なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(510)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(510)復刻版を掲載します。2009年7月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(510[-39]2009・7・5発行)復刻版


 6月21日(日)には教会全体懇談会を途中で失礼して、K教会の牧師就任式に行きました。K教会は昨

年3月まで現在沖縄のN教会の牧師をしていますK・R子さんが牧会しておられた教会です。1年間の無牧

の後、現在農村伝道神学校で校長をしていますKさんが牧師に就任しました。Kさんからは就任式の司式を

依頼されていたのですが、現在私は常置委員でありませんので、司式はS牧師がしました。その代わりと

いうか、祝辞を頼まれていましたので、教会全体懇談会を途中で失礼してK教会に伺いました。K教会は湘

北地区の教会で湘北地区の諸教会の信徒・牧師の出席が多く、また農村伝道神学校関係者、Kさんの個人的

な関係者もいらしていました。私が神学校を出て最初に働いた足立梅田教会で親しくお交わりいただいた

青山学院中高の宗教主任をされていたF先生の同僚のお連れ合いがいらして、声をかけてくださいました。

また、昨年10月に信濃町教会で行われた、『聖餐の豊かさを求めて』等出版記念シンポジウムで発題さ

れたI牧師もいらしていて、挨拶をしました。さらに名古屋の御器所教会時代に御器所教会のメンバーであ

ったTさんとも久しぶりにお会いすることができました。祝辞では、K教会が置かれた場所大和における空

母艦載機の爆音被害などに現れている基地の問題への取り組みを、K・R牧師同様継続していただきたいと

いうこと、また神奈川教区にあってかながわ明日の教団を考える会を通して協力しながら教会の宣教のあ

り方を模索していきたいことなどを話しました。就任式の後、十数名の牧師と会食を共にし、交流を深め

ました。

 6月28日(日)には、午後3時からO教会でS牧師の就任式があり出席しました。Sさんは約7年前にH教

会に彼が就任した時には、私が就任式をしました。今回はKさん同様祝辞を頼まれていました。Sさんは、

「沖縄から米軍基地撤去を求め、合同のとらえなおしを進める連絡会」の事務局を一緒にしていて、Sさん

には連絡会の通信のレイアウトをお願いしています。6号から12号の連絡会通信はSさんのレイアウトです。

事務局長として私が通信の原稿を依頼し、送られてきた原稿をSさんに送って、レイアウトしてもらい通信の

印刷原稿版を私の方に送ってもらい、印刷して、賛同者や賛同団体教会、時には教団の全教会へ発送してい

ます。そういう関係だけでなく、実は名古屋時代にSさんがまだ幼児の頃、お父さんのS・T牧師が29歳で急

逝した後、お母さんのS・S子牧師がTさんが牧会していた鳴海教会を引き継いで牧会していたときに、私がい

御器所教会で牧会事例研究会を行っていて、S・Sさんもその会に出席していました。そういう時は、Sさん

と弟、妹の3人の子どもたちも一緒に来て御器所教会の牧師館で私の連れ合いや内の子どもたちと遊んで、

その会が終わるまで待っていたのです。そういうこともあって、Sさんの就任式には特別な思いを持って出席

しました。司式はKさんの時と同じS牧師でした。私は祝辞で二つのことを申し上げました。ひとつは、Sさん

の優しさについてです。昨年の年末年始の日比谷公園派遣村で有名になって、今は引っ張りだこのようで

すが、湯浅誠さんのことが朝日新聞に載っていました。彼が社会的弱者への働きをするようになった背景に

は、小さいときから筋萎縮症のお兄さんと一緒に育ったことがあるのではないかということが書かれていま

した。Sさんも予防注射が原因で全身麻痺の障がいの妹さんと一緒に育っています。湯浅誠さんと同じように、

Sさんの中にも弱者への優しさと差別への怒りがあるように思い、これからもその思いを大切にしてもらいた

いこと。もう一つはシュライエルマッハーの『宗教論』から、牧師と信徒という固定した関係ではなく、牧

師、信徒に関係なく、その語られた言葉の真理性に学ぶ姿勢を大切にしてほしいということを話しました。

Sさんには連れ合いのHさんがいて、お二人ともO教会の牧師です。若い二人のためにこれからも祈っていき

たいと思います。  
 

           「父の愛・母の愛」       7月5日


  放蕩息子の物語に出て来る父親は同時に母親でもあります。息子を走り出迎え、抱き締め、口づけする、

最上の服を着せ、指輪をはめ、サンダルをはかせる。そして宴会を催す。これらの行動は、私たちと距離を

おく典型的な家父長としてのものではありません。これらの行動は、やさしさ、細かい心遣い、自分を顧み

ずに与える許しなどを豊かに表し、父と母の両方の愛があますところなく表現されています。

 天の父の完全な愛は、父母が子どもたちに対して抱く愛のすべてを含むものであり、さらにそれを超える

ものです。私たちを抱きしめる神の二つの手を、母の手、父の手と考えてみるとよいかもしれません。一方

の手はやさしく撫で、慰め、元気づけ、もう一方の手は支え、励まし、力づけてくれます。私たちもまた、

家に帰りたいと思っている人々にとっての父や母となるように呼びかけられています。


                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)