なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(26)

 今日は「牧師室から(26)」を掲載します。15年前に教会の機関誌に書いたものです。


                 牧師室から(26)

 先日、私の前任地名古屋のG教会の役員をしているW姉とM兄が、近くに来たからと別々に、予告なしに突然でしたが、訪ねてくれました。二人は役員としてだけでなく、現在無牧三年目に入ったG教会の事務的な仕事をずっと担っています。二人からG教会の近況報告を聞きましたが、その中で今年の敬老祝会のとき、90歳になったかつて中学・高校の音楽の先生をされ、今も教会のオルガにストをしている女性が、子どもがなく最近夫に先立たれたばかりですが、新しいピアノを購入すると話され、みんなから拍手喝采を受けたというのです。

 彼女は教会の近くに住んでいますので、私がG教会にいたときも、毎週2,3度は必ずオルガンの練習に来ていました。年を重ねて反応が鈍くなっているので、練習を欠かすことができないと言いながら、その熱心さには頭が下がりました。90歳で新しいピアノを購入するということは、彼女の視線が未来に向いているということではないでしょうか。新しいピアノの前で黙々と練習している彼女の姿が瞼に浮かびます。

 私は、老いには喪失という面だけでなく、未知なる世界への旅立ち、冒険という面があるように思っています。90歳でピアノを練習しても、何になるのかと言う人もいるでしょう。けれども、年を重ねるごとに自分の心身の条件が変化する中でのピアノ練習は、彼女には新しい挑戦なのだと思います。過去にではなく、未来に向かう者には、日々新たな生が約束されているのでしょう。
                                     1997年10月

 
 先日祈祷会でMさんが奨励をされました。その時兄は、阪神・淡路大震災のボランティアに参加した経験から、現地のYWCAのスタッフの言葉、「社会変革なきボランティアは意味がない」に強く胸を打たれたことを語られました。そして、この言葉の「ボランティア」のところに、ご自身が勤めておられる「学校」やわたしたちの「教会」も置き換えられるのはないかと言われました。

 私は「社会変革なきボランティアは意味がない」という言葉を兄から聞いた時、その言葉の響きに懐かしさを感じました。60年代後半ごろから、社会的には70年安保・万博の時期に学生運動を中心に反体制運動が高揚しましたが、確かその頃に同じような言葉が私たちの中でよく飛び交っていたように思います。たとえばその当時キリスト教界の一部では、パウロ主義批判が問題となりました。この問題との関連で荒井献さんが、「パウロには自己変革はあるが、社会変革はない」ということを言っていたように思います。それは、「イエスには社会変革の志向性があった」ということでもあります。

 「宗教」としてのキリスト教は社会変革を伴わない体制順応になりやすいのに対して、イエスの「福音」は既存の社会からは排除されている「いと小さき者」に集中的に注がれているがゆえに、その福音に生かされて生きる者は、既存の社会を内側から超えていくことんいなるのでしょう。
 そのような福音の命に触れて歩み続けたいと思います。
                                      1997年11月


 私が神学校を出て最初に赴任した教会は、東京の下町にあるA教会です。28年前になります。その教会で5年間働きました。最初の年に生まれた娘を頭に、二人の息子と、最後の年には三人の子どもがいました。その年のクリスマスだったと思います。教会の近くに、私が神学校時代から関わっていた隣保館というセツルメントがありました。その隣保館に廃品回収をしながら細々と暮らしていたバタヤさんたちの集会があり、私が責任を持っていました。その集会でもクリスマス祝会が開かれました。二十数名の人が集まり、その時写した記念写真があります。

 私は、今でもクリスマスになると、その写真のことを思い出します。私たちの若い家族と隣保館の職員とバタヤさんの一人ひとりの強烈な存在感ある顔が印象的です。集合写真でありながら、一人ひとり別々に写した写真の集まりのように見えるのです。それぞれの厳しかった人生が写真の顔の背後から見る者に伝わり、一人一人の顔が突出し酒豪の中に収まり切れない感じなのです。この写真のような集合写真は、私の写真の中には他にはありません。

 今年もクリスマスを迎えようとしています。あのベツレヘムの家畜小屋で生まれたイエスさまによって、インマヌエルの現実が及ばない場所や人は、この世界のどこにもいないことを信じます。クリスマスのおとずれをすべての人と共有したいですね。
                                       1997年12月