なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(608)

船越通信、№608  2024年3月17日(日)北村慈郎

  • 9日(土)には13:00から紅葉坂教会で「飯塚光喜牧師お別れの会」があり、私も参加しました。30分前に紅葉坂教会に着き、受付の所に4月6日の支援会コンサートのチラシを置かせてもらいました。受付をすませ、礼拝堂の後部の席に座り、会が始まるのを待ちました。その間久しぶりにS牧師と話をしたり、紅葉坂教会の方々とも挨拶を交わしました。特にかつて障がい者と教会の集いの実行委員をしていて帰天されたO・Aさんのお連れ合いであるO・Hさんとも言葉を交わすことができました。お別れの会は、第1部の追悼礼拝と第2部の「ありし日の飯塚先生を忍ぶ」に別れて行なわれました。追悼礼拝は、藤沢ベテル伝道所で飯塚光喜牧師と共に担任教師をされた二人の教師が司会と説教を担当されました。その後第2部の飯塚先生を忍ぶ会では、私もお話しさせてもらいました。この日は先生との個人的なお付き合いのことを話させてもらいましたが、飯塚光喜牧師のことは、昨年の夏に行われた「障がい者と教会の集い」(主題「飯塚光喜牧師から問われたことを考える」)でした私の発題が、この日出席者にプログラムと共に配布された報告集に掲載されていますので、そちらの方をご覧いただければ幸いです。お別れ会は15:30頃に終了し、私は京急日ノ出町駅から京急に乗りました。すると同じ車両に船越教会のT・Tさんも乗っていて、金沢文庫まで一緒に行き、そこで別れ、T・Tさんは特急で追浜駅へ、私は普通で京急田浦で下車して教会に行きました。
  • 10日(日)は礼拝後役員会を行ないました。役員会では、主に3月31日(日)のイースター礼拝の聖餐式の準備の確認と、2024年度の教会総会の準備について話し合いました。会計報告では、2023年度も皆さんに支えられて、マイナスにはならないで3月末を迎えることができそうで感謝です。2024年度には、今年の秋に修養会を開いて「船越教会の今後について」話し合うことにしました。この日は役員会を終えて、比較的早めに船越教会から鶴巻に帰りました。
  • 13日(水)には、船越通信(607)を私のブログに掲載したところ、去る教区総会での一人の方に対する按手礼保留動議への疑問・批判のコメントがありました。そのような意見があることは予想していましたので、そのコメントには丁寧に、神奈川教区の「オリエンテーション要綱」と「教区形成基本方針」を添付した文章を書いて、これもブログに掲載しておきました。関心のある方は私のブログを御覧ください。この日は午前中早めに、毎月一回歯石を取ってもらっている歯科医に行きました。その後帰ってから一回目の食事をしました(私は一日2食派です)。この日は三週間に一回14食の冷凍の総菜が宅急便で届く日でしたので、食事を終えるころインターホンが鳴って、ヤマトの配達員からそれと受け取りました。また、この日は午後6時から大和のシリウスの会議室で県民共闘会議幹事会があり、少し早めに行き、大和駅近くで2回目の食事をしてから、私も基地・自衛隊問題小委員会(基地小)発行の通信第2号を持って久しぶりに参加しました。この県民共闘会議には基地小も構成員になっているからです。この会議には厚木・座間・相模補給廠関係の運動体の方々が主に出席しています。米軍基地と自衛隊関係の状況報告と5月に行なわれる総会と秋に大和で開催されるピースフェスティバルについて協議しました。この日基地小の通信第2号を10部持って行き、受付に置かせてもらいましたが、すべてなくなりました。会議は1時間で終わり、私は鶴巻に午後8時ごろには帰れました。
  • 14日(木)は、何時ものように国会前の辺野古新基地建設反対の座り込みに行きました。この日は比較的暖かな日でしたが、それでも日陰に座り込んでいると、体が冷えてきますので、時々日差しのある所に行って、からだを温めました。この日は私たちが座り込んでいた所に、三里塚を闘う東京実行委員会の方でしょうか、二人の方が来て、道行く人にチラシを配っていました。しかし、殆どの人はチラシを受け取らないで、その場を通り過ぎていきました。三里塚闘争は半世紀以上続いていますが、昨年も国はある方の農地を強制執行していて、その阻止の闘いが続いています。ある面では三里塚で行われていることが、辺野古でも同じことが国家によって行われているわけです。国家って何なのでしょうか。改めて萱野 稔人さんの著書『国家とはなにか』(2005年)を思い起こしました。この本では国家は公認された暴力団のように、暴力装置であるということが記されています。機動隊や自衛隊(軍隊)を考えると、国家は暴力によって成り立っているということを認めざるを得ません。日本の国は、平和憲法を持つ平和国家であるとすれば、市民(「国民」)がコモンの自覚を持って民主的な市民社会を形成すると共に、自衛隊を縮小して災害救援隊にし、機動隊や公安をなくして市民警察にして、国家の機能を最小化することが必要ではないかと思います。これは日本だけでは難しいので、世界全体がその方向に行くことを期待したいと思います。しかし、現状はそれとは反する国家同士の戦争や民族紛争が頻発しており、国連も力を失っており、国家間・市民(「国民」)同士の経済的格差も広がり、逆方向に向かっているかに思えます。それでも希望を失わずに歩んでいきたいと願っています。この日は、座り込みを午後3時で終わらせてもらい、一人で先に失礼しました。午後5時半からズームで支援会の世話人・事務局会があるからです。参議院会館前の道路の壁に貼っていた自分のグッズを取り外して袋に入れて、私は国会議事堂前の地下鉄の駅に向かいました。その駅の出入り口はちょうど官邸前の交差点にありますが、この日も官邸前の交差点には、大浦湾の土砂投入反対の二枚の大きな横断幕を貼って、一人の沖縄出身の方が座り込んでいました。その方の思いを想像しながら、私は鶴巻に帰りました。鶴巻に帰ってから、2回目の食事を素早く済ませ、午後5時半からの支援会の世話人・事務局会のZoomで参加しました。この日は、2月23日荻窪教会で開催した支援会のコンサートの報告を含めて、4月6日紅葉坂教会で開催される第2回のコンサートと支援会の総会について話し合いました。また、今年は秋に教団総会がありますので、その準備についても少し話し合いました。