なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(264)復刻版

 今日も、9年前の「黙想と祈りの夕べ通信(264)」復刻版を掲載します。当時辺野古のボーリング

調査が行われ、辺野古の海では、防衛施設庁に雇われた調査船と新基地建設反対派との攻防が激しくなっ

てきた頃です。

 さて、今日は、朝早く午前6時前に小田急鶴巻温泉駅から電車に乗って、8時過ぎに待ち合わせしていた

京急田浦駅まで行きました。今日は月一回行っています横須賀の路上生活者のパトロールがあったからで

す。先月のこの会に参加した高校生が今回も参加したいというので、京急田浦駅前でその青年と待ち合わ

せして、船越教会のメンバーが運転すする車に分乗して、パトロールに行きました。途中もう一人の方を

乗せて、4名で回りました。竹藪の中にビニールハウスを作って、そこで休んでいらっしゃる方もいまし

たが、ぐっすり寝ていましたので、声をかけずに、おにぎりをビニールハウスの入り口のところにおいて

引き上げました。お昼過ぎまで、パトロールをして、私と高校生の青年は、京急安針塚駅前で自動車を降

りて、京急に乗ってそれぞれ帰途につきました。       


        黙想と祈りの夕べ通信(264[-3]2004・10.17発行)復刻版


 今日ホームで生活しています教会員のお年寄り二人をお訪ねしました。一人の方は私が1995年4月

紅葉坂教会の牧師として働くようになりました時に既に脳梗塞でしょうか緑区の病院に入院していて、

はじめてお訪ねしたときは殆どご本人からの反応はありませんでした。それから少しずつ反応があるよう

になりましたが、言葉にはならず、うなずいたり言葉にならない叫びのような発語での応答でした。でも

私の方にも喜怒哀楽の感情が伝わってくるように感じられました。私がお訪ねするようになってから9年

半、約10年の時間が経過しようとしています。その間病院から特別養護老人ホームに変わりました。最

近はお訪ねして、紅葉坂教会からきましたと言っても、しげしげと私の顔を見ているのですが、その顔が

不思議そうな様相をしていて、どうも分かっていないように感じられます。私はヒムプレイヤーを持参し

ていきましたので、讃美歌第一編312番の「いつくしみ深き」など数曲を歌ってから、祈って帰ってき

ました。この方はご家族の方がよく見舞いにいらっしゃいますので、恵まれていると思います。以前お子

さんがないご夫妻で、夫に先立たれ、リュウマチで全身動けなくなった方が甥姪に世話されて、八王子か

ら五日市街道へバスで50分ほどのところにありました病院に入院していました。その病院に入院してい

らっしゃる方々の中には殆どお見舞いにいらっしゃる方もないということでした。命の重さを抱えてその

ような寝たきりの高齢の方が多くいらっしゃることを思うわけですが、一方インターネットで知り合った

自殺志願者の若者が集団自殺するという現在です。命の重さとその命への尊厳が大切にされる社会でなけ

ればと思います。そのために私たちキリスト者の責任の重さを痛感させられます。

上記の私の発言に続いて一人の方からの発言がありました。いつも辺野古のことを報告しているが、昨日

も国会前の座り込みに行った。社民党の事務所に預けてあるパネルなどを朝出してきて、衆議院議員会館

の壁に貼っている。昨日から国会がはじまったので、いつもパネルを貼る場所に既に日本共産党系の年金

組合の人たちがいたので、隣の場所に貼ろうとした。すると4人の警察官がすぐに来て、届出があるか、

誰が責任者かと高圧的に質問された。「私はよく分かりません」と答え続けた。ただここではもう72日

になるとだけ答えた。隣の年金組合の人が助け舟を出してくれて、「僕も何回も見ているよ」と言ってく

れた。警官がどういう集団か知らせろと言うので、ビラを見せた。警官は辺野古という字が読めなくて、

私が説明したら、そのまま帰っていった。年金組合の人が頑張って下さいと、今お金がないのでこれだけ

と言ってカンパしてくれた。ビラを渡したら、それを読んでその人が戻って来て、そんなに大変ならと言

って、さらにカンパしてくれた。辺野古の情報は赤旗には載っているので、辺野古のことを知っていたの

かもしれない。弱い者は弱い者が助ける。普天間で米軍のヘリが沖縄国際大学構内に墜落したとき、日本

の警察は沖縄の人が事故現場に近づけないように楯になって米軍を守った。若い警察官に何のために警官

になったのか、日本の民衆を守るためではなかったのかと聞きたい。その警官のためにも平和運動はあ

る。弱い者は弱い者を助けるその温かさを経験して力づけられた。