なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(161)

 今日は「父北村雨垂とその作品(161)」を掲載します。       
      
            父北村雨垂とその作品(161)
  
  原稿日記「一葉」から(その44)

  難解性の問題について(7)(1月23日に続く) 
 
          川研 239号(1969年[昭和44年]11月)、240号、241号発表

 かつて私が〈私〉という主題に「分裂の抽象的世界像」という副題をつけて柳誌「鷹」33号に発

表した ―これは片山哲郎君の好意によってである― その作品について少し弁明しておきたおと

思う。あの作品100句は私自身「難解」を覚悟のうえで作品もし、発表に踏み切ったものであった

が、当然のように黒い反応が私の目に耳に返って来た。A氏は柳歴20年以上の人々、たした10人と

か20人とかと書いてあったが、その誰もが解らなかった。故にこれは川柳ではないと決めつけてい

た。B氏は〈あんなものは文学じゃない〉と手きびしいものだった。C氏はあの作品はどういう意

味であるか説明して呉れと、わざわざ手紙を下された。一人D氏は〈作品に「私」と入れてあるの

がいや味であり、これがなければ解るような気もする〉と同情的であった。こうした人々に私はい

までも、とにかく見ていただけたことに感謝しているが、殊にD氏の言葉には反省している。しか

し私が一句毎に入れた「私」はその意途はD氏が考えている作者である雨垂を指した「私」ではな

かったのである。あの「私」は作品そのものが語る「私」であって、作品それ自身が他者である鑑

賞者に語りかける「私」なのである。この点、作者としての私を反省させて下されたD氏には今日

でも感謝の念が殊に深い。と同時にあの作品から「私」をとり去った場合を考えるとD氏のことば

をすくなくともその当時に於ては気にかける必要もあった。つまり東京大学のある教授が夏季講座

で話された、いわゆる形而上学の出来そこないになってしまう危険が多分にある様に考えられるか

らである。そうした陥穿から逃れるためにも「私」はどうしてもはずす訳にはいかなかった。由来

 私は作品は作者によって作品えと完結された、その手を離れた時点に於て作品は一個の獨立した

主体である。人格でありその意味では、その作者もその作品にとっては他者になるものと考えてい

る。故に「私」は作品自らが語る個の私で、そうみていただいて鑑賞されること、作品と鑑賞者と

の対話を意途した作品であった。それとあの作品は100句がことごとく破調であり自由律であった

がそれもさうせざるを得なかった。それを私はいわゆるバロック風にと考えてのことであったが、

これも完全に失敗であったようである。とにかく川柳や俳句のように、極度に短い型を強いられて

いる作品というものは、その内包するものによっては非定型も考えてよいのではなからうか。唯こ

の「私」については、その後中国の物理学者汪容氏が北京科学シンポジウム1966年夏季物理討論会

で30数カ国の科学者が参加した全体会議で ―7月26日午前― 素粒子はこれ以上細分出来ない物

質構成の基本であるという現在の理論に対決する新理論を発表し「中国物理学者は毛沢東主席の、

あらゆる事物はすべて“一分二為” ―すべてのものものは分裂して二つになる― という教えか

ら基本素粒子も分裂して二つになる物質の内部構造には無限の要素があると考えている」と注目す

べき発表を行ったと新聞に発表していたが、私があの「分裂」を発表したのが1965年12月だったと

記憶している。そのとき、とも角半年ではあるがさきに ― 詩と科学とはもちろん異質のもので

あるが ― 発表できたことにまた別な喜びがあった。もちろん毛沢東氏の一分二為と私の分裂と

には根源的にも大きな差があることではあるがそのとき、こうした科学者に至るまで毛氏の権力が

浸透していたことは氏の偉大さを改めてみたような気がした。

 少し話がそれたようであるが、本誌の幹事であり特異な作風と異状なほどに鋭い感覚の所有者で

ある福島眞澄の作品が、よく〈難解〉である様に言われているので少し鑑賞してみよう。


 劣等生呵々ときらめくは陽掌

 狂ひ日傘の蝶の屍の原赤児を摘みに

 梟木堆めば子を連れに行く馬がくる

 雪が空に積り人間は崇高に歪められ

 肋骨がない零のサイン振る白い掌

 雲母の凾を廻り父の風景の辞典をめくる

 マクベスの妻よ妻は黒い掌なりしを

 指人形の静寂を吹かせ夫がいない

 笛の歸帆の鱗噴きいづ姙りや

 おとなえば群鳩が翔ち俄かな枯野


 とりあえず以上十句を拾ってみたが、これらの作品で、まづ気がつくことはその構成とその内容

が他の作家の作品との間に断絶があるということである。つまり作品する作者の態度がすでに他の

作家と異質なものがある。一般川柳のような短詩の性格としては語ることが常態であるが、眞澄の

これらの作品は、語りつつ同時に問う姿勢をもっている。対話することを求めるというような表現

の姿勢ともとれる。これ等の作品はそのいづれもがそうした姿勢によって眞実 ―もちろん詩に於

ける― を求めて共感者と対話することを内臓している。

                               (続く)