なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(581)

船越通信、№581、2230年9月3日(日)北村慈郎

 

  • 8月27日の日曜日の礼拝には、前もって耳の不自由なOさんと、紅葉坂教会のオルガニストのAさんが出席したいと連絡があり、Aさんはお母さんと共に見えましたので、何時もの礼拝出席者よりも多く、14名の出席がありました。Aさんは、自ら申し出てくださって、この日の礼拝の奏楽をしてくださいました。この日M・Hさんも出席しました。AさんとM・Hさんは紅葉坂教会時代に日曜学校で一緒でしたので、二人は久しぶりの再会でした。礼拝後H・Tさんが用意してくださった昼食を共にし、この日は午後3時から教区の障がい者と教会の集いが都筑区のあゆみ荘でありましたので、昼食の懇談は短めに終えました。皆が散会した後、私もこの日障がい者と教会の集いで発題者の一人になっていましたので、後片付けをして、会場であるあゆみ荘に向かいました。バスで追浜に出て、京急で上大岡まで行き、地下鉄に乗り換えてセンター南経由都築の丘駅まで行き、歩いて5分もかからない所にあゆみ荘があります。障がい者と教会の集いは、コロナ前には毎年8月末に一泊二日でこのあゆみ荘で行われていましたが、コロナで3年開催できず、今年は4年ぶりの開催です。この集会開催を切望していた飯塚光喜牧師が本年3月に帰天しましたので、今回は「飯塚光喜牧師から問われたことを考える」というテーマでの開催でした。船越教会からはH・T、H・S子さん、T・Tさんと私の4名が出席しました。
  • 私は発題で、「痛みの共感」と「障がい者の当事者性」という切り口から、飯塚光喜牧師がめざしたことについて、私の思うところをお話ししました。障がい者と教会の集いには、毎年「知り合うこと、ふれ合うこと、生活を共にして」という副題がついています。この副題にこの集会がめざしていることが示されていると思います。障がいがある者もそうでない者も、異質な他者が互に「知り合い、ふれ合い、生活を共に」することによって、共に生きることをめざしているのです。その際、障がいのある人も、一方的に助けられる人としてではなく、当事者の一人として他の人と対等な関係にあるということが大切です。私が「障がい者の当事者性」というのは、そういうことです。そのことを、私は発題の中で、名古屋の御器所教会時代に体験した、滋賀県にある知恵遅れ児・者の施設である止揚学園でのことを例に出してお話ししました。その部分をここに引用します。「飯塚光喜先生は、この障がい者と教会の集いにしても、社会福祉小委員会にしても、障がい者としての当事者性を大切にされたように思います。当事者性とは、障がい者自身が中心になっていくということです。ですから、障がい者と教会の集いは、障がい者と共に1泊2日でも一緒に過ごすということをメインに設定されていたのではないでしょうか。生活を共にし、出会いを通してお互いに知り合うということを経験するということです。滋賀県止揚学園という福井達雨さんが始めた障がい児・者の施設があります。止揚学園は入所者と職員家族の生活共同体の形をとっていて、食事は全員でしています。私は、当時名古屋の御器所教会の牧師として、私が牧師になる前から御器所教会で行われていた中高生の夏のキャンプを近江八幡で行ない、その中の一日を止揚学園でワークをさせてもらって、朝から夕方まで止揚学園で過ごさせてもらっていました。ですからお昼の食事は、私たちもバラバラに入所者と職員家族が一緒の食事の席に加えてもらっていました。障がいをもった方の中には、食事をスムーズに飲み込めずに、口から吐き出してしまう子もいました。そのような時に御器所教会の子どもたちはびっくりして、中には自分の食事が出来なくなる子もいましたが、止揚学園の職員の子どもたちは、そのような時にも慌てずに自然に対応していました。共に生活するということは、そういうことなのだと、その時納得させられた経験があります。異質な他者と出会い、触れ合うことによって相手を理解し、それまでの自分も変えられて、共に生きるようになっていくのではないでしょうか。私は御器所教会の牧師時代に、異質な他者である隣人の発見・変容・共生という形で、底点志向者イエスが目ざした、最も小さくされた人を中心にした共生の場として教会を考えてきました」。
  • 今回の集いでは、夕食後カラオケを楽しみましたが、T・Aさんに乗せられて、カラオケで全く歌ったことのない私でしたが、高校生時代に歌ったことのあるフランク永井の「有楽町で逢いましょう」を歌うはめになってしまいました。夜はS・Yさんと同室で、大分遅くまで話し合いました。お陰で翌朝しばらく声が出ませんでした。集いは昼食後全体会があって終了し、その後鶴巻に帰りました。私も宿泊したのは何年ぶりでしょうか。19年の秋に帰天した連れ合いと最後に伊豆の宿屋に宿泊してからですから、ほぼ4年ぶりになります。
  • 29日(火)19:00から支援会の世話人・事務局会がZoomでありました。7月中旬に支援会通信第31号を支援者に発送しましたが、今回のZoomでは今後のことについて話し合いました。キリスト新聞の意見広告をどんな内容で出すかを考えていくこと、また、2024年秋に開催の教団総会に向けて、今までの「戒規免職撤回議案」では議長判断によって上程されませんので、上程される内容の議案を考えていくこと。審判委員を切り口としたその議案の一事例を、障がい者と教会の集いで夜S・Yさんと話し合っていてヒントを得て急遽私が書き上げて、みなさんに配りました。今後他の切り口からの議案も考えられるかを検討し、来年2月か6月の教区総会の議案にできるように準備して行くことを確認しました。その他神奈川教区総会教団問安使へ紅葉坂教会のT・Nさんが、確か2011年ごろから質問し、確か当時の問安使雲然俊美さんは教団に持ち帰って回答するということになっていますが、その回答がありません。前回の教区総会でもその回答を問安使に求めた所、新しい総幹事網中彰子さんは改めて文書での提出を求めましたので、その文書の準備をしているとの報告がありました。
  • 31日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は風はありましたが、結構蒸し暑く、座っていても汗がにじむほどでした。何時もの4人で座り込み、午後4時少し前にアッピールのグッズを取り外し、散会しました。