なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(12)

        使徒言行録による説教(12)使徒言行録3:1-10、
                    
・今日私たちに与えられている聖書の個所は、使徒言行録3章1節以下のいわゆるエルサレム神殿の「美しの門」で、ペトロによって生まれながら足のきかない男が癒されたという物語です。この物語は、2章の43節で「すべての人によって恐れが生じた。使徒たちによって多くの不思議な業(奇跡)としるしが行われていたのである」と言われていたことの、一つの例としてここに出てきています。

・この物語の舞台はエルサレム神殿です。エルサレム神殿ユダヤ教の中心でありました。当時のパレスチナ在住のユダヤ人をはじめディアスポラギリシャ語を母国語とするユダヤ人にとっても精神的な支柱でした。ですから、エルサレム神殿は当時のユダヤ人社会を成り立たせている中心的な権威・権力の象徴でもありました。その神殿にペトロとヨハネが、午後3時の祈りのときにのぼったというのです。午後3時に祈りのために神殿にのぼるのは、敬虔なユダヤ人の習慣でした。ですから、ペトロとヨハネの行動は敬虔なユダヤ人の行動と同じだったということです。このことは、エルサレムに誕生したはじめての教会がユダヤ教の一分派キリスト派をもって任じていたということでもあります。その限りにおいて、最初の教会は、神殿を中心とするユダヤ教から決別しようとは考えていなかったのでしょう。ユダヤ人の祈りの定めを忠実に守っていたということにおいても、それが分かります。

・ところが、ペトロとヨハネが敬虔なユダヤ人と同じように、午後3時の祈りのためにのぼっていった神殿の美しの門のそばには、自分の足で歩くことができなかった生まれながら足の不自由な男が毎日運ばれて来て、神殿の境内に入る人に施しを乞うために置かれていたというのです(2節)。生まれつき足の不自由な人は障がい者でしたから、ユダヤ教においては神に呪われた人であって、この人は、他の敬虔なユダヤ人たちのようには、美しの門から神殿の中に入ることは出来なかったのでしょう。ですから、エルサレム神殿では、敬虔なユダヤ人とこの生まれながら足の不自由な男の人との間には、同じ人間同士の間にはっきりとした分断が成り立っていたことになります。神殿の境内の中に入って、敬虔なユダヤ人として祈りの定めをきちっと守ることができた正統と任じられていたユダヤ人の中に、この男の人は入ることはできませんでした。エルサレム神殿における人間同士の分断は、このような障がい者だけではなく、女性、子ども、非ユダヤ人に及んでいました。非ユダ人(異邦人)の庭、婦人の庭が区切られていて、その内側に入ることが出来たのはユダヤ人の成人男性のみでした。この男の人は、毎日他の人に担がれてその場に置かれ、そういう敬虔なユダヤ人からおこぼれを乞うて生きて行かなければなりませんでした。ユダヤ教では、祈りや断食と共に施しは、彼らの敬虔さを証明する尺度の一つになっていましたので、この男の人は、神殿に祈るためにやってきた敬虔なユダヤ人にとっては、自分たちのユダヤ教徒としての敬虔さを証しする格好の存在だったと言えるのではないでしょうか。

・「あなた施す人、わたし施される人」。そういう関係の中で、毎日施しを乞うてしか生きていけなかったこの生まれながらの男の人の心情を想像しただけでも、人間としての屈辱を耐えながら、それでも命を紡いでいかなければならなかった人の苦悩を思わざるを得ません。

・イエスは、そのようなエルサレム神殿の庭で、両替人の台や鳩を売る者の腰掛けをひっくりかえして、人々に教えてこう言われたというのです。「わたしの家は、すべての国の人の 祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたがたは それを強盗の巣にしてしまった」(マルコ11:15-17)と。

・イエスが「強盗の巣」と呼んで批判したエルサレム神殿。そのことが一つの契機となってイエスが十字架への道に進まざるを得なかったことを、私たちは福音書の記事から知っています。しかし、最初のエルサレムにできた教会の信徒たちは、この使徒言行録の記事のように、ユダヤ教の敬虔な人々と同じように神殿に出入りしていたというのです。

使徒言行録2章46節には「毎日ひたすら心を一つにして神殿に参り」と記されています。しかし、今日の記事では、ペトロとヨハネは、ただユダヤ教の敬虔な人々を同じように午後3時の祈りをエルサレム神殿にのぼってきたというだけではありません。

・美しの門のそばに毎日運ばれてきて、そこで物乞いしていた生まれつき足の不自由な男の人が、ペトロとヨハネが宮に入って行こうとしているのを見て、施しを乞うたとき、この二人は彼を「じっと見て」(アテニサス)「わたしたちを見なさい」と言ったというのです(4節)。人を「じっと見る」ということは、その人の存在に注目することを意味します。眼をそらさないで、その人としっかりと向かい合うということです。そしてこの男の人もそれに応えて、二人を「見つめた」(エペイクセン)というのです。

・高橋三郎さんはこの「じっと見つめる」と「見つめる」という二つの動詞を駆使することによって、使徒たちがこの物乞いの人の存在に注目し、彼を人格的語りかけの対象として受けとめたこと、また彼(男の人)の方でも、使徒たちに心を向け、かくて両者の間に「我と汝」という応答の関係が成立したことを、ルカは鮮やかに示している。その背後にはこの物乞いに見向きもせず通り過ぎる多くの人々がいたことを、暗黙の中に語っているのである」(使徒行伝講義)と言っています。

・私はこの物語では、ここが大切ではないかと思っています。けれども、この物語では、このように続いていきます。「その男が、何かもらえると思って二人を見つめていると、ペトロは言った。『わたしには金や銀(原文は銀や金)はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい』。そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり躍ったりして神を讃美し、2人と一緒に境内に入って行った」(5-8節)「今まではからだの障がいの故に、神に呪われた者として、聖所に入りゆく人々の外に締め出されていたこの男の人が、今や神の憐れみによって、ただ肉体の癒しを与えられただけではなく、神を賛美する群れの中に、加わることが許された」(高橋)わけです。

使徒言行録のこの物語では、むしろこちらの方が強調されているように思われます。ルカはこの物語によって、最初の教会こそ、ユダヤ人に代わって、神に選ばれた「真のイスラエル」なのだということを、ここで言いたかったのでしょう。

・しかし、この言い方はイエスがめざした神の支配としてすべてのいのちを生かす神の国の福音とは微妙なずれがあるように、私には思われます。この生まれつき足の不自由な男の人が、「ナザレ人、イエス・キリストの名によって立ちあがり、歩きなさい」とペトロに言われ、癒されて歩き出したということは、確かに男の人にとっては解放のおとずれだったに違いありません。しかし、生まれつき足の不自由な男の人が、そのままで人々に担がれて神殿に自由に入ることが出来、物乞いをしなくても生きていけるということは、この男の人だけの解放ではなく、同じ立場の人すべての解放ではないでしょうか。そのような人を神殿の門の中には入れないような、敬虔な人たちだけがお参りすることのできる神殿など崩れ去ってしまうことが、真の解放ではないでしょうか。

・イエス神の国の福音は、このことを前提にして、たまたまイエスとの出会いによって病が癒され、悪霊に憑かれた人が悪霊を追い出してもらったのは、この人たちだけの喜びではなく、神の国が今ここに到来していることのしるしとされているということではないでしょうか。癒しは結果であって、それが目的にされるならば、イエスの福音においては本末転倒になるのです。

・ですから、この美しの門の物語は、もしイエスに即して再構成するならば、あの中風の男を友人たちが担いでイエスのところに連れて来たように、この生まれつき足の不自由な人を担いで神殿に入っていき、そこにいる女性も子供も非ユダヤ人も、婦人の庭までとか、異邦人の庭までというのではなく、その区切りをすべてとっぱらって、みんなで一緒に入り、神を讃美して、まさに全ての人の祈りの場に神殿がなるというイメージではないでしょうか。

エルサレムに最初にできた教会には、そのような信仰はありませんでした。むしろ、ギリシャ・ローマ世界(ヘレニズム)の世界に教会が広がって行くことによって、エルサレム神殿が相対化され、ユダヤ人と非ユダヤ人との共同の食事が為されるようになります。パウロはガラテヤ書3章26節以下で、このように語っています。

・「あなたがたは皆、信仰により、キリスト・イエスに結ばれて神の子なのです。…そこではもはや、ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません。あなたがたは、皆キリスト・イエスにおいて一つだからです」(3:26-28)。

パウロは、この言葉をキリスト者の仲間を前提にして語っていますが、イエスにおいては、キリスト者もそうでない人も皆神に造られた者であって、皆神にあっては一つなのではないでしょうか。

・他者に見向きもせず通り過ぎるのではなく、見つめ合う関係を通して全ての者にいのちを注ぐ方の下で共に在り、共に生きる道をイエスに導かれながら歩んでいきたいと願います。