なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(22)

         使徒言行録による説教(22)使徒言行録6:1-7
              
使徒言行録の4章には、エルサレムの原始教会は持ち物を共有していて、信者の中には一人も貧しい者はいなかった、と記されていました。4章の32節以下ですが、そこにはこのように記されています。「信じた人々の群れは心と思いを一つにし、一人として持ち物とを自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。・・・・信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである」(4:32,34,35)と。

原始共産制社会を思わせるエルサレム原始教会の姿ですが、実際にはこのような理想的な姿であったわけではないようです。そのことは5章の土地を売った代金をごまかして、一部しか持ってこなかったアナニアとサフィラという夫婦が、聖霊を欺き、神を欺いたというので、突然死してしまったという物語が挿入されていることからも分かります。ただペトロやヨハネをはじめてとして使徒たちによって誕生した最初期のエルサレム原始教会についての5章までのルカの叙述は、大祭司をはじめとするユダヤ教側の圧迫にも拘わらず、力強く前進していく姿が中心に描かれていました。ですから、ルカの理想的な最初期の教会の姿が理念的に描かれていて、具体的な人間が集まっている教会内部の様子はほとんど描かれていませんでした。

・しかし、今日の6章1節以下の記事には、エルサレム原始教会内部の亀裂という人間の集まりである教会の現実の姿がはっきりと描かれています。それによりますと、エルサレム原始教会には、同じユダヤ人であっても出身と日常使っている言葉を異にする、「ギリシャ語を話すユダヤ人」と「ヘブライ語を話すユダヤ人」がいたというのです。ギリシャ語を話すユダヤ人は、パレスチナから世界各地に離散し散在のユダヤ人で、晩年になってエルサレムに帰還した人たちだったと思われます。彼ら彼女らは、死ぬときは母国に帰り、聖地エルサレムに埋葬してもらいたいという願いを持って、晩年になってエルサレムに住むようになったと言われています。そのようなギリシャ語を話すユダヤ人で、夫を先に亡くした女性である寡婦(やもめ)には貧しい人が多かったようです。そしてエルサレム原始教会には、メンバーとしてそのような貧しいギリシャ語を話すユダヤ人の寡婦が相当数いたようです。そこでエルサレムの原始教会の中に一つの問題が起こりました。それは食事の配給でギリシャ語を話すユダヤ人の寡婦たちがおろそかにされているということです。そのことでギリシャ語を話すユダヤ人の側から苦情が出たというのです。

・前にもお話ししましたが、ユダヤ教には相互扶助の習慣がありました。ユダヤ教徒の集まる会堂には、施しの管理人として知られる職務を持った人たちがいたと言います。バークレーによれば、二人の収集人が、金曜日の朝毎に、市場や個人の家をまわってお金とか必要な品物を集めました。集めたものは、その日のうちに分配されました。一時的に援助を必要としている人は、急場をしのぐのに十分なものを受け取ることが出来ました。また、常時、一人で生活していけない人々は、14食分をたっぷりと受け取りました。これは、受け取った日から引き続く一週間、一日二食を十分とっていける量でした。分配に用いられる基金は、「クパー」(かご)と呼ばれました。これに加えて、毎日、緊急の必要に迫られている人々のため、戸毎に集められるものがありました。これは「タムーイ」(盆)と呼ばれていました。このようなユダヤ教の習慣を新しくできたエルサレム原始教会でも受け継いだのです。教会に加わった人々には、ユダヤ教の相互扶助からの恩恵を受けることが出来なかったので、教会独自でユダヤ教と同じような日々の配給の制度を必要としたということでしょう。

エルサレム原始教会は、イエスの生前から弟子としてイエスと共に行動していたガリラヤ出身の、生まれた時からへブライ語、その日常語であるアラム語を話すユダヤ人が中心になって誕生しました。ですから、生まれた時からパレスチナ在住のヘブライ語を話すユダヤ人がメンバーの中心だったと思われます。けれども徐々に外国生活をしていて晩年にエルサレムに移り住んでいた、散在のギリシャ語を話すユダヤ人も加わっていきました。今日の使徒言行録には、そのギリシャ語を話すユダヤ人の指導者だったと思われますステファノをはじめとする7人の人物が記されていますから、この段階ではギリシャ語を話すユダヤ人もエルサレム原始教会には相当数いたということが分かります。そこで日々の配給のことで、ギリシャ語を話すユダヤ人の寡婦(やもめ)たちが無視されているという苦情が出たというのです。

・その苦情を受けて、「十二人は弟子をすべて呼び集めて言った。『わたしたちが、神の言葉をないがしろにして、食時の世話をするのは好ましくない。それで、兄弟たち、あなたがたの中から、“霊”と知恵に満ちた評判の良い人を七人選びなさい。彼らにその仕事を任せよう。わたしたちは、祈りと御言葉の奉仕に専念することにします』」(2-4節)という12人(12使徒)の提案が受け入れられて、ステファノをはじめとする7人がその役職に選ばれて、使徒たちによって按手を施されたというのです。

・そしてルカは、「こうして、神の言葉はますます広まり、弟子の数はエルサレムで非常に増えていき、祭司も大勢この信仰に入った」(7節)と記して、ギリシャ語を話すユダヤ人の寡婦が日々の配給に於いて無視されているという苦情を通して、教会の中に役割分担が生まれ、さらに多くの人々が教会に加えられていったというように描いているのです。災い転じて福となるとでも言いたいような描き方をしています。しかし、実際にはそんなにうまくまとまっていったとは思われません。

・ここで食事の世話をする仕事に選ばれた7人は、すべてギリシャ語の名前を持っており、ギリシャ語を話すユダヤ人のように思われます。ヘブライ語を話すユダヤ人とギリシャ語を話すユダヤ人との間で、日々の配給のことで問題が起こったとすれば、双方から代表が出て、公平を期するというのが、当然の処置のように思われますが、選ばれた7人はすべてギリシャ語を話すユダヤ人ですから、この使徒言行録の記述によれば、ギリシャ語を話すユダヤ人の中でこの日々の配給の不公平という問題の解決が投げかけられているように思われます。しかも、この7人の内ステファノとフィリポは少なくとも、その後の使徒言行録の記事を読みますと、ペテロら使徒たちと同じ福音宣教の働きをしているのです。ステファノは7章を見ますと、ペテロと同じように説教をしていますし、フィリポも8章4節以下を見ますと、サマリアで福音宣教の働きをしています。

・8章の1節に、「その日、エルサレム教会に対して大迫害が起こり、使徒たちのほかは皆、ユダヤサマリアの地方に散って行った」と言われています。これはおそらくエルサレムが段々と民族主義的なユダヤ教徒による反ローマ運動が強くなっていく過程で、ギリシャ語を話すユダヤ人のグループがエルサレム原始教会に留まることができずに、エルサレムから離れて行ったことを物語っているように思われます。「使徒たちほかは皆、ユダヤサマリアの地方に散って行った」とは、そのことを示していると思われます。

・恐らくユダヤ教の神殿や律法に対する考え方が両者の間では相当違っていたのではないでしょうか。へブル語を話す、元々パレスチナに生まれてずっとそこで生活してきたイエスの弟子たちをはじめとするユダヤ人たちは、神殿や律法についてはユダヤ教徒と同じように受け入れていたところがあります。おそらくギリシャ語を話すユダヤ人の方は、へブル語を話すユダヤ人ほどユダヤ教の神殿や律法を受け入れることはできなかったのではないでしょうか。後にパウロは律法から自由な福音をヘレニズムの世界の諸都市で非ユダヤ人(異邦人)に宣べ伝えていきます。そしてユダヤ教から完全に独立したキリスト教になっていきます。そのパウロの福音理解に通じるようなものが、既にエルサレム原始教会のギリシャ語を話すユダヤ人の中にも、その萌芽としてはあったと考えられるように思います。

・そういう意味で、信仰理解も微妙に異なるギリシャ語を話すユダヤ人とへブル語を話すユダヤ人のグループがエルサレム原始教会に存在していて、そういう状況の中でギリシャ語を話すユダヤ人の寡婦が日々の配給において無視されたということが起こったわけです。それを、両者の代表による話し合いによる解決という形ではなく、ルカは、エルサレム原始教会の全ての信徒が、12使徒の指導下に結束していたという、ある意味で、12使徒の権威に基づく統制による一体性を強調しているように思われます。

・このルカの考え方(神学)は、ローマ教会を中心として地中海沿岸の地方的な教会が統合されてカトリック教会へと結実していく、1世紀半ば頃から3世紀、4世紀にかけての教会の歴史において、大変大きな影響力を与えたと思われます。しかも一つに統制されていくその時代の教会の歴史は、ローマ帝国の国教化と重なって、教会は権力の側に取り込まれていきます。そのことによって、教会は政治権力と結びついて、上から民衆を支配する役割を演じて行きます。

・イエスは、「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」(マルコ10:42-45)と言って、上に立って人を支配することを否定しました。

使徒言行録における今日の貧しい信徒に対する日々の配給という相互扶助は、仕える者になれと言われたイエスの教えを忠実に反映しているものです。その分かち合いは、ただ生活の糧である物質の分かち合いだけではなく、互いに仕え合うというイエスの福音に忠実な人の在り様にまで徹底されていかなければ、イエスをわたしたちに派遣してくださった神の恵みの下に立つ教会とは言えないのではないでしょうか。