なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(284)」復刻版

 日曜日から昨日まで、神戸に行ってきました。兵庫教区の二つの集会で話をさせてもらいました。一つ

は、教師部研修会で「現場から『伝道』を考える」とうテーマで、もう一つは、教師制度問題協議会で

「制度と現場の狭間で”教団教師”を問う」~日本基督教団教憲・教規と向き合いつつ~というテーマで

した。二つともそう簡単には解答のでない問題ですから、自分の置かれた場での現状報告のような話をし

ました。前者には信徒を含めて75名ほどの方が、後者のは35名ほどの方が私の話を聞いてくれました。兵

庫教区には若い教職も多いという感じで、日本基督教団の負の歴史をどれだけ共有してもらえるのか不安

でしたが、このような機会をあたえられたことを感謝しています。

 昨日は、朝神戸を経って直接農村伝道神学校に行き、説教演習をしてから、寿地区センターで用事を済

ませてから、鶴巻に戻りました。ということで、2日間このブログを休ませてもらいました。

 今日は「黙想と祈りの夕べ通信(284)」復刻版を掲載します。


        黙想と祈りの夕べ通信(284[-23]2005・3.13発行)復刻版

 教区・教団との関わりの中で感じさせられているひとつのことは、教団の教会の内向きという傾向が大

変根強いということです。日本のカトリックで解放の神学のことをよく書いています山田経三さんの『2

1世紀の挑戦にこたえる教会~日本の教会と世界の教会~』という本を最近古本屋でみつけて購入し、読

んでみました。カトリック教会では1960年代前半にありました第二バチカン公会議以後、社会に開かれた

教会をめざして、一部では著しい変革が進んでいます。上記著書の第一部は「21世紀と日本の教会」

で、この論文では教会の変革のあり方が総合的に論じられています。たとえば、その第1章は「『内向

き』の姿勢からの脱却」という題です。第7章は「『開かれた』教会をめざして~壁のないキリストにな

らって~」です。最も貧しくされている者にイエスの福音が最も集中的に向けられているがゆえに、教会

はそのイエスの福音に与るべく最も貧しくされている者に寄り添い、社会的な活動も宣教の課題として取

り組んでいくという、その方向性は私たちが考えている教会のあり方と殆ど変わりません。ただローマ法

王の存在、つまり首位権につては全く批判がなく、当然のこととして前提されているところは明らかにカ

トリックという感じです。教団の教会でも教職の存在が教会の改革にマイナスの機能を果たす場合が多い

のですが、この本でも神父さんたちが伝統的な位階制に則って、伝統墨守の機能を果たす例が多いことが

述べられていました。リーダーシップとしての教職の役割は、上に立ってついて来いというのではなく、

聖書に基づくある種のコーディネイターの働きができ、信徒のそれぞれの賜物が用いられて生かされるこ

との大切さが強調されていました。いろいろ共感し、学ぶところが多く、カトリックプロテスタント

現代社会の変化から教会が問われ、それに対して試行錯誤をしながら、それぞれの教会が歩んでいること

を改めて感じさせられました。

  上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。先週は神奈川教区の性差別問題特別委

員会主催の「心のノート」を学ぶ集会に参加した。このノートであるひとつのものに向かわせるために、

見えないものへの畏敬の念を育てるという教育が行われているという。日本の現代社会の一般的な傾向と

しては、子どもたちに畏敬の念をもたせるということは欠けているように思う。そのような状況の中で教

会の日曜学校は子どもたちに、見えない大きなものに目を注ぐ大切さを語ってきた。しかし、そのことが

抵抗なく国への畏敬に転化する危険性を感じている。むしろ、これは変だと思える感性、自由さの中で選

択できる自己をもつことが大事ではないか。強制されて、学校の教育に素直に従ってしまうことのないよ

うにと思う。国会前の辺野古支援の座り込みに80歳くらいの女性が来る。彼女は小さい時にお父さんから

大東亜戦争の誤りを聞かされて育ったという。その時は分からなかったが、父から伝えられたことが、自

分の平和への取り組みの基盤になっている。彼女はPEACEおばあちゃんと呼ばれている。衣服や持ち物にP

EACEと書いている。彼女は一人で憲法9条改悪反対を主張して国会前に立ち続けている。彼女の中にお父

さんの影響力を感じさせられる。継承の大切さを思わされる。強制する力が迫ってきている今、どれだけ

できるかは分からないが、次に伝えていけるようになりたい。子供たちが自由に選択できるようになるた

めに、日曜学校には大変大きな課題があると思わされている。これまでは年だから退くことを考えていた

が、そんなことは言っていられない。やれるだけやらなければと思っている。

 また別の一人の方の発言がありました。伝道師とは3年間の交わりを与えられ感謝である。私ごとにな

るが、かつて伝道師のおじさんに当たる牧師に学生時代1年間学んだ。その牧師によって、それまでは内

面的、個人的な信仰理解だった私だったが、社会の最も弱い立場の人と関わっていくことが現代の教会の

使命であることに気づかされた。それでも学生時代はそのことを本当にはよく分からなかったが、年を重

ねるにつれて少しずつ分かってきたように思う。一人一人がきちっと自分の足で立っていくことを考えて

いかないと、大きな力に流されやすい。組織の中で働いていると、同じことを感じる。声をあげることは

勇気のいることだが、しっかり声を出していけたらいいなあと思う。