なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(94)

          船越通信癸坑粥 。横娃隠廓2月3日         

・1月27日の礼拝も前回(1月20日)同様5名の出席でした。礼拝後、Wさんが持ってきて下

さったアップルパイをいただきながらお茶の時を持ちました。皆さんが帰った後、その日夕方から

翌日にかけて日本基督教団性差別問題連絡会の全国集会が横浜の情報文化センターでありましたの

で、私はその会に参加しました。この連絡会は、2002年の秋に開催された第31/18回教団

総会でそれまであった教団の性差問題特別委員会の継続が認められず廃止になったことを受けて、

自主的に集まって出来た連絡会です。2004年の秋の第32/19回教団総会で性差別問題特別

委員会の再設置の議案が諸教区から出ましたが、その教団総会ではすべて否決され、それ以来は再

設置という形ではなく、自主的な運動として全国連絡会の活動が続いています。今回は神奈川と東

京の人で実行委員会が構成され、準備しました。

・発題では全国連絡会の歴史の振り返りがあり、数名の発言者が性差別問題との取組を自分という

個のレベルからもう一度捉え直すという切り口から、それぞれ発言しました。発題者の話の最後

に、「痛みよりも怒り」ではないか。それぞれの怒りを共に担うことはできるが、怒りの共有は難

しい。怒りは個別での怒りであり、みんな同じ怒りをもつことは難しいからとの発言がありまし

た。そのことに触発されて、発言者からは、怒りを言語化して相手に伝える難しさがあり、語り切

れるだろうかという問いかけがありました。また、自分はこの間気になっていることは、権力構造

が見えないということだ。時には、あの人は口が立つということで、被害と加害の関係が逆転した

りすることもある。キリスト教の場合も、「仲良くしましょうよ」とか「俺の言うことを聞け」と

いうことで、怒りが権力構造に取り込まれてしましい、何時しか怒ることをやめてしまう。差別を

指摘されて、「ありがとう」とか「ごめんなさい」という対応には、教会的なある暴力が働いてい

るのではないか。「赦し合い」とか「感謝」ということで、ごまかされて、何も前に進まないとい

う現実も教会にはある。そこには、教会的な曖昧な平和主義があるように思われる。

・私は発題者と発言者がパネルディスカッッションのような形で応答し合っているのを聞きなが

ら、自分には自分の存在を日常的に否定されることがあるだろうか。確かに戒規免職問題によって

私は教団から自分の存在を否定される経験をして、強い怒りを感じていますが、日常的な生活の中

では少なくとも性差別に関しては余り自分の存在が否定されるという経験はないように思うので

す。父権制社会の中で自分は男として生きているからだろうかとも思いました。しかし、それは自

分の身体が社会規範や共同観念によって覆われていて、それらが裸の自分として他者と関わること

から自分を遠ざけているようにも思うのです。そのために裸の自分の身体で物事を感じ取るという

ことができなくなっているのではないか。

・裸の身体である私が本当の自己だとするなら、日常の私の中には、日本社会の中での男というあ

る種の観念としての「われわれ」が浸潤していて、それを私と言っているようにも思われます。妻

から「あなたは私のことなどちっともわかっていないのよ」と突き付けられて、観念としての「わ

れわれ」という私が破られて、裸の身体である私が現われ、それが個としての本当の私であるよう

に思うことがあるのです。そこで言い訳できない形で彼女を傷つけた自分を感じるのです。この観

念としての「われわれ」は女性の中にもあるように思います。としますと、女も男も、裸の身体で

ある本当の自己をベースにして、そこからあるべき対の関係や共同の関係の在り方を再構築してい

くことによってはじめて、社会的な規範を相対化してゆくことができるのではないでしょうか。

個々の怒りを共に担うということも、そのような対関係や共同の関係の再構築を意味するように思

います。批判のための批判ではなく、新しい関係を築くという方向で性差別の問題が担われていけ

たらいいなあーと、全国連絡会に参加して思わされました。

・28日(月)は、上記全国連絡会のオプションとして「寿に行く」という企画があって、10数名の

方を寿に案内しました。なか伝道所で女性のホームレスのことを自立支援センターにある横浜市

ら委託されてホームレスのパトロールをしている人から話を聞き、三森さんから寿について、時間

がなく短く話してもらい、その後寿の町を私が案内し、散会しました。兵庫から来た方がどうして

も中華街の山東の水餃子を食べて帰るというので、同調者と私たち9名で中華街に向かい、月曜日

の夕方早目ということもあり、並ばないで9名が山東に入ることができました。水餃子の他にエビ

の香味揚げと菜物をとり、飲める人は生ビールで喉をうるおしました。皆さんと別れて、鶴巻に帰

ったのは夜も大分遅くでした。

・29日(火)は8:45に京急田浦駅近くで、横須賀の路上生活者のパトロールに行く自動車と待ち合

わせをしていましたので、朝6時過ぎに鶴巻を出て横須賀に向かいました。ちょうど8:;45に待ち合

わせ場所に着き、既に待機してくれていましたSさんが運転する自動車に乗ってパトロールに向か

いました。今回は横須賀中央近辺を中心に、汐入近辺、高速道路下、図書館、うみかぜ公園を回

り、6名の方とお会いし、Hさんがつくってくれましたおにぎりを配り、中にはSさんが用意した

モーフを渡す人もありました。12時過ぎにパトロールは終わり、私は横須賀中央駅で降ろしてもら

い、鶴巻に帰りました。

・31日(木)には私の裁判関係で「公正判決を求める要請書」署名を支援会事務局のKさんとTさ

んが裁判所に提出してくれました(31日現在個人・団体含めて4,000筆を越えているようです)。

2月1日(金)にいは、なか伝道所に支援会通信5号10部を届け、寿の炊き出しの配食に参加し、終

わってからの報告集会にも出席して、船越に戻りました。2日(土)は午後寿地区センター講演会

紅葉坂教会で行われ、私も参加しました。この報告は次回船越通信に回します。