なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

父北村雨垂とその作品(181)

 昨日農村伝道神学校に行く機会があり、新芽が噴出している淡い緑がいっぱいの木々に見渡しながら、

校内を散歩しました。そして、ここは別世界という印象を強く持ちました。いいところです。タケノコも

出始めているようです。

 
 さて、今日は「父北村雨垂とその作品(181)」を掲載します。

   
            父北村雨垂とその作品(181)
  
  原稿日記「風雪」から(その2)

 ギリシャ人の場合悲劇の起源がどこにあるかと云った心理学的問題をとりあげるとしたら根本的にはギ

リシャ人が苦痛に対してどういう関係をもっていたかを彼らの感受性の問題であるとしてその度合い、美

に対する渇望、祝祭や歓楽や新しい祭式に対する欲望が強くみられるが、それが果たして欠乏やメランコ

リーや苦痛から生じたものかどうかと云う問題こそ根本的な問題であるとするペリクス(或はツキジデ

ス)が示唆している様な ―かりにそうだとすれば、それなら時代から云えばその先きに現われたこれと

正反対の欲求、醜いものに対する渇望はどこから来たのかと云う。渇望はどこから来たのかが問題になる

べきだとし、ペシミズムや悲劇的神話、生存の根底にあるすべての怖ろしいもの、邪悪なもの、謎めいた

もの、破壊的なもの、不吉なもの、姿、形に対して古代ギリシャ人はげしい好意をよせているが、それは

なぜかと云うこと ―つまり悲劇は快感から生まれたのではないのか。力から、満ちあふれる様な健康か

ら、あり余る充実から発生したのではなかったか? また悲劇芸術も喜劇芸術も、そこから発生したあの

狂気、ディオニウソス的狂気は生理学的に云って、どの様な意味をもつか。これは精神病院の問題だが、

健康からくる神経病といったものがサチュロスに於ける神と山羊のあの一心同体は何を意味しているか。

ギリシャ人が根元的人間とも云うべきディオニウス祭の熱狂者をサチュロスと想像せざるを得なかったの

はどういう自己体験に由来し、どんな衝動にもとづいているのか、更に悲劇の合唱団の起源についていえ

ば、ギリシャ人の肉体が花と咲き魂が生命力にみちあふれていたあの数世紀にひょっとしたら風土病的な

熱狂が生じたのではなかったか? 全共同体に礼拝の全会衆に伝えていった幻視や幻覚であったのではあ

るまいか。ギリシャ人がその青春の豊かさに悲劇的な意志をもちペシミストであったとすればどうであら

うか。プラトンの言葉を借りながらギリシャに最大の祝福をもたらしたのはほかならぬあの狂気だったと

あれば、どうであろうか。他面また逆に、皮相に浅薄化し、いよいよ俳優的となり、論理にとらわれ世界

の論理化を熱望し、つまり「明朗」にあると同時に、ますます「科学的」になっていったとすれば、どう

であらうか。楽天主義が勝利をおさめ合理性が幅を利かすようになり、実践的ならびに理論的な功利主義

があらわれて来ると云うことは、それと時代を同じくする民主主義そのものと同様、ことによると ―私

の云うことはあらゆる「近代理念」と民主主義にさからうことになるけれど― 低下する力、近づく老

齢、生理学的疲労の一徴候かも知れないと云うのはどうだろう。そしてペシミズムこそ― まさにそうで

ないと云えるのではないか。エピクロスはまさに悩める者として楽天主義者ではないか? ―こうした難

問をこの本は背負っているのだ。その上もう一つ一番むづかしい問題をつけ加えてみよう! 生の観点か

らみるとき ―道徳とは何を意味するのか?…

 註:以上殆んど岩波文庫秋山秀夫訳文をそのまま書き写したもので体調回復を待って再検討すべきもの

である。


 ニーチェ悲劇の誕生古代ギリシャの悲劇意識の構造をアポロの知的形態とディオニウスの情熱的形

態とを素材としたもの。その意味でサチュロスやマイモニデスを好個のモデルとした観があるし、後日ま

た触れるであらうが彼の音楽の美学もこの酒神賛歌が第一に採り上げられる要素がここに在ると考えられ

る。