なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(257)復刻版

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(257)」復刻版を掲載します。私の夏期休暇は後2日になりまし

た。15日(日)からは、また、週の前半は鶴巻、後半は船越という生活になります。


        黙想と祈りの夕べ通信(257[-48]2004・8.29発行)復刻版


 25日の黙想と祈りの夕べもS・Sさんの前夜式が入りましたので、休会にさせていただきました。8

月は3回ともお休みしました。9月第2水曜から再開したいと思います。従いまして、この通信も8月は私が

自由に書かせてもらっています。

 8月26日(木)午前10時にS・Sさんの葬儀式を教会で行い、式後出棺して久保山の火葬場に行き、

S・Sさんの遺体を荼毘にふし、お骨上げをしてから午後2時から発題をすることになっていました上大

岡の施設で開かれるフミにスト神学の会に千賀と参加しました。今回はどういうことなのか、連れ合いも

発題者の一人になっていましたので、私たち夫婦と三・一教会牧師のT・Aさんの三人が発題しました。

テーマは「わたしはフェミニスト神学によっていかに解放されたか」です。連れ合いとT・Aさんはこの

テーマに沿った発題をしていましたが、私はフェミニズム運動から触発されて、自分がどう変わってきた

のかということを、連れ合いと結婚してからの自分史を振り返って話しました。1967年に結婚してからの

37年間ということになります。私は25歳で結婚しましたから、結婚生活の方が独身時代よりも遥に長くな

っています。

 性差別の問題を自覚的に意識するようになりましたのは、1980年代前半頃からです。この頃に70年の頃

ウーマンリブ運動とは一味違ったフェミニズムの運動が日本の社会にも現れ、しばらく後に女性学が大

学の講座にも位置づけられるようになって行きます。名古屋のG教会時代に性差別の問題を取り上げて教

会で取り組み始めたのは1980年代後半から1990年代はじめにかけてだったと思います。その頃に触れた今

回の私の発題の一部を紹介してみます。

 「G教会時代には、性差別の問題を取り上げてしばらくしたら、女性の解放をめざすフェミニズム、な

いしはフェミニズム神学を教会の中で課題として自らと他者を問う方向に対してある種の拒絶感が女性の

中から強く出てきた。人間としての解放をめざし自立し連帯するということの難しさを感じた。解放を求

める厳しさに耐えられず、偽りの安定であってもそこに居直ることを我々は選び易い。その結果自分と他

者の痛みに鈍感になり、痛みに傷つく人を放置し、差別を温存してしまう」。

 そして夫婦関係のような一対一の人間関係[対幻想]について触れた箇所も紹介しておきます。

 「依存関係がある場合には、他者の行動が過度に気になり、何でも知りたがる。また自分がやってあげ

ているという意識から、こんなにやっているのにという不満がたまり易い。夫婦一体幻想に捕われ易い。

それぞれが自立し自分の課題をもって歩んでいる場合は、それぞれの要求をはっきり言い、調整がし易

い。また課題をもって歩むことによって、その課題をめぐっての内容的な話し合いができ、相互理解が深

まる」。

 橋爪大三郎は社会を言葉と性と権力の三つの空間として捉え返そうとしています。身体と身体との直接

的な関係の領域を性空間と言っています。その性空間において、未来社会における人工頭脳によるロボッ

トなどの科学技術やバイオテクノロジーの進歩の影響が現在とは全く違った社会を生み出すのではないか

と言っています。

 「まず、遠くない将来、出産をめぐる環境が、機械化する可能性がある。体外発生やいわゆる人工子宮

の技術が、最終的な完成をみると、人間がお腹をいためて子供を産む必要がなくなる(卵が機械的な環境

下で発生できるようになる)だろう。親子の関係も、それにつれて、もっと抽象的なつながりになる」

と。

 これは一例だが、未来社会が人間の身体と身体との関係に機会の介在が大きくなっていくことだけは確

かなのではないでしょうか。