なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

第一回口頭弁論報告集会から

             第一回口頭弁論報告会から

 4月26日の私の第一回口頭弁論後に行われた報告会は下記のような内容で行われました。報告集会には約170名の方々の参加がありました。

       〈北村慈郎牧師を支援する会・第1回口頭弁論報告集会〉     
                 2012年4月26日 
                 千代田区立日比谷図書文化館地下ホール  
                 司会:小海 基牧師(事務局次長)

 ヽ会あいさつ    関田寛雄牧師(世話人代表) 
◆〃莪嬋縮澄     )迷嫉隆宰匯(原告)  (原告陳述は昨日このブログに掲載)
 裁判の解説と今後の見込み
       弁護団:北村宗一弁護士  藤田浩司弁護士
           岡田 尚弁護士  今井史郎弁護
ぁゞ誼弔悗量笋ぁ北村訴訟の意義と目的(別紙資料あり)   渡辺英俊訴訟対策委員長
ァヽ特呂らの激励
Α〇?涯匹らの要請                    久保博夫事務局長 

 今日は、世話人代表の関田寛雄さんの「挨拶原稿」(報告集会では、この原稿に基づいてもう少しふくらませてお話しして下さいました)と訴訟対策委員会委員長の渡辺英俊さんの「教団への問い:北村訴訟の意義と目的」を掲載致します。このお二人が訴えられていることを、広く教団の教会・伝道所、信徒・教職にお伝えいただければ幸いです。私の裁判の目的は、戒規免職処分の無効確認と共に、現教団の強権的、暴力的な姿勢を内部から変えていくことにありますので。    
  
    【支援会世話人代表 関田寛雄さんからの挨拶】:「北村裁判への意義について」

 はじめに:本裁判は日本キリスト教団を真にキリストの教会として成熟せしめるための真摯なる努力である。

1、日本キリスト団の教師としての身分の保証をすること。「教会法」の名の下に非人間的な強権  的な身分の侵害があってはならない。教会法は神聖なものではない。用い方によっては、悪魔  の法になりかねない。「法」なるものの運命的限界である。

2、戒規適用に当たってはその理由を明文化し、公表の上、審議をすべきであり、密室的な議論で  結論を出すべきではない。

3、聖餐執行に関する開かれた神学的な論議の場を設定し、継続して頂きたい。従来信仰職制委員  会における「継続審議」としての申し送り事項であったものが、ある委員会以来、消滅させら  れている。その(当時の)委員長は総幹事であると聞いている。

4、現教団の策略的党派主義を是正し、教団総会の教会会議としての正常化を求める。

5、律法主義的ドグマ主義的福音理解を改め、聖霊の賜る一致を目指し、賜物の多様性を生かし、  日本に遣わされたキリストの教会としての使命に生きること。

 むすび:教団の「戦責告白」の歴史的意義を再確認すること。勝っても負けても御意が行われ、教団がキリストの教会にふさわしきものとなる事を求める。善き変化を求める運動には歌がつきものである。「主われを愛す」の一節を歌いたい。

(この関田寛雄さんの呼びかけで、報告集会参加者全員で「主われを愛す」の一節を歌いました。)

     【教団への問い──北村訴訟の意義と目的】  訴訟対策委員長  渡辺英俊

 原告の北村牧師、また弁護団と共に、この訴訟の組み立てを考えてきた訴訟対策委員会として、この裁判の意義と目的、言い換えればその獲得目標をどう設定しているかを、私見を交えてですが、報告させていただきます。訴対委の役目は、支援会と原告本人や弁護団とをつなぐことにあると思いますので、こういう方向でいいのかどうか、ご意見をお聞かせいただければ幸いです。

 法廷での闘いを含めて、わたしたちが担っている課題は、大まかに次の三つのレベルにまたがっているものと考えます。

 <レベル1> 聖餐の在り方をどう理解するかの課題

 最も深い、問題の根っこのところでわたしたちが担っているのは、「開かれた聖餐」がわたしたちの信仰理解の中でどう位置づけられるか、という課題です。この訴訟の支援に関わって下さっている方々の中には、「クローズド」の聖餐を選んでおられる方もたくさんおられると思います。しかし、「オープン←→クローズド」のどちらの立場をとるにせよ、この問題に関して「どちらが正しいか」という問いの立て方をしないという点で共通しているのではないでしょうか。そうではなくて、両方が互いに真理契機を含んでいることを認め合いながら、互いの違いを突き合わせ、対話を重ねることによって、より深い一致点を見出していくことができると信じている点も共通していると思います。

 わたしたちの願いは、教団がそういうふうになってほしいということです。この課題は北村訴訟の裁判の根底にあるものですけれども、直接法廷での争点にはできません。これは今後、教団の中で息長く問い続けて実現していかなければならない課題です。このことは、訴訟を進めるに当たっても常に念頭に置きたいと思います。

 <レベル2> オープン聖餐と教規との関わりをどう理解するかの課題

 被告教団側は、オープン聖餐が教規違反であるという主張をごり押しにして来ていますから、裁判でもそれを主張してくると思われます。これに対しては、教団の教義を規定する教団信仰告白にも教憲にも、聖餐を「信徒」に限定する規定はないこと、また教規には解釈上聖餐を信徒に限定しているととれる条項があるとはいえ、オープン聖餐を禁止する明文の規定はないこと、従って違反を咎めて戒規を適用できるような条項は存在しないことが指摘できると思います。
わたしたちの考え方は、もともと聖餐の持ち方の問題は教団内で真剣に議論されなければならない問題であって、戒規を持ち出して切り捨て合うべき問題ではないというところにありましょう。これも、合同教会としての教団の在り方の問題であり、今後教団の中で粘り強く言い続けていかなければならない課題です。しかし、これは裁判所の判断を求めるべきすじのものではないと考えられます。 

 <レベル3>戒規適用手続きの違法性を問う課題

 すでに報告されているとおり、この訴訟で原告側が最大の争訟としているのが、被告側の戒規適用手続きにおける違法性です。一人の牧師の身分・資格を剥奪するという重大な処分が、こんなずさんな手続きによってなされたことは驚きであり、これには、きっちり歯止めをかけていかなければなりません。このことは、問答無用の切り捨てによってではなく、誠実で真摯な対話によって問題を克服して行こうとする、民主的なルールを教団内に確立することを意味します。この訴訟が目指すところは、大切なことをきちんと話し合うための土俵作りだと言えるでしょう。

 以上三つのレベルを視野におきながら、裁判では、<レベル3>を中心に取り上げます。訴訟の組み立てについて、訴対委がいちばん悩んだのは、<レベル1,2>がありながら、手続き論に過ぎない<レベル3>だけで争わねばならないという点でした。しかし、弁護団のアドバイスをいただいて、裁判で争うのは<レベル3>にしぼり、それ以外のことは、争訟点としてでなく、手続きの違法を発生させる背景説明として随時主張していくこととしました。支援してくださる皆様にも、そのことを了承していただきたいと思います。

 北村訴訟の最大の意義は、多数決で何でもできると考える非民主的な現執行部の教団運営に対し、多数決で踏みにじってはならない、人権とか適正手続きとか法の下の平等とかいう民主主義の基本ルールがあることを示していくことだと思います。ですから、この裁判の本当の闘いの場は法廷よりも教団という社会集団の場にあると言っても良いでしょう。法廷では、こんなひどいやり方が教団政治の場でまかり通っているのだということが白日のもとにさらされて行くでしょうが、これを教団の内外に伝えていくことが、法廷での闘いと並んで重要になります。支援会の大きな広がりが、すでにそれへの一歩を踏み出しているのを見て、心強く思っている次第です。
北村訴訟は、教団の良識を担う人びとの一つの結節点になっていくものと期待されます。そしてそれが、教団の在り方を問いなおす大きな力になっていくことを願ってやみません。
                                   (2012年4月26日)