なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(17)

       使徒言行録による説教(18)使徒言行録5:1-11、

・今日の使徒言行録の「アナニアとサフィア」の物語は、これを素直に読んで見て、一体この物語のどこに福音に値する語りかけがあるのだろうか、と疑わざるを得ません。前回扱いました「バルナバ」とは対照的に、同じように財産を売り払って、一部を隠しておき、全部を献金に出さなかったことが、「聖霊を欺き」「神を欺く」行為とされて、二人は立てつづけに突然死してしまうのです。そしてエルサレムの教会の若衆(新共同訳では「若者たち」「青年たち」)によって墓に葬られたというのです。

使徒言行録の今日の記事によって、もう少し詳しくこの物語を振り返ってみたいと思います。5章1節以下に「ところが、アナニアという男は、妻のサフィアと相談して土地を売り、妻も承知のうえで、代金をごまかし、その一部を持って来て使徒たちの足もとに置いた」(1,2節)と記されています。「ところが」と言われていますから、これは明らかにこの前の物語の中で同じように献金したバルナバとの比較で語られていることがわかります。バルナバも、「持っていた畑を売り、その代金を持って来て使徒たちの足もとに置いた」(4:37)とあり、おそらくバルナバの場合はその代金の全部を献金したということなのでしょう。

・この土地を売った代金の一部しか献金しなかったアナニアに対して、エルサレムの最初期の教会を代表していたペトロが、次のように4節5節で言ったというのです。田川訳で読んでみます。「アナニアよ、何故サタンがあなたの心を満たし、その結果あなたは聖霊をだまし、土地の代金の一部を取っておくようなことをしたのか。自分に残しておけば残ったではないか。売ったとしても自分の権利のうちである。それをどうして自分の心の中でこういうことを考えたのか。あなたは人間をだましたのではなく、神をだましたのだ」(3,4節、田川訳)。

・何かこのペトロの物言いは、アナニアよりも一段上に立って、権威ある者がその権威を盾にしてアナニアの行為を裁いているかのように聞こえます。おそらく使徒言行録の著者ルカには、後の教会が按手を施して教職を立て、その教職に使徒性という権威を付与して、信徒とは違って一段神に近い存在のように考えたことが、最初期のエルサレム教会にも既にあったかのように描いているように思われます。使徒言行録のこの物語では、ペトロの言葉を聞くと、「アナニアは倒れて息が絶えた」というのです。ペトロの権威ある言葉によって、聖霊をだまし、神をだましたと言われたアナニアは、あたかも神の裁きによるかのように倒れて息絶えてしまいます。それを聞いた人々は皆恐れ、「若者たちが立ち上がって、死体を包み、運び出して葬った」(6節)というのです。

・「それから三時間ほどたって、アナニアの妻がこの出来事を知らずに入って」(7節)来ます。すると、ペトロは彼女に話しかけて、このように語ったというのです。このところも田川訳で読んでみます。〈「土地をそれだけ(の金額)で譲渡したのか、言いなさい」。彼女は答えた、「はい、これだけです」。ペトロは彼女に言った、「あなた方が共謀して主の霊を試みたのは、どういうことか。見よ、あなたの夫を葬った者たちの足が戸口に近づいている。彼らがあなたをも運び出すことになろう」(8,9節)。「すると即座に彼女はペテロの足下に倒れ、息絶え」(10節)て、アナニアと同じように若者たちによって墓に運ばれ、夫のそばに葬られたというのです。そして、「教会全体とこれを聞いた人は皆、非常に恐れた」と記されて、この物語は終わっています。

・この物語に何らかの史実を想定できなとすれば、これは教会において虚偽を禁ずるための創られた教訓物語なのでしょうか。今日司会者に読んでいただいた旧約聖書ヨシュア記7章には、司会者に読んでいただいたのは1節だけですが、アカンの物語が記されています。アカンという人が、神に捧げるべき奉納物を盗んだために、神の罰がイスラエルに臨み、異民族との戦いに大負けしてしまします。そこでこの罪から民を清めてもらうために、下手人であるアカンおよびその全家族が石で撃ち殺されたというのです。荒井献さんは、この「アナニア・サフィアの物語がアカンの物語に擬してして構成された可能性はある」と言い、「しかしアカンは、アナニア・サフィラのごとく『懲罰の奇跡』によって殺されてはいない」(『使徒行伝』上、320頁)と記しています。アカンとその全家族は、ヨシュアが率いるイスラエルの民によって石撃ちによって殺されているからです。

・仮にもしこの物語が、何らかの実際に起こった事件に基づいて記されているとすれば、エルサレムの最初期の教会に於いて、何故このような事件が起こったのかを想像してみたいと思います。エルサレム神殿を中心としてエルサレムというユダヤ教徒の町の中に誕生した最初期のエルサレム教会は、ユダヤ教の一分派という形を取ってはいましたが、ユダヤ人社会の中では異質な集団としてユダヤ人社会の援護に与ることが出来ず、貧しいメンバーの生活の援助をはじめ、すべてを自分たちで賄っていかなければならなかったと思われます。バルナバやアナニア、サフィラ夫婦の様に財産のある者は、その財産を売って献金しなければ、エルサレム教会の維持ができなかったのでしょう。そのように経済的に恵まれた富裕層の献金によってかろうじて維持されていたエルサレムの教会において、自分の土地を売った代金をごまかして、一部しか献金しなかったアナニア・サフィラ夫婦の取った態度を、そのまま認めてしまえば、嘘偽を許容することになり、エルサレム教会の相互扶助の交わりが内部から破壊されて行くことにもなりかねません。ですから教会の交わりを内部から破壊するパン種は、分かった時にそれを取り除いておく必要がありました。使徒言行録の著者ルカは、使徒としてのペトロの権威とその背後にある神の権威によって、アナニアとサフィラの代金のごまかしを糾弾したように描いています。その糾弾が二人には心底からの脅威に思えたので、偶然にも二人ともショック死をしてしまったということなのでしょうか。全くあり得ないとは言えませんが、どちらにしても、あり得ないともあり得たとも断定はできません。

・ただエルサレムの最初期の教会と同時代のユダヤの国に存在した厳格な共同生活をしていたクムラン教団では、アナニア・サフィラの物語と同じように、「財産に関して偽った者に対する罰則がありましたが、正規の成員としての資格を一年間剥奪、また四分の一の減食という程度の処罰であって(宗規要覧6:24-25)、外に追放することはなかった」。「むしろ『父がその子らに対するように、彼らを憐れむべきであり、羊飼いがその群れに対するように、迷い出た者はみな連れ戻す』(『ダマスコ文書』13:8)ということが、本旨であった」(高橋)と言われています。この財産に関する偽りという問題において、このクムラン教団よりも遥かにエルサレムの原始教会の方が、罰則が厳しかったということなのでしょうか。少なくともこのアナニア・サフィラの物語からすると、そのように考えることが出来ます。

・このような集団としての規律が厳しく、ペテロのような使徒的権威を付与された指導者に指導を受けている信徒たちという、あたかも支配・被支配というような階層的な人間関係によって最初期のエルサレム教会が形成されていたとすれば、教会は最初期の段階から、ナザレのイエスの群れの在り方とは根本的に違っていたのでしょうか。高橋三郎さんは、使徒言行録で5章の11節に初めて出て来た「教会」(エクレーシア)という言葉に注目して、このように述べています。

・「本来ならば、五旬節の聖霊降臨の記事に続いて、三千人もの信徒が加えられた(2:41)とか、『使徒の教えを守り、信徒の交わりをなし、共にパンをさき、祈りをしていた』(2:42)と述べられるに当って、『教会』という言葉を用いてもよかった筈である。また、サンヒドリンの脅迫に抗して、信徒が一致結束した次第を語る4章も、「教会」という言葉を導入するに適した場所であった。しかるにルカは、なぜここに至って、初めてこの言葉を用いたのであろうか。こう問い返して見ると、本来キリスト復活の証人また福音宣教の責任者であった使徒たちが、ここでは同時に経済的管理者として立ち現れ、罪に対する処罰の権限すら託されて、『教会』が一つの法的・制度的団体としての枠組みを持ち始めた、という事情に注目せざるを得ない。もちろんこれだけの所見によって、明確に断定を下すことは控えねばならぬが、一つの制度的枠組みを持つ信徒の集団として、ルカが『教会』を構想していた可能性は大きいのである」。そのように高橋三郎さんは述べて、括弧つきで、「(但しこれが『エクレシア』の真にあるべき姿と結論することはできない。むしろ、あまりにおおきな不祥事が、これに結びついていたという事情を、心に銘記しておく必要がある)」と言っています。

・教会が信徒の集団として、法的・制度的な枠組みをもつことによって、イエスとイエスの下に集まった人々の群れがもっていた平等性、解放性を失っていくとすれば、私たちはそういう教会の法的・制度的な枠組みに対して、その危険性を十分認識しておかなければなりません。

・もしイエスの群れの中で、アナニア・サフィア夫婦のような行為がなされたとしても、イエスは今日の使徒言行録のペテロのように権威主義的に上から二人を裁くような振る舞いはしなかったのではないでしょうか。イエスだったら、この二人の虚偽をたしなめはすれ、言葉による説得だけで、彼らをイエスの群れの仲間から排除せず、彼らが気づきを与えられるのを、彼らのために祈りながら待っていたのではないでしょうか。

・十字架を前にして、大祭司の庭でイエスが審問を受けていたとき、その大祭司の庭に潜り込んで様子をうかがっていたペテロは、イエスの予告通り、三度イエスを知らないと否認してしまいます。そのようなペテロに対して、ヨハネによる福音書では、復活したイエスがペテロに三度「わたしを愛するか」と問いかけています。ペテロはそのイエスの問いかけによって、一度逃げ出した自分から立ち直って、再びイエスの弟子としての歩みをしていくことができました。過ちや失敗や裏切りに陥る私たち人間を癒し、立ち直らせ、イエスと共にイエスの群れの一員として歩ませてくださる方が、イエスというお方ではないでしょうか。そのイエスを信じる信徒の集団がエクレシアであるとするならば、今日の使徒言行録の記事は、エクレシアの真実からは遠い物語であると言わなければなりません。