なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(92)

船越通信癸坑押 。横娃隠廓1月20日         

・13日(日)は礼拝後懇談して散会しました。この日も私の裁判の公正判決要請署名に署名して

下さった用紙を持ってきて下さった方があり、皆さんが御自分の関係者に署名をお願いして下さっ

ていることが伝わって来て、心が熱くなりました。先日も寿の炊き出しに参加して、終わってから

の反省会でも、私の署名用紙が参加者に回されて、署名してくださる方がいらっしゃいました。ク

リスチャンでない方は、大体私の問題を不当な懲戒免職と受け止めておられるようです。とにかく

署名のお願いと署名用紙を皆さんにお送りしたのが、12月16日ですから、皆さんのお手元に届

いたのが12月20日としても、署名期間は1月末までの40日間ということになります。しかも

お送りしたのが支援会に関わって下さっている方々だけですので、皆さんが周りにどれだけ広げて

下さるかに期待せざるを得ません。本来なら教団の全信徒、全教会・伝道所に送りたいところです

が、そういうわけにもいきませので。キリスト教とは全く関係のない私の古い友人などは、近くに

住む親戚一同にお願いしてくれたようです。ありがたいことです。

・この日は散会後、連れ合いが教区の委員会の印刷をすることになっていましたので、私も手伝っ

てから、2階の牧師館で、船越での冬の自炊では定番の私の作った水炊きの残りに刻んであった野

菜とカレールーを入れて、連れ合いが作ってくれたカレーうどんを食べてから、午後2時半過ぎに

は船越教会を出て鶴巻に向かいました。鶴巻には5時前に着き、夕食前に弘法の里湯(日帰り温

泉)に行きました。すると日曜日で連休ということもあって、山帰りの人で温泉は満員でした。受

付の人から更衣室前に10人ぐらい並んでいますと言われましたが、戻るのもと思って、券を買っ

て入りました。確かに更衣室前に人が5,6人並んでいましたが、1人2人と出る人もあって、す

ぐに入ることができました。しかし、二つしかない湯船は内風呂も露天も人が一杯でした。洗い場

の場所を待つ人が数人立ってもいる状態でした。これほど人があふれている状態は今回がはじめて

です。後日係の人にお聞きしましたら、その日は800人の方が弘法の里湯に訪れたということで

す。

・14日(月)から15日(火)にかけて東京近辺には雪が降り、交通網が混乱しましたが、鶴巻

はほとんど雪は降りませんでした。私はこの二日間鶴巻でのんびり過ごすことができました。その

間、福音派の『ケープタウン決意表明』を読んでみました。この決意表明を知ったのは、私の問題

で取材に来てくれたクリスチャン新聞の編集者の方から、私の記事が載ったクリスチャン新聞を送

って頂いた新聞を読みましたら、その記事の中に連載でこの決意表明についての解説が書かれてい

たからです。現在の教団の状況からしますと、福音派のこの決意表明の方がはるかに現代社会に対

する教会の宣教の取組が真摯に思われます。特に今回教団で改訂されようとしている「宣教基礎理

論」試案と比較した時に、『ケープタウン決意表明』の方が聖書理解も状況理解もはるかに深い

し、適切ではないかと、私には思われてなりません。もちろんWCCで出される文書が教団の教会

のすべてによって受け入れられているわけではないように、福音派の教会が全てこの決意表明を受

け入れているとは思われません。しかし、このような決意表明の解説がクリスチャン新聞の記事に

なるということは、それとの対話の余地が福音派の教会にはあるということでしょう。私を排除し

ている今の教団の執行体制では、その余地はますますなくなる方に向かっているように思えてなり

ません。

・17日(木)は船越に行く前に、新年になってはじめて国会前の沖縄辺野古基地建設反対座り込

みに参加しました。鶴巻温泉駅から小田急代々木上原まで行き、地下鉄に乗り換えて国会議事堂

前で下車して地上に出ますと、ちょうど官邸前辺りになります。座り込みは午後1時から4時までで

す。12時40分頃国家議事堂前駅を降りて地上に出ました。道路わきにはまだ解けきっていない残雪

が結構積まれていました。そこではじめてこんなに雪が降ったのかと、私は気づかされました。座

り込みは参議員会館前の道路で行っています。道路を挟んだ向いには国会見学にくる小中学生の団

体が、バスから降りて、国会に入って行く受付があります。この日はそのような見学者が多かった

ので、道行く人だけではなく、その子供たちに向かってアッピールを繰り返しました。

・午後6時前には船越教会に着き、その夜にある聖書研究に備えました。上村静さんの『旧約聖書

新約聖書』、第三章「キリスト教の成立と新約聖書」の「キリスト教会の成立」と「パウロの活

動と手紙」の前半を扱いました。「キリスト教会の成立」ではイエスの弟子たちの主観的な体験が

「神がイエスを死者から起こした」(ロマ10:9)というように客観的な出来事として言語化されて

いくことによってキリスト神話が成立したこと。弟子たちはその神話の宣教者となり、キリスト神

話の受容が救済の条件とされるようになり、人間は救われる「義人」と滅びる「罪人」に二分され

るようになる。そのようなイエスの死後誕生した「キリスト派」は、ユダヤ教内の二元論的な世界

観をもつもう一つのセクトであり、イエスセクトの価値観に抗って殺されたのに、弟子たちは自

セクトを形成したと。イエスと初代教会の連続と非連続は大変興味あるテーマです。「神の国

宣教者イエス」が後の教会によって「宣教される主」になったという問題にも通じるテーマです

が、上村さんの切り口は明快です。明快であるだけに、そんなにきれいに整理できるのだろうかと

いう思いも残ります。

・18日(金)には、夜寿地区活動委員会がありました。そこで、今年の越冬活動中のボランティ

ア参加者が、12月29日(土)、30日(日)に集中して、他の日は少なく、特に夜のパトロールの参

加者が少なかったという報告がありました。私も風邪気味で今年の越冬には全く参加出来ませんで

した。来年は体調を整えて参加したいと思います。