なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(152)

            船越通信癸隠毅押 。横娃隠看3月23日              

・16日の日曜日の礼拝後、少人数でありましたが、今修理中の屋根と外壁のペンキの色を皆で決めまし

た。外壁は原色シロで、屋根は赤茶に決めました。シロは汚れるという意見もありましたが・・・。この

日は新来者が一人ありました。Aさんという埼玉の春日部の方です。以前に電話をいただき、私を訪ねて

話を聞きたいということで、この日実現しました。朝の日曜礼拝にも出席するということでしたが、彼が

到着したのは礼拝も終わりかけていた頃でした。JRの田浦からタクシーの乗ったようですが、田浦教会に

連れて行かれて、さんざん迷った末に船越教会にたどり着いたようです。タクシー代が3,000円もかかっ

たとおっしゃっていました。この方は現在40歳位のようですが、10年前までは自衛官として横須賀にいた

ということでしたので、横須賀の地理には詳しいのではと思い、船越教会への道順を詳しくは説明してい

ませんでしたので、大変申し訳ないことをしてしまいました。彼は私の裁判のことを聞いて、ご自身痛み

をかかえておられるようですので、ご自分の痛みと教師免職処分を受けている私の痛みとが共振したので

はないかと思いますが、私を支援しなければという思いを持たれたようです。最初は私の裁判支援会の事

務局長に、出前集会を春日部で開きたいという連絡が彼から入ったようです。事務局長から私の方へ連絡

があり、事務局長に私が彼に船越教会の連絡先を伝えてもよいと言って、その後彼から私の方に連絡が来

たわけです。彼が出席している春日部の教会もその親教会に当る越谷の現教団議長の教会も、彼が私の所

に来ることは好ましくないと考えているようで、現教団議長から彼は強く私の所へ行くのを止めるように

言われたということです。被告(現教団議長)の教会との関係を持つ者が原告(私)が関わりを持つ教会

に来るのはどういうものかということなのかも知れませんが、どんな場合でも、その方ご自身や他者の生

活や命にかかわることで、どうしてもやめさせなければならない事でなければ、その人の行動の自由を束

縛してはならないというのが私の原則です。この私の原則からして、この方が来たいというのを私は拒絶

しませんでしたが、お会いして話した時に、このように申上げました。あなたの立場が悪くなると行けな

いから、私の裁判へのご支援は、その気持ちだけでも嬉しいので、無理されないようにと。

・私の裁判支援をして下さる方の一人に、山口で障がい者の施設に入所されている方がいらっしゃいま

す。支援会から通信などの発送物を送る度に、事務局長宛てに事務局長や私や連れ合いに手紙をくれる方

がいます。「先生、裁判は負けないでください」と、繰り返し書いて下さいます。私はその方のお手紙を

大事にしていますが、何故繰り返し書いて来て下さるのかを、私なりに考えた時に、この方はこの方の立

場と私の教団における立場とが重なっていると思われているのではないかと気づかされました。今回船越

に来られた春日部の方も、この山口の方も、私以上に戒規免職処分を受けた北村という人はダメージを受

けているのではないかという思いと、そのように痛めつけている教団への怒りではないかと思うのです。

ご自身の痛みと怒りが、戒規免職処分を受けている私への同情を呼び起こしているように思われます。

・8日の火曜日は夜、寿地区センターで教区のオリエンテーション委員会があり、私は委員長として出

席しました。2013年度の報告と新年度の計画及び新年度委員について話し合いました。去る2月の教区総

会で教区の各部委員会の委員長は規則改訂で三選禁止になりましたが、常置委員会で1年移行期間が認め

られましたので、オリエンテーション委員会も寿地区活動委員会ももう1年だけ委員長を続けることにな

りました。

20日(木)は、雨が降っていましたが、午後横浜で21日の平和フェスタのうどんの買い出しを手伝い、

50食分のゆでうどんを伊勢町のスーパーで購入し、連れ合いと一緒に平和フェスタの会場である紅葉坂

会に搬入してから、私は船越教会に来ました。この日の夜は聖書研究会がありありました。ガラテヤの信

徒への手紙3章1-9節を扱いました。「ああ物分かりの悪いガラテヤのひとたち」という呼びかけでパ

ウロが書いているところです。福音とは何かという、教会やキリスト者にとっての根本的な問題が、最初

期の教会において既に論議されていたことに気づかされ、教会やキリスト者の一致は希望における一致で

あることを改めて確認させられました。私の問題も、法による処罰ではなく、論争による道で解決を見出

す方向を教団は取るべきではなかったかと、今でも思っております。

・21日(金・祝)には第11回目の平和フェスタが10:30から14:30まで紅葉坂教会を会場にして行われ

ました。この平和フェスタは神奈川教区の社会委員会を中心にして行われていますが、民族共生をめざす

小委員会、ヤスクニ天皇制問題小委員会、基地・自衛隊小委員会、性差別問題特別委員会、社会福祉小委

員会、寿地区活動委員会(寿地区センター、カラバオ、ろばの家)、沖縄交流委員会、核問題小委員会、

国家秘密法反対小委員会、部落差別小委員会、それに神奈川外キ連がそれぞれブースを出したり、販売物

を売ったり、カレーやうどんやチチミなどつくって、その売り上げを、東日本被災者支援や朝鮮学校支援

に当てています。今年は朝鮮学校の生徒たちの民族舞踊と民族楽器による演奏があり、その後朝鮮学校

ついてのお話がメインにありました。お話しをして下さった女性の方から、自分は在日の3世だが、朝鮮

学校に来ている子どもたちは4世、5世であるということをお聞きして、ああそうなんだということを改

めて思わされました。日本社会の中で生きて行くことを選び取っている在日の方々が、民族的なアイデン

ティティーを維持しながら、日本社会の中で日本人や他の外国人と共に生きて行く道が法的にも保証され

るような日本社会にしていかなければと、改めて強く思わされました。「外国人住民基本法」の制定の実

現をめざすと共に、朝鮮学校の支援にも継続的に取り組んで行かなければならなりません。被差別部落

別から沖縄や福島や「在日」及び外国人に対する日本社会の構造的な差別、子どもや女性や高齢者への差

別、非正規雇用という雇用における差別・・・。「みんなちがって、みんないい」(金子みすず)、違い

を認め合った平等な社会の実現は永遠の課題ですが、一歩一歩そこに向かって歩み続けたいと、強く思わ

されました。