なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(105)

           船越通信癸隠娃機 。横娃隠廓4月21日        

・14日の日曜日は、礼拝後懇談の時を持ち、私は午後2時ごろ船越教会を出て鶴巻に向かいました。その時まだ次週に予定しています2013年度教会総会準備のための2012年度の会計監査が行われていて、教会に残っている人がいましたが、私は先に帰らせてもらいました。少し疲れ気味でしたので、沖縄交流委員会主催の「標的の村~国に訴えられた東村・高江の住民たち~」のビデオ鑑賞会が、その日の午後4時から蒔田教会でありましたが、失礼しました。私は、かつて高江に防衛施設局が資材の搬入を最初にしようとしたとき、早朝それに抵抗して追い返した座り込みの人たちの高揚した状態の時に、辺野古の座り込みの人に連れて行ってもらい、お昼すぎに高江に行ったことがあります。もう何年も前の話ですが、その後今から2年半前の夏にT御夫妻の自動車で連れ合いと一緒に高江に行きました。その時は静かでしたが、その後高江はどんどん厳しい状況に追い込まれています。米軍基地がなければ、全体に背の低い樹木に覆われたやんばるの森のある高江の人々の生活は、自然との共存そのものだったと思われます。高江の人々の座り込みの支援と、細くありますが、繋がっていきたいと願っています。

・さて、4月から毎週火曜日、ある所で説教演習の責任を持つようになって、いろいろと準備しなければならなくなり、月曜日もそのために使うようになっています。説教演習には説教批判が欠かせません。説教批判と言えば、前々からKさん主宰の説教塾については知っていました。しかし、1970年頃の東神大の機動隊導入問題以来、私は東神大の教授会に関わる人とは距離を置き、その著作もほとんど敬遠してきました。その根底には、東神大機動隊導入問題において露呈された東神大教授会の神学なるものが、「死せる言葉」に過ぎなかったという、当時の東神大全共闘に加わった学生側からの東神大教授会に対する批判的認識を共有しているからです。つまりどんなに神学的な言葉が紡がれても、その言葉は、この歴史社会を生身で生きている人間の頭の上でしか響かないということがあり得るということです。もちろん、ある程度生活に余裕のある人の中には、そのような頭の上で響く観念的・抽象的な「信仰の世界」に酔うことに引きつけられていく人もいるでしょう。そんなことで、毛嫌いして避けていましたが、今回Kさんの『説教批判、説教分析』を購入して、前半の理論のところを読んでみました。分析には理論的技術の面がありますので、少しは参考になるように思いましたが、やはり何かが違うように感じました。とにかく、私も牧師として40数年礼拝で説教をし続けていますので、この説教演習を引き受けましたが、未だに自分で説教はこれだというものをつかんでいません。ですから、試行錯誤をしながら、また、このことが船越教会での日曜毎の私の説教にフィードバックされるように願いながら、この説教演習に取り組んでいきたいと思っています。

・17日(水)は、先月神奈川教区の平和フェスタでお休みしました、鶴巻での数名の集まりをしました。最初に私が、ルカ福音書10章38―42節の「マルタとマリア」の物語を話しました。一応讃美歌も歌い、主の祈りもします。その後自由な話し合いの時を持ちます。今回は私たち夫婦を入れて4人でした。二人とも私たちと古くから交流のある人ですので、全く遠慮なく自分の思ったことを言葉にします。それが終わってから、連れ合いを残して、3人で鶴巻温泉弘法の里湯で汗を流し、夕食を共にし、午後9時過ぎに2人が帰って行きました。

・18日(木)は午後3時過ぎに鶴巻から船越教会に着き、この日は午後7時半から船越教会の聖書研究がありました。前回3月は誰も来ませんでしたので休会にしました。この日も一人の方からお断りの電話がありましたので、休会になりはしないかと心配していましたが、幸い2人の出席者があり、私と3人で上村静さんの『旧約聖書新約聖書』の共観福音書の部分を読みました。聖書学ではある意味で常識になっていますが、各福音書の著者の描き方がそれぞれであって、上村さんの本では、マタイ、マルコ、ルカ・使徒行伝の違いが的確に書かれていますので、2人の方は、そうなのかと感心していました。よく聖書の歴史的批判的な読み方は、神の言葉としての聖書を人間の言葉として分解してしまうので、聖書の一貫した信仰が見失われるのではないかと、言われることがあります。しかし、それぞれの聖書の文書をそれぞれの人の指と考えれば、その沢山の人の指が指示している方向に、逆説的なものも含めて、一つの真理としての「イエス・キリストの福音」を想定することが出来るのではないでしょうか。私は、歴史的・批判的な聖書研究の後にでてきた文学批評や物語批評についてはほとんど学んでいません。それは構造主義的な聖書解釈の系列で、どうしても聖書として文章化された最後のものがテキストとされますので、多かれ少なかれ正典的な解釈になっていくのではという、自分の中に前理解があって、積極的に取り入れる気が起きないまま現在に至っています。

・19日(金)には、夜寿地区活動委員会が寿地区センターでありました。この日は新しい年度の最初の委員会で、今年度から新しく加わった委員もいらして、最初に新任委員の紹介からはじめました。この委員会では、報告を大切にしています。多岐にわたるセンター活動報告、センターと関連している「ろばと野草の会」(精神障がい者支援)、「カラバオの会」(外国人労働者支援)、「寿アルク」(アルコール依存症者支援)の報告、路上生活者の各地のパトロールの報告などです。これらの報告のために委員会の半分以上の時間が当てられています。今回は協議で6月の教区総会議案資料に入れる教区報告のための2012年度活動報告を、私が用意した原案をみんなで修正してまとめました。

・私の戒規免職処分については、2月25日の一審判決却下について教団新報が、最新号で記事を載せました。その中の議長談話に石橋氏は、私が控訴したことを批判し、白々しくも「私が悔い改めて復帰することを祈る」言っています。私の支援会の方で通信6号を教団の全国の諸教会・伝道所すべてに送りましたし、キリスト新聞、クリスチャン新聞、福音と世界などで私の控訴が伝えられていますので、教団側としても何か言わなければならなかったのかも知れません。