なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(258)復刻版

 9年前のものですが、「黙想と祈りの夕べ通信(258)」復刻版を掲載します。

 台風が通過しました。特に関西では水の被害が広がっているようです。速やに水が引き、復旧作業が進

みますように。


       黙想と祈りの夕べ通信(258[-49]2004・9.5発行)復刻版


 8月22日(日)午後から21日(月)にかけて、毎年行われています神奈川教区社会福祉小委員会主催の

障がい者と教会の集い」が都筑区にあります、障がい者研修保養センターあゆみ荘で行われました。私

紅葉坂教会で働くようになって10年目になりますが、一度だけ沖縄の伊江島で開かれました平和学習

会に参加して出られなかったことがありましたが、後は毎回参加しています。

 名古屋の御器所教会時代にも中部教区で同じような集会が毎年一回開かれていました。その集会にも私

よりも少し年上のTさんという脳性麻痺の方の介助者としてよく参加しました。Tさんは私が紅葉坂教会

に転任する数年前に三重県菰野にあります聖公会の関係の身体障害者の施設に入所しましたが、私は紅

葉坂教会に来てからも彼の保証人になっていました関係で年に数回訪問していました。1999年1月頃

だったと思いますが、彼は召天し、私と連れ合いでかけつけ、施設長の聖公会司祭に施設のチャペルで葬

儀をしていただき、彼の遺骨を火葬場から持ち帰り、御器所教会の墓地に埋葬するまで紅葉坂教会牧師館

で預かっていたことがあります。私が御器所教会で彼と出会ったときは、教会から私の足で10分ほどの

距離にありました名古屋ライトハウスという施設のホームで彼は生活し、その施設の印刷部の仕事をして

いました。毎日曜日礼拝にもそこから歩いて来ていました。

 何年か後に名古屋の今池というところにありましたユニーといスーパーで出会った同じ脳性麻痺の女性

と共同生活を始めました。施設の近くのアパートを借りて、施設のホームを出ました。それからが大変で

した。彼女が体調を崩し、彼の要望で掃除と食事を教会の仲間でサポートしました。食事は夕食でした

が、何回か連れ合いに作ってもらい、私が自転車で届けたことがありました。昼間ヘルパーとして行った

教会員の女性は、彼が仕事に行った後休んでいる彼女が仕事をさせないで、ただ話して帰ってくるだけだ

が、いのかしらと言うのです。それでもいいんじゃないかということだったと思います。気丈な彼女はお

人よしで甘えん坊の彼のことを、「モトコちゃん」と呼んでいました。彼らが借りていたアパートが木造

で古く日陰なので転居の場所を探すことになりました。その頃には彼女も健康が回復していました。彼女

障がい者二人では民間のアパートは貸してくれないと言い、私も部屋探しを頼まれ何件かの不動産屋を

調べましたが、彼女の言う通りでした。そのことを報告したときに、彼女はそうでしょと、自分たちが部

屋を借りるということがどんなに大変なことか、少しは分かったでしょという素振りでした。その後彼女

の執拗な行政への掛け合いにより、3LDKの市営アパートが借りられました。補助を受けて手を入れて部

屋はバリアフリーになりました。快適な二人の生活がはじまりました。彼の仕事へは彼女が三輪自転車の

荷台に彼を乗せて往復しました。けれども長続きせずに、しばらくすると、彼女は頚椎損傷により全身が

動かなくなり、東海市の病院に入院しました。彼は彼女に付き添い、献身的な看護をしましたが、手術の

結果も思わしくなく、彼女は全身針で刺されているような痛みを訴え、最後は彼女の希望でアパートに帰

り、数日後に亡くなりました。

 彼はしばらく一人でアパートで生活していましたが、その後隣のアパートに家族と生活していたやはり

障がい者の女性と共同生活するようになりました。最初は彼が彼女を世話する感じでしたが、段々彼自身

の障がいが進み、彼女の世話をすることができなくなりました。彼女の方はどちらかというとマイペース

でしたので、二人の心理的な行き違いが重なったのでしょうか、彼の方が欝状態になり、その後前記の施

設に入所するようになったのです。アパートで一人になった彼女も彼の施設に一緒に入りたいというの

で、お願いしたところ、たまたま入所でき、施設で暮らすようになりました。男性と女性と別々の部屋で

したが、それから数年後に彼は亡くなったのです。

 障がい者と教会の集いに参加していますと、障がいと言っても様々で、本当にいろいろな重荷を背負っ

て生きている方々の一つ一つの言葉に胸が撃たれます。「この集いでは障がい者と『健常者』は平等です

が、普段の社会生活では差別がきつい」という、この集いに参加されている障がい者の方の言葉が、今年

も私の心に撃ちました。