なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

牧師室から(31)

 今日は、「牧師室から(31)」を掲載します。1999年に教会機関誌に書いたものです。

                  牧師室から(31)

 「開かれた教会」と言いますが、その場合「開かれた」とはどのような意味なのでしょうか。分かっているようで曖昧なところがあるように思われます。聖餐式を開くということでは、未受洗者や子どもの陪餐が問題になっているということは分かります。では、教会を開くとはどのようなことなのでしょうか。
 北海道のK教会の牧師さんは、「開かれた教会」と題したエッセイを『礼拝と音楽』誌に書いています。この方が牧会しているK教会では「開かれた教会」という目標を立てて97年秋の段階で3年になるそうです。K教会では、その目標を具体的なものとするために、三つの項目を考えました。[蘿劼魍く教会、地域に開かれた教会、自分を開く教会です。

 ,任蓮∋劼匹發砲盪臆辰任る礼拝とはどんなものか、また聖餐式の持ち方はこれではよいのかということが話し合われています。△任蓮地域に開かれたバザーや教会堂の構造(礼拝堂が二階)、K教会に設置された「アイヌ情報センター」との協力をどのように進めるかなどを課題にしています。では、阪神・淡路大震災で被災した教会のことや合同のとらえなおしを学ぶ中で沖縄の教会にどのように連帯するかが話し合われています。

 私たちの教会と重なるところもあり、参考になると思い、紹介しました。「開かれた教会」というスローガンだけに流されないようにしたいと思います。
                                  1999年1月


 1月には、今までに経験したことのない、亡くなったTさんの諸手続きと、介護ホームにいるMさんが住んでいた公団住居の引き渡しに伴う転居関係の諸手続きをしました。Tさんは脳性麻痺の方で、私が名古屋時代の教会在任中、身体障がい者の養護施設に入る時に身元引受人になった方です。三人のお姉さんがいるのですが、施設に入る前からTさんについての一切を私が任されていました。そのTさんが三重県の施設で1月13日に亡くなったのです。

 この経験を通して感じたことは、一人の人間がいかに社会のシステムにはめ込まれているものなのかということです。そしてその社会のシステムはたいへん複雑にできていて、非常に煩雑な手続きをしなければなりません。そういう社会のシステムは、私たちが普段の日常生活をしている限り、ほとんど私たちの意識からは消えています。死亡や転居などの特別な時に、いわば強制的に、望みもしないにもかかわらず、出会わされるものなのです。

 社会のシステムが巨大になり、複雑になればなるほど、私たちは自分の生死の自己管理が難しくなり、それぞれの専門家に委ねる部分が大きくなるのではないでしょうか。このことは、私たちの意識に微妙な歪みを生み出すように思われます。社会に対して、私たちはその創造者ではなく、隷属者ではないかという歪みです。

 もしかしたら、この主客転倒の意識が、さまざまな社会問題を引き起こす元凶なのかも知れません。
                      
                                   1999年2月


 南米のキリスト教には、「基礎共同体」と言われる生活と信仰が一体となった小集団が大分前から生まれていて、それが底辺の人々の大きな力になっていると言われます。私はそのことを解放の神学に触れて知りました。基礎共同体が具体的にどのようなものなのかはわかりませんが、パウロフレイレの識字運動の本などから想像すれば、それまで徹底的に支配者に収奪されていた民衆が、読み書きを学び、自分たちで聖書を読み、人間として生きる力を聖書から獲得し、主体的に小さなコミュニティーを作り、共に生きようとしているのではないかと思われます。

 私は、この基礎共同体が形を変えて日本の社会でも成立し得るのではないかと思っています。現在私たちの社会には、地域社会や家族の解体が進行する中で、血縁地縁を越えた人と人とのネットワーク作りが下から生まれてきています。その中でさまざまなグループホームも生まれています。この現象の根底には、私たちの社会にも南米とは違った形で一人ひとりから人間として生きる道を収奪している厳しい現実があるからです。その中で人間らしく生きようとする人たちがネットワークを作り始めているのでしょう。

 私には、教会の将来が、そのような生活と信仰が一体として問われる人と人との関係を引き受けながら、「祈りつつ生きる」人間のエネルギーとして、聖書の使信を共有する人たちの何らかのグループとセンターとしての教会の繋がりにあるように思えてなりません。

                                   1999年3月