なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(75)

船越通信癸沓機  。横娃隠嫁9月23日     

・9月16日(日)は礼拝後Wさんがもってきてくださったアップルパイをいただき、懇談のひと時を持ち散会しました。私はこの日連れ合いがTさんと二人で教区の東日本大震災被災支援実行委員会から派遣されボランティアとして宮古に行っていましたので、しばらく船越教会に残って作業をしてから鶴巻に移動しました。

そろそろ私の裁判の支援会通信3号の原稿をまとめなければなりませんでしたので、その作業をしました。9月27日に事務局で作業をして、通信3号と10月24日教団総会会期中に開催する支援会全国交流集会の案内を発送することになっています。その準備をしました。通信3号は去る7月28日に開催した支援会の報告・討論集会の報告が中心です。すでにその集会でのお二人の弁護士の発言とその後の裁判状況のまとめは、弁護士の方に手を入れていただいて通信に載せる状態になっていましたので、その他の原稿を整理してレイアウトして編集して下さる方に送る状態にしておきたかったからです。

最近鶴巻のパソコンが故障しデーターがすべて消去してしまいましたし、裁判関係の記録が入っていたUSBから手違いでその部分の記録だけが消えてしまったりして、通信3号に掲載する原稿の中には、もう一度打ち直さなければならないものもあったりして作業の必要があったからです。午後3時頃には作業を終えて船越教会を出ました。

・後ひと月後に教団総会が開かれます。現教団執行部は教憲教規を盾に統制的な教団総会運営を更に強化してくるでしょうから、一つ一つの議案についてまともな話し合いをした上で決議するという、民主的な会議では当然のことさえしないで、自分たちの思い通りに議事が進行するように画策するに違いありません。

 神奈川教区総会が決議して教団総会議案としたものが3つあります。ゞ偽菫躄餬莎弔龍誼珍躄餤聴討倭阿發辰得依?垢襪海箸覆議案として諮ること。∪算舛砲弔い洞誼墜發墨正弔垢訃譴鮴瀋蠅垢襪海函私の戒規免職処分の撤回。特にの議案は教憲教規違反の議案ということで、今回も審議以前に葬ることを現教団執行部は考えているに違いありません。

 2年前の教団総会では「議案ガイド」なるものが出回って、一つ一つの議案に説明があり、これは賛成これは反対という指示が明記された文書です。この議案ガイドの通りにすべての議事が可決、否決され、選挙でも議案ガイドで候補者となった人が全て当選しました。さて今回の教団総会はどうなることでしょうか。私は免職処分を受けていますので、議事に参加することはできませんが、よく見守っておきたいと思っています。

・19日には鶴巻で月一回3人で行っています集まりに、はじめての人が参加しました。その人は画家で、私は彼のことを彼が高校生の頃から知っていて、前回のこの集まりの後小田急線沿線の仲間と我が家で飲み会をしたときに、彼が偶然私のところに来て、その仲間と一緒したことがありました。その時にこの集まりを知って、今回来たわけです。

 彼は画家ですから、世間の常識や通念から自由な表現活動を志して来た者として、世の中をどちらかと言えば否定的・批判的に見ているところがあります。厭世的とは言えませんが、世の中から一歩退いて、自分の立ち位置を比較的自由にしているのでしょう。その彼のスタンスは牧師である私のスタンスとあるところで共通しているようで、昔から彼とは波長があうようです。

 この日の集いでは、16日の船越教会の礼拝でした説教をベースにイエスのピラト審問について話しました。一応家庭集会のような形で集いを進めています。来ている二人はそれぞれ鋭い感性の人ですので、ごまかしはすぐ見抜きます。感想や意見を言い合って集いを終えました。

20日(木)は、鶴巻のパソコンがメールとインターネットが出来なくなったこともあり、早めに鶴巻を出て、午前10時半には船越教会に着きました。メールを開けて必要な返信を打ち、夜の聖書研究の準備をしました。この日はお休みが多く、HさんとTさんと私の3人で聖書研究会をしました。上村静さんの本(『旧約聖書新約聖書』)を扱っていますが、この日は預言者のところでした。最後にモーセ五書編纂と「預言の終わり」が扱われ、「ユダヤ民族にとしての真の歴史書モーセ五書なのである」とまとめられています。最後の部分を本から引用しておきます。

・「預言者たちの使信は、審判預言と救済預言に集約せれる。すなわち、罪には罰が、罰の後には救済がある。これをイスラエルの民族史に適用したのが申命記史書であり、理想的なヨシュアの時代から、民はヤハウエ神に背いていき、その結果国家滅亡へといたる歴史を提示し、ヤハウエに立ち帰ることに民の救済を展望している。こうした預言者の使信と申命記史家の歴史記述にもとづいて、モーセ五書は編纂された。その際、罪―罰―救済の関係を人類全体へと拡大して適用し、イエラエルの選びを罪の結果として諸民族に分化してしまった人類の再統合(救済)という役割を担うものとして位置づけた。それはトーラー遵守をとおした高次の倫理を実現する共同体の形成によっていつか成し遂げられるであろうものである。モーセ五書には預言者の伝統の痕跡がある。人間による人間の支配を認めず、選眠は社会正義を実現するためのものとされる。そしていつか世界の全人類が創造神へと立ち帰ることを夢想している」。

・私は、旧約聖書イスラエル民族の歴史と教会の歴史は断絶と連続の関係にあるように思えてなりません。教会は「新しいイスラエル」としてイスラエル民族の歴史が越えられなかった課題を担って歴史に登場してきたという理解が最初期の教会にはあったのではないでしょうか。「トーラー遵守をとうした高次の倫理を実現する共同体の形成」にイスラエル民族は失敗しますが、その課題は教会に引き継がれたと、最初期の教会の人々は考えていたのではないでしょうか。現在の日本の教会にはそのような人類史的な展望が欠けているように思えてなりません。