なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(18)

        使徒言行録による説教(18)使徒言行録5:12-16、
              
使徒言行録の前回のアナニヤとサフィラの物語では(5:1-11)、この夫婦は、所有していた土地を売った代金を全部エルサレム教会に献金せずに、二人で相談して一部を自分たちのところに残し、これが全部の代金と言って献金しました。そのことをペトロが咎めると、二人とも死んでしまったという、エルサレム原始教会に起きた不祥事が物語られていました。このアナニヤとサフィラの物語は、エルサレム原始教会では、一致を妨げる偽りが厳しく裁かれていたことを示すものでしょう。そしてその裁きの権威が使徒たちに与えられていたというのです。この物語に続いて、使徒言行録では、エルサレム原始教会の様子が記されています。

・「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた」と、12節には記されています。使徒言行録の著者ルカは、エルサレムの原始教会をイスラエルの民に代わる神の民としての新しいイスラエルと考えていました。ですから、12節の新共同訳の「民衆」と訳されている言葉は原語ではラオスで、「民」です。このところを田川訳でみますと、こうなっています。「使徒たちの手によって多くの徴と奇跡が民の中に生じた」。使徒たちによってイスラエルの民の中に新しい出来事が生まれているというのです。それは、ガリラヤにイエスが現われて起きたと同じ、病や悪霊によって苦しんでいる人々が癒しによってその苦しみから解放されていく出来事です。

使徒言行録のこの癒しの出来事を記す15節、16節は、あたかも迷信的な趣があるかのように描かれています。ここも田川訳で読んでみますと、「大通りに病人が連れて来られ、床や寝床にのせられていた。ペトロが来た時に、ペテロの影が彼らのうちの誰かにでもあたらないかと(思ったのである)。また、エルサレムの近隣の町々からも大勢が、病人や、汚れた霊によって群衆化されている者たちを連れて集まって来た。彼らは皆癒された」。この中に「ペテロの影が彼らのうちの誰かにあたらないか」とありますが、福音書のイエスの物語の中には、12年間も長血を患って、全財産を使い果たしてしまった女性が、イエスが通るのを知って、イエスの衣にでも触れたら治してもらえるのではないかと、必死になってイエスの衣に触れるところがあります。すると、その女性の長血がすっかり治ったという物語です。この使徒言行録の記事は、「ペテロの影に当ったら」ということですから、イエスの場合の衣よりも、もっと神話化がすすんでいるように思われます。福音書のイエスよりもさらにそのルカの考えによって強調され、理想化したエルサレム原始教会の姿が描かれているのではないかと思います。ここには、「エルサレムの近隣の町々からも大勢が、病人や、汚れた霊によって群衆化されている者たちを連れて集まって来た」と記されていますが、エルサレムの周辺には町々はありません。また、実際にこのように癒しを求めてくる人々すべて人の病が癒され、悪霊が追放されたとは考えられません。使徒言行録の記事には、明らかに著者ルカの誇張があると思います。

・けれども、エルサレム原始教会において、病や悪霊に取りつかれている人々の苦しみに、イエスと同じように真正面から向かい合って、その生活の苦しみから人々が解き放たれることを願って活動していたということは事実でしょうから、私たちはそこに注目したいと思います。病は、何と言っても古代のユダヤ社会では、貧しさのゆえに食べることにも困窮していた民衆にとりまして、食料を得るということとともに、彼ら彼女らの生存にとって最大の問題であったと思われます。

・アナニヤとサフィアの物語を含めて、エルサレム原始教会の富める人たちが土地や財産を処分したお金を教会に献金したのも、食べることにも困っていた人々を援助するためでした。病の癒しと共に、民衆の一人一人の命と生活にかかわる問題に、エルサレム原始教会は深く関与していたのです。一方で大胆にイエスの福音を言葉で語ると共に、苦しむ人びとに仕えて働く業にエルサレムの原始教会は力を注いでいました。説教者としてのペテロと癒し人としてのペテロの活動は、ただペテロだけがそうしたというのではなく、エルサレム原始教会そのものの在り方を伝えているように思います。

・しかも、そのようなペテロを代表とするエルサレム原始教会の働きは、ルカによれば、聖霊の働きそのものとして捉えられています。大胆に言葉でイエスの解放のおとずれとしての福音を語ることも、また病人を癒し、悪霊に取りつかれている人から悪霊を解放する癒しの業も、聖霊の働きなのです。聖霊の働きということは神の御業を意味します。神の御業が直接にではなく、使徒たちを代表とした信徒たちを介して人々の中に展開されているということを、ルカは強調しているのでしょう。

・そのようなエルサレム原始教会の人々が、エルサレム神殿のソロモンの回廊に集まっていたことが、12節後半から14節にかけて記されていいます。「一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。しかし、民衆(民)は彼らを称賛していた。そして多くの男女が主を信じ、ますます増えていった」(12節b~14節)。

・3章11節以下では、ソロモンの回廊でペテロとヨハネは集まって来た人々に、イエスの十字架と復活について説教をしています。ソロモンの回廊はエルサレム神殿の中にあって、神殿に参拝する沢山のユダヤ人がいるところです。ある意味でエルサレム神殿のソロモンの回廊という場所は、ユダヤ教徒の中心的な場所と言えるかも知れません。そこで使徒たちは福音を述べ伝え、またそこにエルサレム原始教会の信徒たちが集まって来ていたと、ルカは記しているのであります。

・ここにも古きイスラエルの民に代わって、エルサレム原始教会こそが真のイスラエルであるというルカの考えが現われているのでしょう。

・さて、12節後半から14節の記事には、ただ読んだだけでは、少し腑に落ちないところがあります。「一同が心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていた」というのは、今申し上げた通りエルサレム原始教会の人々です。続いて、「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった」とあります。ここでの「ほかの者」とは、文脈からすると、エルサレム原始教会の人々以外のユダヤ教徒たちということになるでしょう。彼ら彼女らは、エルサレム原始教会とその人々を自分たちとは異質な存在として見ていて、その仲間になろうとは考えなかったというのです。「しかし、民衆(民)は彼らを称賛していた」。ここの民衆(民)と「ほかの者」とは同じ人々だと考えられますから、彼ら・彼女らはエルサレム原始教会とその人々を自分たちとは異質な存在として区別してその仲間にはなりませんでしたが、しかし、ちょうどユダヤ教徒に対して非ユダヤ教徒の異邦人が、ユダヤ教徒の生活に接して、ユダヤ教徒の生活がまじめで立派に見えたので、ユダヤ教には改宗しませんでしたが、ユダヤ教徒をすばらしいと称賛していたのと同じように、ユダヤ教徒ユダヤ人たちがキリスト教徒の人たちを称賛していたというのです。相手を自分たちとは異質な存在ではあるが、尊敬するということはあり得ることです。

・そして使徒言行録のこの記事では、「そして多くの男女が主を信じ、ますます増えていった」と記されているわけです。つまり、最初は異質な存在として、称賛はしていても、仲間にはならなかった人たちが、その壁を越えてエルサレム原始教会の人々の仲間に加わる人が多く出てきたというのです。

・現在でも教会は敷居が高いと、よく言われます。どうも入りにくいと。そのために伝道に熱心な教会は、敷居を低くするために、演奏会等を開いたりなどしています。現在の日本基督教団は、まじめになってこのことを問題にして、「伝道アイデアパンフレット」を伝道委員会で作って教団の全教会に配布しています。嘆かわしいというか。

・教会は宣伝や強制力によって人を集めても、惹かれるものがなければ、また人は去って行きます。この前「聖餐について」の神奈川教区のオリエンテーションで発題して下さったKさんは、クリスチャンの家庭に育って、親から言葉で教会に行くように言われるのには抵抗があったが、夜自分の部屋で祈っている母親の姿を見て、自分は信仰に導かれたという趣旨のお話しをしていました。エルサレム原始教会の場合は、勿論祈りも「ほかの人」を惹きつける教会の人々の証しであったと思われますが、今日の所に記されているのは、言葉による宣教とともに、癒しの働き、つまり苦しんでいる人々の現実に真正面から向かい合って、その人々の苦しみを共に担い、その苦しみからの解放のために生きる、ルカにしてみれば聖霊の働きを担う信徒の証しこそが、「ほかの人」を惹きつけ、「ほかの人」には異質な存在であったエルサレムの原始教会の仲間に、その壁を「ほかの人」自身が越えてなるということが出来事として起こったというのです。

・私たちの船越教会は少人数の教会です。またメンバーもこの地域で生活している人は数名です。けれども、どんなに少人数であたとしても、教会の生命であるイエスの福音とそのイエスの福音によって押し出されて、この世の中で命と生活が脅かされている人々に仕えていく祈りと業としての証しの豊かさをもって、世に仕える教会として立っていきたいと願います。