈祷会でも祈っている。核による汚染が広がって、りんごや海の生き物まで汚染されることがあったら、大変だ。そういうことが起こらないように祈っていると。

 そして一人の姉妹は、11日火曜の事件が起きて以来、とても落ち着かず、沈んでいる。あの事件によって神は何を私たちに問うているのか。自分の信じてきたキリスト教がよくて、アメリカのキリスト教が間違いだと言えるのか。今日も通常の教会のプログラムを止めてまで、みんなで祈りたいと思った。何をどう祈ったらよいのか、私たちに出来ることは何かを、教えて欲しいと。