なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(126)

          船越通信癸隠横供 。横娃隠廓9月22日        

・最初に「福音と世界」10月号掲載の福嶋揚「脱核時代のエチカ<未来を捨てた国>」から引用抜

粋をさせていただきます。

・<参議員選挙に当選した山本太郎は、日本が「命を切り捨てる」国となり、「すでに未来をあき

らめている」と喝破した。日本国家の闇をどの政治家よりもはっきりと指摘した山本太郎は、いま

様々な弾圧にさらされている。>という書き出しでこの文章は始まっています。その後、日本政府

原発事故対策や原発の再稼働や輸出を計画している原発政策を批判し、<それは「わが無きあと

には洪水あれ」という、未来を捨てた態度である」と断罪しています。そして以下のように記して

います。

・<未来を捨てた態度は、長期的視野を欠いた国策だけでなく、国策に対して大きな影響をおよぼ

グローバル資本主義に由来する。原発リスク管理であれ、国民の平和生存権であれ、資本の利潤

追求を妨げるものは、ますますコストカットの対象となる。

 世界的な利潤低下に苛まれるグローバル資本の延命手段が、TPP(環太平洋経済連携協定)で

ある。TPPは、多国籍企業の利潤追求を国家の法律よりも優先する協定である。日本がこれに参

加すれば、市民の脱原発運動も阻止される危険がある。原発事故も核廃棄物の増大も防げなくなれ

ば、日本列島は「核の墓場」になるだろう。

 未来を切り捨てた国策と資本に対抗する運動が必要である。大政党やマスメディアによらない市

民運動がもたらした山本太郎の当選は、ひとつの小さな希望である。このような運動の拡大が、命

を未来につなぐ、未来世代への隣人愛となるだろう>。

・このように福嶋揚は書いています。「未来を切り捨てた国策と資本に対抗する運動」をどのよう

に創り出せるか。このことを真剣に考えながら、今それぞれが取り組んでいる運動や課題を継続的

に担っていきたいと思います。

・さて、私は9月2日から14日まで夏期休暇でしたが、14日の土曜日夕方には船越教会に来て、15

日の日曜日の準備をしました。土曜日夜には、ちょうど台風が本土に接近し、愛知県に上陸した

後、日本列島を縦断して東北・北海道に抜けていくのではという予報が出ていて、神奈川には15日

の日曜日のお昼ごろがピークになるのではということでした。そのため、礼拝出席者少ないのでは

と思っておりました。事実15日の礼拝前に、一人の方から雨がひどいので、今日は献金当番になっ

ているが、お休みさせてください、という電話が入りました。途中怪我でもされてはと思い、私は

すぐに了解しましたと答えました。司会の方ともう一人の当番の方は、必ず出席すると思っていま

したので、最低私と3人で礼拝をすることができればと考えていました。ところが、台風の風や雨

はそんなに激しく吹き荒れるということもなく、礼拝と礼拝後のお茶の時間は、比較的平穏な状態

でした。この日は私の予想に反して、8名の礼拝出席がありました。礼拝30分前には、現在北九州

で仕事をしていて、現在日本基督教団の小倉日明教会に出席しています、かつて紅葉坂教会に私が

いた時に、紅葉坂教会の教会員でもありましたYさんがいらっしゃいました。その前にM人さんが

来ていましたので、二人の会話が、二階の牧師館にいました私のところにまで聞こえました。Yさ

んは、翌日から行われるラキネットの集会に参加するために横浜に来たそうですが、一日前に来

て、船越教会の礼拝に出席してくださったということでした。旧交を温めることもできて感謝で

す。その後その日の司会担当のIさん、Hさん、Nさん、I・Kさん、Sさんが、礼拝に見えまし

た。ということで、私の予想が見事に覆されて、8名がその日の礼拝を共にしました。礼拝後は、

何時もより短めにお茶の会をして、懇談の時を持ち、早めに散会しました。私は、後片付けなどを

して、午後2時ごろ船越教会を出て、鶴巻に向かいました。

・今回の台風も、京都をはじめ様々な場所で川の氾濫や浸水、風の事故がでましたが、幸いに船越

教会も鶴巻の私の自宅もほとんど台風の影響はありませんでした。むしろ、台風一過、16日は素晴

らしい快晴の日で、鶴巻の近くの田畑からは、五合目位から上の富士山をはじめ、丹沢と箱根連山

の山並みが見事でした。被災に会われた地域の方々には申し訳ないという思いを抱えながら、その

見事な自然の風景に圧倒されてしまいました。

・18日の水曜日には、8月はお休みをしましたが、月一回の鶴巻での小さな集まりを持ちました。

私と連れ合いの他に3人の参加で、5人の集まりです。その中の一人が画家で、彼と私は彼の高校生

時代からの付き合いで、彼は私より7歳年下です。彼は、多分この時代や社会の中で、常に自分を

異邦人と感じて生きてきたのではないかと、私には思われます。彼の中には真偽を見分ける直観の

ようなものがあって、偽りであっても安定を求める生活優先者への嫌悪をどこかに持っていて、彼

本人は何時も生き難さを抱えながら、若い時から今に至るまで、周りからの支えもあってのことで

すが、何とか生き延びてきているのだと、私は思っています。長い付き合いですので、思った事を

お互いに率直に話すことができます。他の2人は夫婦ですが、その2人も、私や連れ合いとは若い

時からの付き合いです。そういう意味では、5人は古くからの友人同士という関係です。私が聖書

の話をし、その後話し合いをし、夕方になって鶴巻温泉の弘法の里湯に行き、1時間ほど温泉に入

って、夕食を共にして散会するという集いです。

・19日(木)は、午後3時前に船越教会に着き、夜の聖書研究のレジメを用意して、午後7時30分か

ら、ガラテヤの信徒への手紙1章6~12節を扱いました。出席者は私を含めて5人ですが、ガラテ

ヤのテキストの話よりも、パウロ批判乃至はパウロ主義批判のような話しになりました。20日

(金)は、寿のカラバオの会が支援しています、アフリカのコンゴの人で、日本に難民申請をして

いますMさんの難民認定に関する第2回公判が東京地裁であり、私も傍聴者の一人として参加しま

した。Mさんへの支援にご協力いただければ幸いです。