使徒言行録による説教(84)使徒言行録23章12-22節、
・陰謀をめぐらして人を殺そうとするなどということは、尋常なことではありません。今日の使徒言行録の記
事には、「夜が明けると、ユダヤ人たちは陰謀をたくらみ、パウロを殺すまでは飲み食いしないという誓いを
立てた。このたくらみに加わった者は、40人以上もいた」(23:12,13)と記されています。40人以上のユダヤ
人が集まって、パウロを殺すまでは飲み食いしないと誓いを立てたというのです。「誓いを立てた」と訳され
ている言葉は、直訳すると「自分自身を呪った」となります。ですからこのところは、「パウロを殺すまで
は飲み食いしない、もしそうでなければ神が私たち自身を呪われるように」ということです。
・旧約聖書にはこれと同じような言い方が時々でてきます。たとえば、イスラエルの王国最初の王であるサウ
ルが敵と戦うときに、兵士たちに「日の落ちる前、わたしが敵に報復する前に、食べ物を口にする者は呪われ
よ」(サム上14:24)と言ったと記されています。そのために、兵士たちは疲れ切っていたにもかかわらず、
食物を食べることができませんでした。このような類の呪いの誓いは、今日の使徒言行録の場合には「絶対に
パウロを殺す」という強い決意を表わしています。
・しかもこの40人以上のパウロ暗殺の陰謀に加わったユダヤ人たちは、どのような計画を立てたかと言います
と、「祭司長たちや長老たちのところへ行って」こう頼んだというのです。「『わたしたちは、パウロを殺す
までは何も食べないと、固く誓いました。』ですから今、パウロについてもっと詳しく調べるという口実を設
けて、彼をあなたがたのところへ連れてくるように、最高法院と組んで千人隊長に願い出てください。わたし
たちは、彼がここへ来る前に殺してしまう手筈を整えています』」(23:14,15)。
・この彼らの計画は、大変無謀なものでした。パウロが最高法院に連れて行かれる途中で襲うということは、
パウロを護衛しているローマ帝国の兵士たちをも敵に回すということになります。もしかなりの数の兵士が付
いていたとすれば、暗殺計画そのものが失敗するでしょうし、仮にパウロを暗殺したとしても、暗殺の首謀者
たち自身も殺されたり、また捕えられて死刑にされる可能性が高かったでしょう。ですから、この計画は周到
に用意されたものというよりは、激情に駆り立てられて生み出された無謀なものだったことは明らかです。祭
司長たちや長老たちのなかに冷静な人々がいたならば、このような無謀な企てには反対したかも知れません
(三好明)。
・計画自身の無謀さもさることながら、パウロを殺そうと陰謀を企てたユダヤ人たちは、その計画の秘密を守る
事にも失敗しました。16節に「しかし、この陰謀をパウロの姉妹の子が聞き込み、兵営の中に入って来て、パウ
ロに知らせた」とあります。エルサレムにパウロの肉親の姉妹が住んでいたのでしょう。その甥の耳にどこかの
ルートからパウロ暗殺計画が入ってきたのでしょう。パウロの甥はすぐにこの危険な計画の情報を兵営に監禁さ
れているパウロに伝えました。パウロは兵営に監禁されているときも、ローマ帝国の市民権をもつ者として一定
の権利を保障されていたようです。ですから、パウロの甥は兵営の中にいるパウロと会って、直接パウロに暗殺
計画を伝えることができたのです。
・自分の暗殺計画があることを聞いたパウロは、冷静に百人隊長の一人を呼んで、甥が何か知らせることがある
からと、千人隊長の所へ連れて行ってくれるように頼みます。パウロがローマ市民権をもっているということを
知った百人隊長は、パウロに言われるとおりに、パウロの甥を千人隊長の所に連れて行きます。そして百人隊長
はこう言ったというのです。「囚人であるパウロがわたしを呼んで、この若者をこちらに連れて来るようにと頼
みました。何か話したいことがあるそうです」(23:18)と。
・千人隊長は、若者(パウロの甥)の手を取って人のいないところへ行き、「知らせたいことは何か」と尋ねま
す。するとパウロの甥は、千人隊長に、どういう手筈でユダヤ人たちがパウロを殺そうという陰謀をたくらんで
いるかを話します。その話を聞いた千人隊長は、「このことをわたしに知らせたということは、だれにも言うな」
(23:22)と命じて、パウロの甥を帰したというのです。
・この「パウロ暗殺の陰謀」(新共同訳)の記事を読んで感ずることは、パウロにローマ市民権があるにしても
ローマの千人隊長や百人隊長のパウロに対する親和的な態度です。パウロの暗殺計画を立てて、絶対にパウロを
殺すのだというユダヤ人の姿とくらべますと、その対照的な姿が際立っているように思われます。けれども、千
人隊長も百人隊長もパウロに好意的であったということではありません。千人隊長や百人隊長は、単なる親切で
パウロを助けようとしたのではありません。彼らはローマ帝国の市民であるパウロの身柄を確保し、法の裁きを
受けさせるためにしかるべき人に引き渡すという職務を果たそうとしたということなのです。パウロの身に何か
があれば、自分たちの落ち度になりますから、彼らがパウロに関することに心を砕いたのはむしろ当然の事でし
た。千人隊長がパウロの甥に「このことをわたしに知らせたことは、だれにも言うな」(22節)と言ったのは、
暗殺計画を密告したことが知られると、この若者が危険にさらされ、もし若者が殺されでもしたならば、新たな
問題が生じることを恐れたからに違いありません。そういう意味では、この千人隊長も百人隊長もパウロとの関
わりは自己保身のためであったということができるでしょう。
・このように見てきますと、パウロの身が守られたのは偶然の重なりによると言えるのではないでしょうか。暗
殺計画がもし甥の耳に入らなかったら、この計画は発覚することなく実行されたかも知れません。もし千人隊長
がパウロの甥の情報を真剣に受け止めなければ、彼らはユダヤ人の要求通り、パウロをもう一度最高法院に連れ
て行って、そこで待ち伏せしていたユダヤ人たちの襲撃を受けたかも知れません。ところが、不思議なことに、
パウロの甥は情報を得てそれをパウロに伝えることができましたし、パウロは冷静にそれに対処することができ
ました。そしてパウロの甥から暗殺計画の存在を知らされた千人隊長は、それを受け止めて、防ぐためにはどう
すればよいかという適正な判断をすることができたのです。
・この偶然の連続によってユダヤ人の暗殺計画からパウロが守られたということの中に、使徒言行録の著者ルカ
は神の不思議な導きを伝えようとしているのかも知れません。そのようにこのところを読んでいる人もいます。
しかし、そのように解釈するとすれば、イエスの場合はどうだったのでしょうか。十字架上でのイエスの「わが
神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」という叫びは、イエスはイエスを殺害しようとした
人々の企てから逃れることができなかったことを示しています。逃れることができたから、そこに神の導きがあ
り、逃れることができなかったから、そこには神の導きがない。あるいは逃れることができなかったことにも神
の導きがあったのだということなのでしょうか。もしそうだとするならば、何でも神の導きだということになっ
てしまうのではないでしょか。何かそこには教理の正当化があるようで、私には、パウロがユダヤ人の陰謀を逃
れることができたということに、神の導きがあったと簡単に言うことができません。ただいろいろな人々の思惑
がぶつかり合う中で、パウロがユダヤ人の陰謀から逃れることができたということは不思議であり、ある意味で
奇跡的な出来事であったということは、この使徒言行録の物語から感じることができます。
・ただパウロは、エルサレムに入る前にカイザリアに滞在していた時に、預言者アガボから、自分の手足をパウ
ロの帯で縛って、パウロがエルサレムで、このように縛られて異邦人の手に引き渡されるという預言をしたとき
に、パウロは答えてこのように語ったと言われています。「主イエスのためならば、エルサレムで縛られること
ばかりか死ぬことさえも、わたしは覚悟しています」(21:13)。この言葉からすれば、パウロはエルサレムで
自分の身の上に起こることを予測し、たとえ主イエスのために自分が死ぬことになっても覚悟していると言い切
っているのです。
・ところで、この使徒言行録の著者ルカが描いているエルサレムにおけるパウロの苦難の記事の中に、エルサレ
ム教会がどのように関わっていたのかということが全く出てこないのはどうしてでしょうか。危険を冒してまで
エルサレムにやって来て、エルサレム教会に献金を届け、自分が設立した非ユダヤ人(異邦人)中心の教会とユ
ダヤ人中心のエルサレム教会とが、主に在って一つであることを確認することにかけたパウロでした。そのパウ
ロがアジア州から追ってきたユダヤ人の扇動もあって、ユダヤ人のリンチに遭いそうになって、ローマの兵隊に
よって助けられて、兵営に入れられているわけです。エルサレム教会の人々は、そのパウロに会いに行って、差
し入れをすることもできたでしょうし、不可能かもしれませんが、パウロに襲い掛かろうとするユダヤ人を説得
することもできたでしょうに。それら一切のアクションをとることなく、ただひたすら沈黙しているだけだった
のではないでしょうか。
・パウロとエルサレム教会とは、神殿や律法をどう考えるかについての違いがあるから、すなわち信仰理解の違
いがあるから、違う人間がどうなろうとかまわない。自分たちだけが護られれば、他は見殺しにするということ
なのでしょうか。パウロの手紙を読む限り、イエスを信じる者がどう生きるかということで、「自分を愛するよ
うに隣人を愛する」ということに尽きるということが言われています。そのような信仰者の生き様からすれば、
もしエルサレム教会がパウロを見捨てたとするならば、エルサレム教会は信仰共同体として失ってはならない大
切な命を保ち得なかったということではないでしょうか。
・今日の私たちも、エルサレム教会のように、また戦時下の日本基督教団のように、信仰理解の違いによって自
分の仲間を見捨てることのないような信仰の質をもって、教会としても一人の信仰者としてそれぞれの場に立ち
たいと願います。