なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(580)

船越通信、№580、2230年8月27日(日)北村慈郎

 

  • 8月20日(日)は、礼拝準備のために教会の玄関を開け、外階段に設置されている昇降機に電源を入れ、昇降機の椅子を下に降ろそうとしましたら、途中でゴムのベルトが挟まり動かなくなってしまいました。仕方なく途中で停止してしまった椅子にカバーをかけ、会堂に戻りましたら、教会の電気のブレーカーが切れて停電になっていました。昇降機が途中で止まってしまい、ベルトを挟んでしまったのも、ブレーカーが切れて停電になったからかも知れません。今までこのようなことはありませんでし出したたので、あわてましたが、この日は昇降機は使えないということで、礼拝前の準備を終えて、2階の牧師館に戻り、朝食を取り、シャワーをして、礼拝開始に備えました。この日は礼拝後何もありませんでしたので、次週の打ち合わせをして散会しました。私も後片付けをして、12時半過ぎのバスで追浜に出て、鶴巻に帰りました。この日は娘も鶴巻に来ていませんので、鶴巻に帰ってからは一人でのんびりと過ごしました。
  • この週は24日(木)の国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行く以外に、特に予定はありませんでした。ただ27日(日)―28日(月)に都筑のあゆみ荘で開催される教区の障がい者と教会の集いで、過日帰天された飯塚光喜牧師について話をすることになっていて、その数名の発題者の一人に私も頼まれていましたので、その準備のために時間を使いました。飯塚光喜牧師とは、1995年4月に私が名古屋の御器所教会から紅葉坂教会に転任してからの関係です。主に毎年夏に開催される教区の社会福祉小委員会主催の「障がい者と教会の集い」に、私もほとんど欠かさずに参加していますので、その集いが飯塚光義牧師との交わりの一つの場でした。その他には、私が紅葉坂教会の牧師時代に、1996年からだったと思いますが、藤沢ベテル伝道所の設立の時に紅葉坂教会が関係教会になっていて、そのことを紅葉坂教会の役員会で再確認しました。それ以来紅葉坂教会から確か9月の藤沢ベテル伝道所の創立記念礼拝には役員を派遣するようにしました。また、年度末には毎年日曜日ではありませんが、牧師である私が藤沢ベテル伝道所を訪ね、飯塚先生と懇談の時を持つようにしました。また飯塚先生は個人的に本田哲郎神父を囲んで一泊二日の集会をあゆみ荘で年一回持っていました。4,5回は続いたと思いますが、その集まりには私も必ず参加させてもらっていました。この集いは、小田原で障がい者の全国集会があり、飯塚先生に頼まれて私はその集会の事務局長をしましたが、その集会きっかけとなって始まりました。この集会のメインの講演者が本田哲郎神父で、本田哲郎神父と飯塚先生はこの集いで、聖書の読み方でお互いに通じ合うものを強く感じたようで、それ以来飯塚先生が本田哲郎さんを囲む会を個人的に開いて、私にも声をかけてくださったのです。そういうこともあって、神奈川教区の教職の中では、私が飯塚先生との交わりを比較的深くしてきた一人だと思いますので、今回の障がい者と教会の集いの発題者に一人に選ばれたのではないかと、自分では思っています。私は、1977年4月から1995年3月まで牧師をしていた御器所教会時代の途中から、教会を「自立と共生の場」として捉えています。確か2009年だったと思いますが、新教出版社の小林さんから勧められて出した『自立と共生の場としての教会』という本は、私が教会をどう考えているかを、自分の牧会の中で教会の機関紙などに書いた文章をまとめたものです。この本はキリスト教関係の点字図書館から連絡があって、点字にもなっていると思います。飯塚先生も藤沢ベテル伝道所で洗礼を受けたり、転入する方に一時期だと思いますが、この本をプレゼントにしていたということを聞いています。この本で私が書いていることは、イエスの出来事(福音)によって、私たちは個として自立すると共に、隣人である他者との共生へと招かれているということです。共生への招きは、隣人である他者との出会い(発見)・変容・共生の繰り返しではないかということです。教会をそういうイエスの出来事(福音)に基づいた自立と共生の場であるというのが、私の教会についての考えです。そんなことを考えながら、私は障がい者と教会の集いで、「痛みの共感」と「障がい者の当事者性」という切り口で、飯塚先生のめざされたことを、私なりにお話ししたいと思っています。
  • 24日(木)は国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。東京新聞琉球新報記事の紹介でもある「辺野古・高江リポート」(8月22日)によれば、沖縄の玉城知事は、【沖縄県名護市辺野古の新基地建設に向け沖縄防衛局が進めようとする大浦湾からのサンゴ移植を巡り、農林水産相が県に移植を許可するように是正の指示をしたことは違法で無効だとして、県は指示の取り消しを求める訴訟を福岡高裁那覇支部に提起した。新基地建設を巡る裁判は十三件目で、サンゴ類移植の訴訟は二件目である。/提訴は、総務省の第三者機関「国地方係争処理委員会」(係争委)が七月、農相の指示は違法ではないと判断したことを不服としたもの。玉城デニー知事は、国地方継承処理委員会の判断について「極めて問題があり、その結論は到底容認できない。この裁判で是正の指示が違法であることなどを強く主張していく」とコメントを発表した】とあります。地方自治体の権限が政府(行政)と裁判所(司法)によって無化され、本来出来ない辺野古新基地建設が強行されている現実に怒りを覚えます。この日の座り込みでは、午後3時半ごろ上海にいる方から電話が入り、この電話が一時間ほどになりましたので、この日一緒に座り込んだ3人の方が後片付けをして下さり、午後4時少し前に先に帰ってもらいました。私は一人残って、電話で受け答えをして午後4時半過ぎに電話が終わりましたので、その後一人で帰りました。この上海にいる方からはこの2週間ぐらい何度も電話をもらい、相談にのっていますが、何せ上海からですので、直接お会いするわけには行きませんので、歯がゆい思いをしながら、主の導きを祈りつつ、電話で対応しています。この日、漁業関係者との十分な話し合いと了解のないまま、政府は東電福島第一原発の汚染水を浄化処理した後の水の海洋放出を開始しました。そのやり方は辺野古新基地建設と同じです。