なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

3月23日(日)礼拝説教(その2)

「亀裂から見えるもの」マタイによる福音書27章45-56節(その2)
        2014年3月23日(日)受難節第3主日、横浜二ツ橋教会礼拝説教

・さて、イエスは、私とは全く違い、この世の権力により裁かれ殺されていったのですが、イエスの生、その語ったり行ったことが、何故この世の権力によって裁かれ、殺されなければならなかったのでしょうか。マタイによる福音書のイエスの死の記事は、マルコによる福音書の並行記事と比べますと、特に51節以下に、黙示的な終末の描写があり、ある面ではこのイエスの十字架死の場面全体が神話化されているように思われます。全体がドラマティックに描かれています。イエスが十字架上で息を引き取られた時に、「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂け、地震が起こり、岩が裂け、墓が開いて、眠りについた多くの聖なる者たちの体が生き返った。そしてイエスの復活の後、墓から出て来て、聖なる都に入り、多くの人々に現われた」(51~53節)と記されています。しかし、イエスの死の記事はマルコもマタイもへブル語とアラム語の違いはありますが、「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」という叫びを挙げてイエスは死んだこと。そして、そのイエスの死を見て、ローマの兵隊であった百人隊長たちが、「本当にこの人は神の子であった」と言ったこと。この二つのことはマタイとマルコのどちらも共通しています。

・「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」と、十字架による酷い刑罰による死の間際にイエスが叫んだということが事実なのかどうか。それは分かりません。近くにいた人が、この詩編22編(2節)の言葉を確かにイエスの口から叫んだのを聞いて、それが言い伝えとして残されたという可能性がないとは言えませんが、この詩編の言葉は、後世の人がこの詩編の苦難の義人の叫びを、死の間際におけるイエスの叫びとして描いたのだと、私には思われます。ですから、この十字架の場面の詩編の言葉は、後世の人がイエスの口に入れた言葉ではないかと思います。

・しかし、このような詩編の言葉を実際に口に出してイエスが叫ばなかったとしても、これが、呻きながら十字架上で息を引き取ったイエスの心の叫びであっただろうということは、事実ではないかと私は思います。人には何も言葉として発しなくても、その人がそこに存在する時に、その人の存在の叫びがあると思うのです。差別を受け小さい時から言葉も教えられずに育ち、言葉としての表現力が十分になく、差別抑圧を受けたボロボロに痛んだ心身を持った人がそこに存在する時に、その被差別者の存在が私たちに訴えているということはあるように思います。一言の言葉を発しなかったとしても、そこにその人が存在するだけでその人の存在の叫びがあるのだと思うのです。そのように考えた時に、十字架上のイエスは言葉としては何も語らなかったとしても、その十字架上でのイエスの存在の叫びを、後の人が詩編22編の苦難の義人の言葉と重ね合わせて聞き取り、その言葉をイエス自身が語ったものとして受け止めたということはあり得ると思うのです。「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」、そういう叫びを十字架上のイエスの存在はその内側に持っていたということだと思うのです。

・ところで、イエスは自分を十字架にかけたピラトをはじめユダヤの大祭司たち、長老、律法学者たち、そしてイエスを裏切った弟子たちや、嘲り罵ったローマの兵士たちやユダヤの民衆、そのような人々に対して、イエスは何か恨みがましい思いをもっていたのでしょうか。聖書を読む限り、私にはこの十字架上のイエスからそのような恨みがましい思いを読み取ることはできません。もしそのような思いをイエスが持っていたとするなら、何らかの形で「ちくしょう!」とか「馬鹿にするな!」といった、自分を十字架にかけた人々を罵った言葉を発したのではないかと思うのです。しかし、福音書の十字架上のイエスは、自分を十字架にかけた人々に対して一切そのような罵りの言葉を発しておりません。むしろ、彼らのしていることを、イエスは自分の体で包み込んでいると言うか、受け入れていると言うか、そういう態度ではなかったかと思うのです。

ルカによる福音書によれば、十字架上でイエスは「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか分からないのです」(23:24)と言われたと記されています。もしこの言葉がイエスによって語られたとすれば、イエスは、自分のしていることが分からない人々によって十字架に架けられたと思っていたことになります。もしそのようにイエスが思っていたとするならば、何をしているかもわからない人々がイエスに対して行っている十字架による処刑をはじめ、裏切り、嘲笑、罵りなど一切を、ご自分の存在と体とで受け止めていたということではないでしょうか。勿論、イエスは彼らの行為を認めたということではないと思います。むしろその存在と体は、文句を言うとか、愚痴を言うとかということではありませんが、沈黙をもって、彼らのイエスに向けられた攻撃や嘲笑に対して抗っていたと思います。これはいったいどういうことを意味するのでしょうか。

・イエスは、十字架上でもイエスらしく振る舞われたということではないでしょうか。イエスにとって自分らしくあるということは、何よりも「アバ父よ」と祈った神との関係において、自分が何者であるのかということを、また自分がどう生きるのかということを、その都度その都度問いかけ、インマヌエル(神我らと共に)を信じて、自分らしくあることを貫いていったということではないでしょうか。他者の痛みを自分の痛みとして感じ、苦しむ者、社会的に弱くされている者に深く共感して、彼ら・彼女らと交わり、共に苦しみ、共に喜び、その生涯を送っていったのがイエスではないかと思うのです。

・そのイエスの公生涯がはじまったのは、彼がバプテスマのヨハネの運動に加わって、悔改めてバプテスマを受けた時からだったと聖書は告げています。その時、「水の中から上がると、すぐ天が裂けて、“霊”が鳩のようにご自分に降ってくるのをご覧になった。すると、『あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者』という声が、天から聞こえた」(マルコ1:10,11)と言われています。これは、イエスの洗礼の場面に出て来る聖書の言葉です。ここに、天から「あなたは、神の最愛の子だ」と告知されています。イエスバプテスマのヨハネから洗礼を受けた時、それまでの父ヨセフの大工を継いで母マリアや兄弟姉妹と生活していたその場所を離れ、そしてバプテスマのヨハネの運動に触れ、悔改めて、方向転換をして公生涯に臨んだと推察されます。その公生涯に臨んだ出発点に、彼が何を感じたかというと、自分は「神の最愛の子だ」という、そのことではなかったかと思います。彼にとってはそれ以来、神との垂直の関係の中で「神の最愛の子」として生きていくこと、それが公生涯におけるイエスの、謂わば新しい生き方ではなかったかと推察します。そしてそのようなイエスの生き様が、十字架上でも貫かれたのではないかと思うのです。「神の最愛の子」として、イエスは十字架上でも己を貫いていったと、私には思われるのです。ですから、自分を十字架にかけた人々には、恨みがましいことは何一つ言わずに、父なる神に向かって、「わが神、わが神、何故わたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)と叫んだのではないでしょうか。

・ここに私はバプテスマのヨハネの洗礼を受けた以降の、イエスの新しい生涯の集大成を見ることができるのではないかと思います。神の前に最愛の子どもとして立ち続けていく、多くの人から、自分の体と存在が十字架上に持ち運ばれていった時に、一見絶望的な叫びに思われますが「わが神、わが神、わたしをお見捨てになったのですか」というイエスの叫び信頼の叫びであると、私は思っています。あの十字架上で、「どうしてわたしをお見捨てになったのですか」と神に向かって叫び得たとうことは、イエスと神との関係はそこでも神と、その神の最愛の子として繋がっていたということではないかと思うのです。彼は、ある面でバプテスマのヨハネから洗礼を受けて公生涯に立って以降、十字架上の死に至るまで神との垂直の関係に立ち、その愛された者としての己を最後まで貫いていった、そのように思えてなりません。

・一方、イエスを十字架上につけた人々はどうでしょうか。ここに出て来る婦人たちは、私たちがこの物語を読む時に最後までイエスの傍らにいて、心配しながら見守っていたという、まだ何か救われるような思いを持ちますけれども、この十字架の場面に登場していく他の人々は、一体、彼らが与えられた命、或は彼らが与えられた神からの賜物を、本当に大切にして自分らしく生きていたのでしょうか。

・ピラトをはじめイエスを十字架につけた人々は、それぞれ神の前に、神に命あたえられた者として自分らしく存在したというよりも、権力を血肉化した己として、その十字架の場面に立ち会ったのではないでしょうか。つまり、命あたえられた己である本当の自分というものを抑圧して自分を殺し、権力の奴隷として己を権力に売り渡した人々が、イエスを十字架にかけ、イエスの十字架の周りに立っていたのではないでしょうか。、そこには強大なローマ帝国ローマ皇帝の権力が予測されますし、その下で逆らい得ない自分というものを感じていたでしょう。中には、こんなことを何故自分がするのか、と逡巡する人がいたかも知れません。が、しかし彼らの存在そのもの、行動そのものが権力の奴隷、権力の血肉化として、真の自分というものを置き忘れていった、自分の与えられた命そのものの祝福、賜物を、長い生活の中で忘れ去っていってしまった人々ではないかと思います。

・そのような人々の視線を受け、神の最愛の子として十字架上に息絶えたイエスを見て、百人隊長たちは、「本当にこの人は神の子であった」と言わざるを得なかったのではないでしょうか。そして、十字架上のイエスの死の出来事は、後の人々に、或る気づきを与えることになって行ったのではないかと思うのです。何よりも神に愛され、神の子どもとして自分が存在していること、この世のしがらみの中で、自分の存在を神以外の神々に売り渡して生きて来自分が、イエスの十字架を通して本来の自分自身に立ち返り、神を神として、隣人を隣人として生きる者になっていく。そのような気づきをこのイエスの十字架死は、多くの人に与えたのではないかと思うのです。また、今も与えているのではないかと思うのです。もし、贖罪ということがイエスの十字架について言えるとするならば、私はこの贖罪の意味とは、まさにこの気づきではないかと思うのです。

・まったく無力で、しかし神に命あたえられた者として、神の最愛の子として十字架上に自ら息引き取ったイエスは、我々人間と同じ人間として、あのように素朴に、しかも豊かに、命の創造者である神から与えられた命を大切にして、生涯を全うすることが出来た。そのような道が、我々と同じ人間イエスによって拓かれているのではないでしょうか。そのイエスの道を自分の中心に据えて、己もまたそのような存在として大変厳しいけれども、神から与えられた命をもって自分の人生を貫こうと、そのような悔い改めという方向転換が弟子たちを始め人々の中におきて、そしてイエスを真ん中にした交わりが生み出され、教会が誕生していったということではないでしょうか。

・この教会が、一人一人神に愛されている神の子どしての己を取り戻す、お互いの出会いの場となっていくことを切に願うものであります。