なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

使徒言行録による説教(60)

     使徒言行録による説教(60)使徒言行録16章25-34節
              
・今日の使徒言行録の記事は、フィリピの町で牢に投げ込まれたパウロとシラスの牢内での出来事が記されているところです。人が牢に入れられるということはどういうことなのでしょうか。例え何も犯罪と言えるようなことを犯していなくても、権力に逆らう者が牢に入れられるということは今でもあり得ることです。パウロとシラスの場合も、何か犯罪を犯して牢に入れられたわけではありませんでした。二人は占いの女から霊を追い出したところ、その占いの女によって金もうけしていたこの女の主人たちが、逆恨みしてパウロとシラスを訴えて、その町の高官に突き出したので、高官は二人に鞭打ちの刑を与え、牢に投げ入れ、看守に厳重に見張るように命じました。看守は高官の命令を受けて、二人を一番奥の牢に入れて、足枷をはめておいたのです。

・鞭打たれ、足枷を嵌められて、牢の一番奥に入れられた二人は、鞭打ちによる大きな苦痛に耐え、これからどうなるかわからないという不安を抱えていたに違いありません。にも拘わらず、二人は、「真夜中ごろ、賛美の歌をうたって神に祈っていた」というのです。そして「ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」というのです(25節)。この25節の言葉からしますと、その時牢の中ではパウロとシラスを中心にして神賛美としての礼拝が捧げられていたと言えるのではないでしょうか。二人の賛美と祈りに、ほかの囚人は聞きいっていたというのですから、この礼拝は牢中全体での礼拝ということが出来るかもしれません。つまり、この時、人が捕らえられて投げ込まれ、監視人がいて束縛されている牢屋という場所が、礼拝の場所になったということではないでしょうか。

・「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである」(マタイ18:20)とイエスは言われました。牢屋の中で、足枷を嵌められて拘束されていたパウロとシラスの二人には、このマタイによる福音書のイエスの言葉が当てはまるように思われます。私たちが毎日曜日行っているこのような教会堂における礼拝と、牢屋の中で真夜中に賛美を歌って神に祈ったパウロとシラスの二人による礼拝とは、神賛美という礼拝の本質においては何も違いがありません。

・今日の週報の船越通信の中にも書いておきましたが、井上良雄先生の「「教会は何のためにあるのか」という題の説教の中で、「教会に平安を求めるのは、半分の真理であり、神の恵みによって平安を見出した私どもは、その恵みに対する讃美告白をしなければならない。それがもう一つの真理です。それを忘れてはならない。それを忘れるということは聖書のみ言葉を半分しか聞いていないということ、そして聖書のみ言葉を半分しかきいていないということは、全く聞いていないと同じです」と語っています。これは教会員でありながら、礼拝に出席しないという疎遠会員の問題を意識して語られた説教です。私たちが、礼拝において慰めを受けるという受け身の形だけではなく、もっと積極的、能動的に礼拝に出席しているのは、慰めを受けた私たちが神を讃美告白するためであるというのです。そして井上先生は、「神が本来イエスの復活で人間の歴史を終えてもよかったにもかかわらず、再臨までの時間を設けられたのは、神の恵みに対する人間の応答の声を聞くためであった、感謝の声を聞くためであった、讃美告白の声を聞くためであったということです。いま私どもが生きているこの地上の時間は、神の恵みに対する私どもの側の応答、感謝、讃美告白の時間として設けられているのだということです」とおっしゃっているのです。そのような意味で、パウロとシラスは、賛美の歌をうたい神に祈ったのではないでしょうか。

・私たちは、私たちが生きているこの地上での時間が、神の恵みに対する私たちの側の応答、感謝、讃美告白の時間として、神によって設けられているということを忘れてはならないと思います。そのことを忘れて、私たちが生きているこの地上の時間を、ただ人間の営みの集積としてのみ受け止めるだけだとすれば、パウロとシラスのように、真夜中に牢屋の中で賛美の歌をうたい神に祈るという行為はあり得ないでしょう。牢屋の中に拘束されている不自由な状態の中で、私たちが出来るのはただ痛めつけられた肉体の苦しみと将来への不安にさいなまれることだけです。

第二次世界大戦のとき、ナチス・ドイツではボンフェッファーが、1943年1月にユダヤ人の亡命を援助したということによって逮捕されます。獄中のボンフェッファーの生活は、『抵抗と信従』という獄中書簡を読む限り、ちょうどこの使徒言行録のパウロやシラスと同じように、聖書の言葉によっての獄中の仲間を励まし力づけていて、獄中の中で神の恵みに対する応答、感謝、讃美告白を貫いていると言ってよいでしょう。そのボンフェッファーは、1944年7月20日ヒットラー暗殺計画が失敗し、多くの関係者が処刑、または逮捕されますが、1945年4月にその関係者の日記からボンヘッファーの関与が発覚。わずか数日後の4月8日、ボンヘッファーはフロッセンビュルク強制収容所へ移送されて死刑判決を受け、翌日絞首刑に処されたのです。

・さて、使徒言行録の記事に戻りますと、パウロとシラスが「賛美の歌をうたって神に祈っていると、ほかの囚人たちはこれに聞き入っていた」時、「突然大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」(26節)というのです。これが、使徒言行録の作者ルカによってパウロとシラスが聖者と崇拝されることによってつくられた奇跡物語としての創作なのか、実際に起こった地震であったのかはともかく、パウロとシラスの神賛美と祈りに続いて、この地震が起こって、牢の戸がみな開き、囚人の鎖も外れ、牢からの解放という事態が告げられていることに注目したいと思います。

・私はこの記事には神礼拝と牢からの解放が一つの出来事であるというメッセージが込められているのではないかと思います。神を讃美告白し神に祈る者は、牢に捕らえられてありながら、その束縛から自由であるというメッセージです。この使徒言行録のパウロとシラスだけでなく、先ほどのボンフェッファーの場合もそうです。またキリスト教の歴史の中では、そのような信仰者が時代と場所を越えて、多くはないとしても絶えないで存在し続けているのではないでしょうか。

・「突然大地震が起こり、牢の土台が揺れ動いた。たちまち牢の戸がみな開き、すべての囚人の鎖も外れてしまった」(26節)のを知って、「目を覚ました看守は、牢の戸が開いているのを見て、囚人たちが逃げてしまったと思い込み、剣を抜いて自殺しようとした」(27節)というのです。囚人が脱走した場合、その受けるべき刑罰は看守に課せられるという定めがあったのでしょう。看守はもはや死刑を免れないと覚悟したのでしょうか。すると、「パウロは大声で叫んだ。『自害してはいけない。わたしたちは皆ここにいる』」と言って、それを制止したというのです。

・「看守は、明りを持って来させて牢の中に飛び込み、パウロとシラスの前に震えながらひれ伏し、二人を外に連れ出して」、「先生方、救われるためにはどうすべきでしょうか」と二人に尋ねたと言います。二人は、「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます」と答え、「看守と家の人たち全部に主の言葉を語った」というのです。そして、「まだ真夜中であったが、看守は二人を連れて行って打ち傷を洗ってやり、自分も家族の者も皆すぐに洗礼を受けた」というのです。その後「二人を自分の家に案内して食事を出し、神を信じる者になったことを家族とともに喜んだ」と言われています。

・この部分を読んでいますと、ルカの記述にはいろいろと飛躍があるように思われますが、ここでルカが語ろうとしていることは、看守とその全家族とが、奇跡的に入信したということではなかったかと思われます。イエスの福音を信じ、讃美告白する者には、パウロらがフィリピの町で経験しましたように苦難が伴います。この看守の家族は、その後どういう生涯を送ったのでしょうか。使徒言行録にはそのことは全く記されていません。「恐らくその職は奪われ、かつての同僚たちの非難攻撃に、さらされたことであろう。これについては、パウロの次の言葉が、逆に一つの照明を与える。『彼ら〔ユダヤにある神の諸教会〕がユダヤ人から苦しめられたと同じように、あなたがたもまた同国人から苦しめられた』(汽謄汽蹈縫2:14)」(高橋三郎)といいうことかも知れません。

・私たちは、今日もまたこのように礼拝を捧げています。礼拝はイエスの生涯と十字架の死と復活によって出来事となった神の恵み(福音)への讃美告白です。私たちがこの礼拝に与るということは、今日の使徒言行録の牢屋の中で起こった出来事に与っているということを意味するのではないでしょうか。神の恵みへの讃美告白が、牢屋の束縛に象徴されているこの現実社会のあらゆる抑圧にもかかわらず、その束縛からの解放を告げ知らせているという福音の事実です。この解放は、もちろん信仰による現実であって、即私たちが生きているこの現実社会の抑圧からの解放ではありません。しかし、私たちは、この信仰による解放の現実をもって、現実社会のさまざまな抑圧からの解放への業に与る者ではないでしょうか。