なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(125)

 今日は、日曜礼拝が終わって、台風の接近が伝えられていて、早めに皆さんが散会されました

後、一人船越教会に残っています。台風の接近で、朝礼拝を欠席すると連絡を頂いた方もありまし

たが、北九州から私の裁判支援会の事務局に入っていてくださるYさんが、予告なしに今日の船越

教会の礼拝に出席してくださったりして、8名で礼拝を行うことができました。

  
          船越通信癸隠横機 。横娃隠廓9月15日       


・9月2日(月)から14日(土)まで、私は夏期休暇をいただきました。ですから、9月8日

(日)の日曜日は船越教会の礼拝は欠席しました。今回の船越通信では、この2週間の間にあった

ことなどをまとめてみたいと思います。

・この2週間の間に、私は二人の方の葬儀に参列しました。

・一人は船越教会のZさんの葬儀です。9月2日(月)の早朝に帰天されたZさんの訃報を、その

日の9時過ぎにHさんから電話でいただきました。すぐにZさんのお連れ合いにお電話して弔意を

表し、お慰めの言葉をかけました。その後メールでIさんから、Zさんの葬儀は仏式で、追浜の葬

祭場で、5日(木)午後6時から通夜式、6日(金)午前10時半から告別式が行われるという連

絡が入りました。私は6日の告別式の方に出席しました。Zさんとは、私が船越教会の牧師になっ

てからのこの2年半の間にお会いしたのは数回です。昨年と一昨年の夏には、船越教会で行った夏

のバーベキューにZさんご夫妻も参加されましたので、親しく交流の時を持つことができました。

一昨年のときには、お元気そうで、バーベキューの準備も積極的に手伝ってくださいました。特に

Zさんは電器屋さんですので、教会の庭に設置したテーブルにホットプレート2台を配置した際に

は、電気関係の準備を一身に引き受けてくださいました。けれども、昨年の夏の時には、時々物思

いに沈んでいる様子があり、うつろな感じがしましたので、体調を心配していました。

この夏過ぎ頃から、徐々に状態が悪化していったようで、IさんがZさんのお連れ合い連絡を

取っていてくださり、その都度報告してくださっていましたが、今年の8月に入る頃には、大分弱

ってきているということでした。お連れ合いお一人の看護では大変なので、訪問看護などのサポー

トが必要なのではという話をしていた矢先の、9月2日の突然の訃報にびっくりした次第です。

・もう一人は、紅葉坂教会の信徒の方で、今年102歳のOさんという方が帰天し、家族葬というこ

とで12日(木)午前11時半から紅葉坂教会で葬儀式があり、私も参列しました。私が1995

年4月に、18年間働いた名古屋の御器所教会から紅葉坂教会に転任してから2~3年の間に、Oさ

んのお連れ合いと2番目の息子さんの葬儀を私が司式しました。お連れ合いは13年間腎臓透析を受

けておられた方で、長い間寝たきりの生活でした。お子さんは息子さん二人で、ご両人とも結婚し

ていて、独立した家庭を持っていましたので、ご夫妻は保土ヶ谷にあるご自宅で二人だけの生活で

した。確か週3回の透析を鶴見の病院で受けていたように思います。Oさんは当時既に80を過ぎで

いましたが、大変几帳面な方で、家の中は塵一つ落ちていない感じで、清潔そのものでした。私が

紅葉坂教会に赴任して1年後位にお連れ合いが帰天し、その半年過ぎには、当時横浜市の職員で紅

葉坂教会の近くにある市立中央図書館に勤めていた2番目の息子さんが、蜘蛛膜下で職場で倒れ、

浦舟町にある横浜市大救急センターに搬送され、集中治療室で父であるOさんの強い願いで私が伺

い病床洗礼を執り行いました。その後しばらくして帰天し、紅葉坂教会でこの方の葬儀をしまし

た。横浜市の現役職員ということもあり、紅葉坂教会の礼拝堂と階下ホールにも入りきれない程の

参列者がありました。それから16年後にOさんは102歳の生涯を歩み終えて帰天されました。100歳

まではご自宅でお一人の生活でしたが、この2年間は町田にある介護老人施設にいらしたというこ

とです。お元気な頃は、水曜日の昼の聖書研究、毎月一回の保土ヶ谷の家庭集会に、毎日曜の礼拝

の他に出席していました。聖書研究でヨハネ黙示録を扱ったときには、それまでヨハネ黙示録はよ

く分からなかったが、分かるようになりましたと、ヨハネ黙示録が終わった時におっしゃっていた

のが印象的です。

・夏期休暇中の日曜日8日の礼拝は鶴巻の近くの教団の教会に出ました。連れ合いのCが船越教会

の礼拝に来れない時にはこの教会の礼拝に出席しているところです。日曜礼拝で自分以外の牧師の

説教を聞く機会は、なかなかありませんので、そういう意味では大変勉強になりました。その日の

説教は「悲しんでいる人は幸いである」というマタイ福音書の山上の説教の一節がテキストでし

た。絵本の紹介があったり、十字架上のイエスの絵2枚を用いたりして、分かり易く、また味わい

深い説教でした。連れ合いのCに感想を述べたら、あなたの説教は不親切で、聞く側に伝えようと

いう努力が希薄で、自己満足的だという、厳しい批判を受けてしまいました。

・さて、夏期休暇中でしたが、この間前以て二つの私には大切な集まりが予定されていました。一

つは、私の裁判に関係しますが、最高裁の上告理由書と上告受理申立理由書について、弁護団から

の原稿を検討する訴訟対策委員会が6日(金)夜に紅葉坂教会で行われました。後は弁護団にお任

せしました。私の裁判は、7月10日の控訴審判決で却下されましたので、後は最高裁に持っていく

だけになっています。最高裁の場合、控訴審の判決に対して、上告は憲法違反、上告受理申立は判

例違反が問題になるそうですが、結果は三つの可能性があるとのことです。却下、受理・却下、受

理・差し戻し。受理・差し戻しを期待したいと思いますが、一審、二審のことを考えますと、大変

狭き門であることを認めざるを得ません。それでも、最後まで希望を捨てないで、裁判闘争をやり

抜きたいと思っています。ご支援をよろしくお願いいたします。もう一つは、9日の日曜日夜東京

で「聖餐を考える会」が予定されていましたので、私も出席しました。その会で私の裁判の現状報

告と今後の予定(11月4日の報告・討論集会)についてお話しさせてもらいました。また、現在教

団の執行部は、私の免職処分を含めて、洗礼を受けていない人への配餐は教憲・教規違反の「違法

聖餐」というキャンペーンを張って、聖餐についての論議は全く無視しています。そういう状況の

中で、聖餐についての論議をどう呼び起こしていくかが問われているわけですが、現在はある種の

自粛という自己規制が教団全体に広がっているように思われます。