なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(93)

          船越通信癸坑魁 。横娃隠廓1月27日       

20日の日曜日は5人の礼拝出席で、一人を除いて4人は礼拝の中での役割を持っていました。説教者である私に司会者、献金奉仕者、報告者の4人です。その他に一人の方が礼拝を共にしました。その方は、礼拝が終わる頃ご家族から連絡があり、お亡くなりになった方が出たということで、すぐに帰られました。礼拝後4人でしばらくお茶をいただきながら懇談をしました。この日はいつもの礼拝堂に隣接したテーブルのある集会室でのお茶ではなく、礼拝堂の後方にある受付のテーブルの上を片付けて、そこでお茶をいただきました。礼拝堂は朝から暖房されていますので、受付のテーブル付近はちょうど空調がそばにあって暖かかったからです。しばらく懇談して散会しました。

・皆さんが帰ったのが、12時20分頃でしたので、連れ合いと2階の牧師館で残り物で昼食をとり、私は、その日の夜行われます「かながわ明日の教団を考える会」に用意する議題と資料の印刷にとりかかりました。教団の宣教研究所から出された「改訂宣教基礎理論、第一次草案」、60年代で出た「日本基督教団宣教基礎理論」、それに昨年11月末に神奈川教区オリエンテーションで「万博問題と教会の宣教論」をテーマに発題していただいた岩井健作さんのレジュメを印刷し、資料として用意しました。

・かながわ明日の教団を考える会では、2002年の年末から始まったこの会がちょうど10年を経過し、その当時を共有していない若い方々も教区に増えている現段階で、一度教区の人たちに広く呼びかけてシンポジュウムのような集会を開いて、戦責告白を大切にして教団の教会としての宣教をめざしていこうというこの会の趣旨をアッピールする必要があるのではないかという意見が出ています。今回配布した資料を用意したのは、この資料に基づいて今後計画するシンポジュウムができないか、次回までに考えてもらうためです。神奈川教区では「改訂宣教基礎理論、第一次草案」が配布されたのは常置委員会で、各教会・伝道所までは配付していません。ですから、この日の会でも確認してみましたが、教団のこの文書を知らなかったと言う人が案外多いのです。常置委員会では、次回2月の常置委員会でこの「改訂宣教基礎理論、一次草案」について話し合うことになっています。1月の常置委員会では、話し合うことは結構だが、今までの教団の宣教基礎理論がどういうものであるのか、その資料がないままでは話し合うこともできないのでは、という意見がありました。では60年代の教団の宣教基礎理論はどこで手に入るのかということになり、たまたま私が教区のオリエンテーション委員長として常置委員会に陪席していたので、その資料を昨年11月のオリエンテーションで配布したばかりだったということもあり、数日後教区にお持ちしました。そんなことで、教団も教区も教団の宣教の在り方を問題にしている宣教基礎理論のような大事な問題を、きちっと資料を整えて、全教団的な議論を積み上げて、出来るだけ多くの教会・伝道所がこの問題の論議に参与する中で、みんなで作り上げていくという丁寧な作業を欠いています。そもそも宣教研究所が主体となって、このような基礎理論を出して来ること自体おかしいのです。教団内の様々な立場の人たちが加わった委員会などで、十分議論して、その中から日本基督の新しい宣教基礎理論が生まれるならば納得できますが、今回の場合は、多分ひとりの人が書いたものを宣教研究所で検討し、それを全く一方的な形で上から降ろしてきたものです。今の教団の執行部は他者性への自覚が完全に欠落しています。自分たちとは異なる立場や考え方の人間が同じ教団内にいるというごく当たり前の認識をもって、お互いに耳を傾けるという姿勢がないのです。これは70年代以降の教団の中での激しい議論において、自分たちの意見には全く耳を傾けてもらえなかったというトラウマが、現在の教団執行部の人たちにはあるのかも知れません。だから、今度は人数で執行部を独り占めにしたのだから、自分たちのやりたいようにやるんだということなのでしょう。

・昨秋の教団総会では、教団と東神大との関係を回復する件が可決されました。先日教会に届いた教団新報には、去る12月末に開催された第一回常議員会の報告が掲載されています。その中に、この常議員会に東神大学長の近藤さんが出席し、「38回総会決議、石橋秀雄議長の謝罪声明を、東神大は重く受け止めている。本日陪席したのは、私個人でなく、東神大として決断した。東神大は、教団との新しい関係に入り、日本全体、海外にまで派遣する教職を育てて行きたい」と挨拶して、大きな拍手を受けた、とあります。教団は第18回教団総会で、「東京神学大学機動隊導入の誤りを認める決議に関する件」を可決しています。そのことに一切触れることなく、現教団執行部は、昨秋の教団総会では東神大との関係の回復の件を可決し、議長は東神大に謝罪したというのです。本来ならば、東神大が機動隊導入の非を認めて、東神大から排除した約70名の学生に謝罪すべきではないでしょうか。事柄は全く逆ではないでしょうか。機動隊を導入して約70名の学生を排除して成り立つ神学教育なんて、私には考えられません。その東神大を擁護しようという現教団執行部の姿勢も、私には受け入れることはできません。

・さらに石橋議長は「『伝道する教団の建設』とは『主の御体なる聖なる公同の教会』であり、従来、合同が強調されて、公同教会が忘れ去られ、教団の弱体化が起きて来た。『聖なる公同教会』として伝道の推進を訴え続けて行くが、それには、信仰の一致が大前提で、未受洗者配餐はあり得ない。信仰の一致からなる伝道協力こそ課題だ。…」と発言したと、教団新報は伝えています。教団議長はいつから会議制に則ったモデレイターとしての総会議長から、教団統理(?)になったのでしょうか。この石橋議長の発言は、明らかに教憲・教規違反に値するのではないでしょうか。自己相対化ができない議長にも、東神大にも未来を開く力はないと、私は思っています。