なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

私の裁判の経過と論点及びそこから見える教団執行部の主張

 
 10月23日から25日まで池袋メトロポリタンホテルで第38回合同後24回教団総会が行われました。私もこの教団総会を傍聴しました。そのために2泊池袋のホテルに宿泊し、3日間家を空けました。今日の夕方鶴巻に帰ってきて、一休みしたところです。ですから、昨日はブログを掲載できませんでした。

 今日は昨夜行いました私の裁判支援会の「全国交流集会」で配布した資料の一部「裁判の経過と論点及びそこから見える教団執行部の主張」を掲載します。


         裁判の経過と論点及びそこから見える教団執行部の主張

(機坊于

a)2011年11月20日東京地方裁判所に訴状を提出する。請求の趣旨は、1)教団の北村慈郎牧師に対する、2010年(平成22年)1月26日付けの免職処分の無効及び北村牧師がいまなお正教師としての地位を有していることの確認。2)慰謝料そして金1000万円の請求
b)裁判所は訴状を受理し、第一回口頭弁論が2012年4月26日に開かれる。原告意見陳述及び原告弁護士意見陳述が中心に行われた(通信2号に報告あり)。

c)4月26日の第一回口頭弁論後6月25日に第一回準備手続きがあり、その時裁判所から原告の主張に対して意見と質問があった。(1)請求の趣旨のうち第一項(免職処分の無効確認請求)と第2項(正教師の地位の確認)は両方とも主張する必要があるか。(2)正教師の地位の確認を求めることが法律上の争訟にあたるか否か、の2点である。この2点について原告弁護団によって準備書面(3)が用意された。(1)の請求の趣旨については、裁判所の指摘を受けて第一項(免職処分の無効確認請求)は取り下げ、その代わりに「退職年金給付減額決定の無効確認」を請求の趣旨に新たに加え、請求の趣旨の変更をした。(2)についても、正教師の地位の確認が法律上の争訟に値することを、ー婬靴鮗?閏茲觚⇒?↓賃料相当額を受け取る権利、G金受給権、ぞ鏥聴?任の要件、ト鑛餝臙賃里量魄?僚任の前提要件となっていること、α躄餤聴?糧鐐挙権や教団教区における教務を行う権限の根拠となっていること、という6つの権利等を挙げて論証した。

d)8月9日に第2回準備手続きが行われ、裁判所は原告提出の準備書面(3)に対して、原告の主張を受けとめて、被告教団側の主張である「規則自体が元々教義に関わる」という点について被告側に説明を求めた。原告は、手続違背による免職処分の違法無効という形で、宗教上の教義内容とは別に判断できると主張しているのに対して、被告教団側は、宗教上の教義と切っても切り離せない不可分なものと主張している。それが具体的に何を意味するのか、という点を明らかにせよ、ということである。

e)10月1日に第3回準備手続きが行われ、被告教団提出の準備書面(3)に対して、原告側の反論があれば文書で出し、11月14日にもう一度準備手続きを行い、その後口頭弁論(12月3日)に戻ることになった。裁判所は、そこで一度弁論を終結し、本件が法律上の争訟にあたるかどうかという法律論についての判断を出すことになった。その判決が中間判決なら裁判は続行することになり、終局判決が出た場合にはそこで一審の裁判は終わることになる。

 以上が現在までの裁判の経過である。我々としては中間判決を獲得して、実質審理に入って行くことを期しているので、皆様のさらなるご支援をお願いしたい。

(供忘枷修力静

  上記の経過の中にも既にこの裁判の論点が明らかになっていると思うが、以下通信掲載の弁護士の発言を引用しておく。

a)本裁判のハードルとして大きく見て二つ挙げることができる。一つは宗教団体内部の処分の効力に関して紛争の本質的争点が宗教上の教義内容に深く関わっている場合に裁判所の審理が馴染むかという問題に対する最高裁判例。もう一つは仮に正教師の地位が宗教上の地位だと言われる場合に、裁判上、その地位の確認が認められるかという問題である。この点に関して、正教師の地位から派生する経済的な権利等の確認を分解して請求することが可能かという点は裁判所も関心を抱いているものと考えられる(通信第2号今井史郎弁護士発言より)。

b)この裁判はまさに宗教上の争いなのかどうかということが、出発でもあり結論でもあるわけですね。そこをクリアーする必要があります。結局裁判所としては「この裁判が、宗教上の争いなのか法律的な判断、法的な保護に値するのかどうかというところ」を問題にしているのですね。教団側は「この裁判は舞台に乗らないんだ」と主張しています。「法律の世界で判断を求めるものではないんだ。宗教上の教義の問題なんだ。それを国家権力の裁判所に判断をしてもらうということそのものが誤りである」という主張なのです。今のところ、ほぼそれだけなのです。そこをクリアーしたとして、この裁判が土俵に乗ったら、そこではじめて相撲を取るわけです。もっとも、土俵に乗ったから勝つというわけではないんです。そこでお互いに攻撃防御をする、そういう形になります。「簡単にクリアーできる」とは思っていませんが、裁判所から「これは宗教上の問題だから関与できない」と言われてしまったら、北村さんを救済できるところはどこにもありません(通信第3号、岡田尚弁護士発言より)。


B)教団執行部の主張

 岡田弁護士が言われるように、この裁判は原告と教団の争いではなく、原告と教団執行部の争いである。現在までの段階でこの裁判で明らかになっている現教団執行部の主張は、以下の4点にまとめられる。

a)政教分離を根拠としてこの裁判は宗教教団への国家の介入である。宗教集団の自律権の主張。

b)戒規は愛を持って悔い改めを求める教会の訓練規定であって、世俗社会の懲戒処分とは異なる。

c)戒規の申立ては戒規執行への契機に過ぎず、申立てがなくても教師委員会は戒規執行が出来る。

d)教師委員会の戒規決定、常議員会の審判委員選任、審判委員会の決定のすべては、会議制に則った多数決による決定であってすべて正当である。



(上記4点の教団執行部の主張については、船越通信(79)[2012年10月21日ブログ掲載]に私の批判を掲載していますので、そちらもご参照ください。)