船越通信癸隠沓押 。横娃隠看8月10日
・8月3日(日)平和聖日の船越教会の礼拝説教は関田寛雄牧師にお願いしました。私は前日の8月
2日(土)午後2時過ぎの新幹線で大阪に向かいました。新大阪から地下鉄で難波に行き、難波から南
海電鉄で堺まで行きました。堺駅前のホテルに2泊することになっていましたので、そのホテルに午後
6時少し前に入ることができました。その日は午後6時半からT教会のK牧師とI牧師のご夫妻と信徒のI
さんご夫妻と5人で夕食を共にしました。このIさんご夫妻は、以前紅葉坂教会時代に一時お二人の娘
さんが礼拝に出席していて、お二人も紅葉坂教会の礼拝にも出席したことがあって、顔見知りでした。
また、Iさんは教団総会議員でしたので、教団総会でお会いしたり、私の支援会の集会にも出席してく
ださったことがありますので、これまでにも何回かお会いしておりました。2時間半くらい親しく会食
の時を楽しむことができました。午後8時半過ぎには別れて、私はホテルに帰り、翌日の礼拝説教と夜
の支援会の大阪出前集会での発言に、もう一度目を通してから休みました。3日の日曜日は、9時半過
ぎにIさんが自動車でホテルまで来てくださり、その自動車に同乗させていただいて、T教会に行きまし
た。T教会は、以前幼稚園のあった教会で、現在は幼稚園が閉園になっていて、敷地が広い教会です。
礼拝堂のある建物ともう一つ以前は園舎だったと思われる建物があり、その建物の2階が牧師館になっ
ているとのことでした。かつての園庭が今は駐車場になっていて、自動車で礼拝に来る方も、駐車場
の心配はないようです。礼拝堂は2階で、その階下は集会室になっていて、月一回は2階の礼拝堂に上
がるのが困難な方もおられるのでこの一階の集会室で礼拝を行っているということでした。3日の礼
拝は2階の礼拝堂で行われました。
・私はルカ福音書10章25~37節の「善きサマリア人の譬え」をテキストにして、平和聖日の説教をし
ました。T教会の8月10日の週報に説教要旨の依頼があり、書きましたので、その説教要旨を以下に転
載しておきます。
・ <〔説教要旨〕 「平和の原点」
平和聖日に「善きサマリア人の譬え」(ルカ10:25-37)は何故かと思う方もあるかも知れま
せん。平和と善きサマリア人の譬えが語ろうとしていることとどんな関係があるのかと。
祭司とレビ人はエルサレム神殿に仕える宗教家でした。神の宮であるエルサレム神殿に仕えるので
すから、神を大切にしていた人でしょう。この二人は強盗に襲われて傷つき倒れていた旅人を見なが
ら、そのそばを通り過ぎます。傷つき倒れている旅人の血に触れたり、もしこの旅人が死んでしまっ
ていたら、死人に触れることは汚れを意味したからです。一方ユダヤ人とは近親憎悪の関係にあった
サマリア人は、傷つき倒れている旅人を見て、その痛みに共感し、憐み、応急手当てをして、自分の
ろばに乗せて宿屋に連れて行き介抱して、宿屋の主人にお金を払いこの旅人の介抱を頼み、費用が足
りなかったら帰りに払う約束をして立ち去ります。このサマリア人は、病者を癒し、悪霊に憑かれて
いる人から悪霊を追い出した、他者の痛みに共感して行動したイエスその人のようです。
清浄の規定や近親憎悪という観念が、また民族や国家や貧富や性差の相違などの考えが、ありのま
まのその人を見失わせます。人は誰も神に造られた者として所与の命を生きるひとりです。「もはや
ユダヤ人もギリシャ人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もありません」(ガラ3:28)。
私たちにとって他者は、神のもとに対等同等な者として共に喜び共に苦しむ仲間なのです。共に生き
る者にとってベースになるのは「共感」する心ではないでしょうか。イエスは「底点志向者」(深津
文雄)として、最も苦しむ者の地平に立ち他者と共に生きられました。そのイエスの共生は底点志向
ですから、すべての人を包括し、すべての人が方向転換してその地平に立てる可能性があります。そ
こに神の支配としての神の国の現実があるのではないでしょうか。
アメリカの海兵隊の訓練では、他者への共感を麻痺させて、人間を武器をとって人を殺すマシーン
仕立て上げることが目的だと言われます。私たちがイエスと神以外の何ものかに魂を売り渡してしま
う限り、平和の実現は不可能です。他者の痛みへの共感を原点にして、平和を造り出す者の幸いを生
きることができればと願います。 (北村慈郎)>
・礼拝後、階下の集会室で昼食を共にし、話し合いの時を持ちました。聖書には洗礼を受けた者だけ
が聖餐式に与かれるというようなことはないが、それが出てきたのはいつごろかという質問から始ま
って、いくつかの質問に私が答えました。
・3日(日)18:00~20:30には大阪のT教会で、私の支援会の大阪出前集会が行われました。雨が降っ
ていましたが、34名の方が出席してくれました。私が1時間ほど話をして、質疑応答および意見交換
が行われました。意見の中には、・北村さんは実質的に困っているわけではないだろうから、今もっ
とやるべきことは、現在の危機的な政治状況の中での行動ではないかという主旨の発言。・戦時下の
教団が戦争協力をしていく中で行われた聖餐式のことを考えると、聖餐式を契機として起こった北村
免職処分の問題は、政治的・社会的な行動と共に、教団内で問うていくべきものではないか。・北村
免職処分によって年金が4分の1カットされるということは、隠退後の教師の生活権の問題として大
変重要な問題だから、年金問題だけでももう一度裁判を起こすことも考えるべきだ。・労働問題に関
わってきた者として、例えば免職処分が不当解雇に相当するなら、最高裁上告棄却の6月6日を覚え
て、毎月6日に教団事務局前で免職撤回の抗議行動をしたらどうか、等々。最初は意見が出尽くした
ら、早目に集まりを終えようと司会進行の方と打ち合わせていましたが、20:30まで発言が途切
れることなく続き、予定通りの2時間半の集会になりました。その後20人弱の方々と飲み会を共に
し、この日は、K牧師、I牧師とIさんと一緒に南海電鉄で帰り、私は堺で3人に別れて、ホテルに戻
りました。4日(月)堺から新大阪に出て、新幹線ひかりで小田原に行き、小田急で鶴巻に帰りまし
た。