なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(139)

          船越通信癸隠械后 。横娃隠廓12月22日                

・15日(日)の礼拝後は、今年は少し遅くなってしまいましたが、クリスマス・カードを船越教

会としてお世話になった方々や高齢や病気の方、遠方の方へ出す準備をしました。10枚ほどのク

リスマス・カードに名前を書いていただいたいり、一言言葉を添えて下さる方には、そのことをお

願いして、何とか後は封をして出すだけの状態まで準備することができました。その他にハガキの

クリスマス案内を、これは集会案内として、しばらく教会の礼拝に来ておられない方々に出すので

すが、宛名を書いてもらいました。その準備したものを私が持ち帰って、16日の月曜日にもう一度

封筒の宛名と中味のカードが不一致でないかどうか確かめ、封をしてクリスマスの切手を貼って投

函しました。

・今年の船越教会のクリスマスには、教会の建物の外階段からのぼって来たところの壁にある、横

須賀平和センター宣言の改訂版が、古くなって字が消えかかっているプレートに新しく掲げられる

ことになっています。平井俊江さんがインターネットで申し込んでくれた新しい平和宣言文が印刷

されたプレートが21日の土曜日に船越教会に着くことになっていました。それを古いものの上に

貼りつけるのです。21日(土)の正午頃に宅急便でその新しい平和宣言のプレートが届き、古い

ものの上に貼りつけることができました。以下が宣言文です。

・横須賀平和センター宣言

私たちは、先の戦争に対する責任を自覚し、いのちを脅かす貧困、差別、原発、軍事力をはじめと

するあらゆる暴力から解放されて、自由、平等、人権、多様性が尊重される平和な世界の実現を求

め、共にこの地に立つことを宣言します。
 
                        2013年・クリスマス 船越教会一同

                                 2013年10月20日改訂
    
            1990年05月20日

<平和をつくり出す人たちは幸いである。 マタイ福音書5章9節>

”Declaration of Yokosuka Peace Center”

”Based on our consciousness of Japanese war responsibility, we declare that we will sta

nd against all forms of violence such as life threatening poverty, discrimination, nucle

ar power and militarization. We pledge to stand here as citizens for freedom, equalit

y, human rights and a peaceful world where diversity is respected.”

                      Associated people with the Funakoshi Church

                                Yokosuka Peace Center

                                Christmas 2013          

・現在の安倍政権が船越教会のこの平和宣言とは反対の道を進んでいるとしか思えないこの時期

に、船越教会としてこのような新しい平和宣言を掲げることができたことを喜ぶと共に、その責任

の重大さを思わずにはおれません。この平和宣言を言葉だけに終わらせるのではなく、私たちは、

この言葉に実体を与える歩みを心がけていきたいと願うものです。祈りつつ、神からの命を受けつ

つ、それぞれの場でそれぞれの課題と向かい合っていきたいと思います。

・19日(木)夜に予定されていました聖書研究会は、何時も出席している方の都合が悪く、急遽

休会にしました。私はこの日昼前に鶴巻を出て、国会前に向かいました。辺野古新基地建設反対の

座り込みに参加するためです。鶴巻を出る頃、雨がぽつりぽつりと落ちてきましたが、都心は晴れ

ていることもありますので、出かけていきました。午後1時少し前に参議員会館前の、いつも座り

込んでいる場所に着きましたが、こちらもやはり、霧雨のような雨が降っていました。午後1時過

ぎまで待ってみましたが、誰も見えませんので、そのまま船越に向かいました。地下鉄永田町から

有楽町に出て、JRで品川に、品川から京急に乗り換えて京急追浜までいき、追浜で日曜日までの

食料を買い込んで、バスで梅田まで乗り、船越教会に着きました。木曜夜から土曜日夜までの食事

は、朝を除いて、この冬の時期はほぼ毎回自己流の水炊きです。鍋に水を入れ、沸騰させて鶏肉の

手羽先をはじめ骨のある部分と鶏肉の団子にお酒を少々入れて再度沸騰させます。そこに豆腐、ち

くわ、白菜、ねぎ、えのき、しめじ、もやし、春菊、時々マロニーを入れて、しばらく煮込んで完

成です。それをポン酢でいただきます。私は水炊きが好物で、今のところ飽きないで何度でも繰り

返しています。

・20日(金)はお昼を済ませてから、新橋から銀座方面に7~8分ほどのところにある画廊に、

名古屋時代に教会の関係者であるMさんの個展を見に行き、夜に寿地区活動委員会がありましたの

で、そのままそちら向かいました。Mさんの個展は、銅版画で、テーマは彼女の想像の世界なので

しょうか。何とも優しい雰囲気が漂っているものばかりです。

・この週は比較的自由な時間がありましたので、2冊の本を読みました。一つは東京ミッション研

究所選書シリーズ『天皇制の検証~日本宣教における不可避な課題~』、東京ミッション研究所編

です。もう一つは、雨宮栄一さんの書いた『日本キリスト教団教会論』です。前者は1991年、後者

は1981年に出版されたものです。雨宮さんのものは、出版された時に既に一度読んでいましたが、

今回再読して、日本基督教団の教会性についての問題は、この本が出版された時も今もほとんど変

わらないように思えました。天皇制については、日本基督教団はその成立の時から天皇制に包括さ

れる形で出発していますので、それこそきちっと検証しておかなければならない問題です。教団成

立時の日本基督教団規則第七条の一において、「皇国の道に従いて信仰に徹し、各々その分をつく

して皇運を扶翼し奉るべし」と、教団は自らを規定しているのです。私は、現在教団で検討されて

いる宣教基礎理論第二次草案の内容を、教団成立の問題と関わらせながら、批判する文章を書いて

みたいと思っています。日本基督教団の宣教基礎理論というものがあり得るとするならば、戦時下

天皇制国家への屈従・内応の問題を避けることはできません。