なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(167)

 今週末から来週にかけて、私にとってはハードは日が3日続きます。23日(土)は神奈川教区の総

会、ここで今後2年間の三役、常置委員の選挙があります。24日(日)は、礼拝後船越教会でフリーマ

ーケットが模様され、16:30から20:30まで私が委員長をしています神奈川教区オリエンテーシ

ョン委員会主催、常置委員会共催の2012年度第4回オリエンテーションが行われ、テーマは「聖餐に

ついて」です。そして25日(月)には私の裁判があります。

 さて、今日は「父北村雨垂とその作品(167)」を掲載します。下記の中に、父が自分で健康のこと

に触れていますが、父は1970年1月に脳溢血で倒れ、半身不随のまま15年生きていました。亡くな

ったのが1985年だったと思います。ですから、下記の文章を書いているのは、倒れてから12年目く

らいで、亡くなる3年前ではないかと思います。父にとってはこの不自由な体でのベット生活の15年間

が、自分の人生の中で最も幸せな時期だったようです。それは、本を読み、思索し、川柳の句を作ること

だけに、ほとんど一日の時間を使うことができたからです。稼ぐために時間を使う必要もなく、人と会う

必要もなく、ただ自分の世界の中で生きることができたからです。人間の可能性の一つである思索の世界

によって、毎日ベットだけの生活でも、人は生きる希望と意味を見いだせるものなのだということを、私

は自分の父親から知らされたと思っています。


               父北村雨垂とその作品(167)
  
  原稿日記「四季・第一號」から(その5)

 釈宗演師はその著『粘華微笑』の中四、剛堅なる意志について説く際例話として昔紀章なる人が射射を

飛衛に学んだ経過を精しく語っているが、 ―117頁8行以下― 斯うした物語りは仏教殊に法華経

はじめその他の経典にしばしばみられるロマンスであり、而もその傑作の一つでそれを禅学に於いて重ね

て云うところの信仰と座禅、修養即実践なる行のうちに、又は間に生成する、云わば解明することの不可

能な一つの秘密と私は表現しておくが、そうした或るものなのである。故にこの秘密とも形容するところ

の生成された或る様態は彫刻、絵画或は詩歌、音楽などなど芸術の内に観られる絶対的な存在性のことで

ある。これが禅学に於ける「悟り」と云う終極の目標である。換言すれば禅に於ける目標即ちその目的を

目指す曰わば解明することの不可能な一つの秘密へと指向する公道即ち道程でもあらう。禅即こころと云

ひ今日現在まで不可解な存在型態であることは而しそれなりに認識を可能にしている現在、いわゆるダル

マ→[眞理→法]云うところの不識につながるものと考えられる。それに続く「無」とか「虚」などが指考

される何とはなしに安定を缼く命題とも云える命題で通しているものと唯々外に云ひ様もなくひたすら頷

く許りである。
                         1982年(昭和57年)11月10日 雨考

 吾々は殊更に自己を身体と精神二つに分析して人間の二重性を考へるが、元々身と心は一つであり、そ

れが生きた身体であり生命である個体なのである。それ故に精神の缼除された身体は正確に曰えば人間と

云うのではなく単なる『物』であり、生きた身体で在る限りに於いての人間であり、さうした存在が眞正

の人間なのである。即ち生きた身体には必然的に精神があり影が形に添っうている如くに否それ以上精密

に合成されている分割の不可能な形態を持続する存在なのである。

                         1982年(昭和57年)11月12日

 修業即実存

 宗教に於いては哲学に於いて曰うところの所謂絶対者を神とか仏とか命名して所謂神格化しているが、

哲学者の多くは超思惟的或るものとして生死―生成、消滅を重視するとして環境に於ける拡大一括して世

界とし、存在をこの世界内存在として個の実存を意識するが、宗教は世界を自然を創造した超越者として

神或は結論的に意味を同じくする仏即ち超越者の指示として善悪を差別し、信仰を絶対視して、修行によ

って実存を意識する。
                        1982年(昭和57年11月28日

 私は私の生涯に於いて幸か不幸か私の信頼する禅学の長老と面接する機会さえ持てなかった関係から、

専らそれ等長老の著書に頼るより方途がなかった。その故に解脱の問題に就いて開眼の証明は得べくも無

かったし、勿論自信もなかった。さうした訳で現在の私はひたすら解脱でなく覚醒と云う状態えと心を集

中することに努めて今日に至っている。覚醒なる表現を考えたのは解脱と云う画然たる意識のない言うと

ころの野狐禅であるかも知れない意識をも含めた意識をも容認する意識をこの新語なる覚醒に充分含まれ

ていると考えたからである。
                         1982年(昭和57年)11月29日

 私は常に禅にも注目しているが素より禅者ではないし、否全く素人で禅の修行は一切実践した事実もな

い唯々禅については常に興味を持って禅に関する書をひもとく程度であるが、ここ十数年脳出血の後遺症

として身体不自由の関係から残念ながらその機会も得られず、漸くベットに腰掛けて讀書や筆書などする

程度での生活からの発言で、本格の禅者からみれば所謂野狐禅の域を出ておらぬと云われるであらうが、

結局東洋近・現代の哲学を含めた西欧的哲学をつまみ讀みしただけの全くの素人である。それが私の全思

想であることを告白しておく。故に若し讀者ありとすれば、この事実を念頭におかれてこうした機会に生

きた者の「生の人間」の立識をみていただければ正に幸甚とするものである。

                         1982年(昭和57年)12月1日