なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(96)

           船越通信癸坑供 。横娃隠廓2月17日        

・2月10日の日曜日は、礼拝後しばらくお茶をいただきながら懇談をして散会しました。私も2階の牧師館で片付をしてから、船越教会を出ました。午後1時半過ぎでしたが、まだIさんだけ一人教会に残って、24日のフリーマーケットに出す物品の値段つけをしていました。この日は連れ合いが関わっているNPOの事務所の引っ越しで、もしかしたら私にも手伝ってもらうかもしれないと言われていましたので彼女に連絡しましたが、その必要がないというので、海老名で夕食の買い物をして鶴巻に帰りました。その夜、翌日2月11日の2・11集会への参加をどこにしようかということで、神奈川教区西湘南地区ヤスクニ問題連絡会主催の「死者との向き合い方が戦争をつくる~カトリック教会と靖国問題~」という題で、カトリック相模原教会主任司祭の浜崎眞実さんの講演会に出ることにしました。

西湘南地区の2・11集会チラシにある主催者の呼びかけは以下の通りです。「東北アジア諸国における国家主義の強まりから、国境問題で緊張が続いています。日本におけるヤスクニ問題に限らず、戦争において国家と個人の関係は、各国ならび、そこに生きる人々の課題です。/今回カトリック教会の浜崎眞実神父を迎えて、『国家と個人』『宗教と個人』という相関生から、長い伝統を持つローマカトリック教会における殉教者賛美の実例などを紹介していただき、キリスト教の課題として共有したいと、思います。平和を標榜して、戦争を巻き起こす国家と同様に教会にも落し穴があります。キリスト教信仰における課題を、「死者との向かい合い方」から共に考えましょう」。

・浜崎神父の用意して下さった資料の一節を紹介させていただきます。これによって浜崎神父の講演の内容が集約されていると思われるからです。「宗教における究極の人権侵害」というテーマの以下の文章です。

・〈かつてシスターといっしょにハンセン病療養所のカトリック信者の方を訪問したことがあります。そのとき、シスターは入所している人に「本当に苦しんだ人の祈りは本物ですよね。そのお捧げした苦しみはみんなのためになっているのよね」などと語りかけていました。わたしはその発言を傍で聞きながら、ものすごい嫌悪感に襲われました。それは語りかけられた相手の嘆いたり告発したりする回路をふさいでしまっていると感じたからです。ハンセン病とのレッテルを貼られそのために不条理な目にあい未だに言葉にならない体験を神の摂理とかでくるんで感謝を強い納得の装置として機能している宗教は、「究極の人権侵害」と『ハンセン病問題に関する検証会議最終報告書』(2005年3月)で指摘されました。そのことは別の表現を使うと「靖国教」と同じ構造がキリスト教の中にもあるということだと思います。すなわちそれは弱者保護に名を借りた権力行使(パターナリズム)で、ある行為や出来事を一方的に名づけて定義するものです。その暴力性は靖国神社の「感情の錬金術」と呼ばれるものと同じではないかと思います(身近な人の死に接して、本来悲しみや怒りや嘆きの感情があふれるのでしょうが、「お国のために命をささげた素晴らしい死」と称えられることで、感謝とか誇りの感情へと変えられていくのを高橋哲也さんは「感情の錬金術」とよんでいます。)〉

・浜崎神父は、カトリックの教えの否定面を丁寧にお話しされましたので、その会に来ていたカトリックの年配の信者の方でしょうか、現在のカトリック教会はそれほどではないと言われていました。浜崎神父は、訥々といた語りでしたが、話されていることには説得力がありました。

・私の裁判の「公正判決を求める要請書」署名は、13日に連名110筆、個人・団体3筆(団体3筆)を郵送で裁判所に送り、最終的に連名4766筆、個人・団体335筆(内団体75)になりました。支援会事務局長のKさんのメールでは、5000筆に少し届かなかったとありましたが、数えてみると連名と個人・団体を合わせますと、5,101筆になっています。連名と個人の両方に名前を書いている人も少なからずいますので、5,000筆強ということでしょうか。本当に沢山の方の御協力に感謝の気持ちで一杯です。ありがとうございました。

・14日(木)には、国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに参加しました。私はこの一週間で沖縄に関する本を2冊読みましたが、両書共に全国的な支援の中で行われています辺野古や高江の反基地闘争が大きな意味を持っていることに触れていました。新崎盛暉さんの『構造的沖縄差別』と小森陽一編の『沖縄とヤマト~「縁の糸」をつなぎ直すために~』です。また、構造的差別において沖縄と3・11以降の福島は通底しているということも、そうです。辺野古や高江に関わる人たちの年齢層は高いのに反して、福島は放射能の問題ということで反原発の運動には小さな子どものある家族のような若い層の人々も関わっているわけですが、この沖縄と福島に関わる両方の人たちが一緒になって構造的差別に立ち向かうことができたらという可能性についても語られていました。政治や文明の問題には、私たち一人一人の成熟によってその危機を乗り越えて行く他に道はありません。「お任せ民主主義」では、かつて歩んだ戦争という悲惨な道を再び歩むということにもなりかねません。澤地久枝さんは、「かつての日本の社会といまを比較した場合、大きな違いは、市民が政治に対してちゃんとした意識をもって発言するようになった。これは非常に大きな変化であろうと思います。あきらめてはなりません。市民の目覚めに望みを託す以外に、わたしたちはこの国の政治にも経済にも先はないといいたい」(『未来は過去の中にある』43頁)と、ある講演で語っています。

・15日(金)には夜寿地区センターの委員会があり、この日はなか伝道所で委員会が行われましたので、私も出席しました。地区センターは昨年度から非常勤職員を加えて活動していますが、経済的には不安があります。今年度は昨年度よりは赤字幅が少なくて済みそうですが、お支えをよろしくお願いいたします。