なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(523)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(523)復刻版を掲載します。2009年10月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(523[Ⅺ-01]2009・10・4発行)復刻版


 昨日(9月29日)牧師会がありました。会場はD教会でした。私はしばらく前に、東浩紀北田暁大とい

社会学者が対談している『東京から考える~格差・郊外・ナショナリズム~』という本を読んでいまし

たので、D教会のある地域について興味を持っていました。この本の中では、青葉区、特に田園都市線沿線

住宅街が取り上げられていますが、経済的にはミドルクラスの上の人たちをターゲットにして東急が開発

したところです。この本では特に青葉台を二人の著者が探訪しての感想も載っています。その中に出てい

たのは、「子ども見守りサービス」のことです。この本は2006年の発行ですが、このサービスの実験が、

2005年4月から行われていると記されていました。このサービスについてはテレビ番組でも紹介されたそう

ですが、小学校の児童数百人に無線ICタグを持たせ、登下校でもつねに位置が分かるようにする、セキュ

ティー・サービスの実証実験とのことです。事業主体はNTTデータ、東急セキュリティー、イッツ・コ

ミュニケーションズの三社だそうです。2005年12月には、防犯に加え、交通事故防止を意図した「交通安

全サービス」も追加されるとありました。北田は「でも、すごいですよね。びっくりしたな。登下校エリ

アにボランティアと思われるひとたちがびっしりいて、生徒はICタグと彼らにバッチリ保護されていると

いう感じでしたね」と述べています。2009年の現在の段階でどうなっているのか分かりませんが、その延

長線上にあることは間違いないでしょう。こういう街にはホームレスの人がいる余地がありません。この

街の住民以外の人は不審者と見られてしまうのではないでしょうか。D教会のある地域は青葉台地域と比べ

ればもう少し早い時期の開発ですから、それほどではないでしょうが、基本的には変わらないのではと思

われます。教会のある地域を牧師会前に歩いてみましたが、比較的大きな一戸建ての住宅地で道幅も広く、

とてもホームレスの方が居る余地があるとは思えませんでした。そのD教会から寿地区活動委員会の委員

に加わっているUさんは、教会と寿を何とかつなげようと奮闘されています。少しでも繋がっていけば、

東急の開発理念とは異なる様々に差異のある人と人との交流が、田園都市線沿線の人々の中にも根づいて

いくのではないでしょうか。そういう人と人との温かな絆の回復によって、はじめて子どもたちの命も守

られるのではないではないかと私は思います。 
                  
 上記の私の発言に続いて、一人の方からの発言がありました。教区のオリエンテーションで「寿から学

ぶ」があり、参加した。前のオリエンテーションの時には、自分たちの主張を絶対化して話し合う姿勢が

感じられなかった方も、今回は現場の問題なので一緒のテーブルにつけたように感じられた。当事者のお

話は、アルコール依存症から立ち直った方だった。AAのミーティングでは、参加者がお互いに名前を呼び

合うそうだが、お話をしてくれた方は、ミーティングに参加して、自分の名前を呼ばれたとき、本当にう

れしかったと言われたことが、心に残った。自分としても、名前を呼んで声を掛けていく関係をつくって

いきたいと思っている。

 別の方からの発言がありました。西区の社会福祉協議会の児童福祉 分科会に所属している。その分科会

は、民生委員、地区センター、幼稚園の先生 など20数団体によって構成されている。その分科会で、小さ

な子どもたちと出会うとき、様子の違う子がいると、どうしていいかわからないということが出て、障が

い児のことを学ぶことになった。自閉の子を育てた方から、どういう風に接したらよいかというお話をし

てもうことにした。自閉の子は40年前にはテレビの見過ぎが原因 ではないかとか、いろいろな説が有り、

一緒に遊んだりする時に試行錯誤しながらやってきた。しかし、今は脳の病気として考えられており、い

ろいろな面で対応も分かってきている。生活もスムーズになってきている。かつてのことを思うと、お母

さんたちが大変だったが、今は認知されている。ただ電車に乗って外に行くときには、子どもが自閉であ

るか、一見わからないので、その子が優先席に座るとこだわっているところに、お年寄りが電車に乗って

来て、その子をどかせようとすると、パニックになったりする。そんな時どうしたらよいか。社会の受け

入れが問題であり、今はこの子は自閉の子なのでと言えば、乗客の方でも理解してくれるのではないか。

もちろん今でも偏見もあるが。私は障がいとは思わず、個性だと思っている。障害の特徴を知ってお付き

合いすればと思う。年を取れば、自分も障がいを持つに人間になる。世の中がどんな人とでも生きて行け

バリアフリーの生活ができればと願う。

 もう一人の方からの発言がありました。私は今日ことぶき福祉作業所の昼食会の当番で、朝9時に家を出

て、煮込みハンバーグを作って食べた。この前欠席したので、半年振りに行った。作業所の出席者がいつ

もの半分ぐらいだった。保健所から3人来ていて、健康診断をしていた。私も血圧を測ってもらった。作業

所の人数が少なくなっているで、聞いてみたら、デイケアーに行ったり、施設に行ったりして、以前と違う

そうだ。寂しさを感じて、今日は帰って来た。


        「イエス、私たちの食べ物、飲み物」   10月4日 


 イエスは神のみ言葉です。天から下り、聖霊の力によって処女マリアから生まれ、一人の人間となられ

ました。これは具体的なる場所、ある時に起こったことでした。けれども私たちが聖餐を祝うごとに、イ

エスは天より下り、パンとぶどう酒をとり、聖霊の力によって、私たちの食べ物、飲み物となってくださ

います。実に、聖餐を通して、どのような時でも、神が人となられたという出来事は起こり続けているの

です。

 時に私たちは「昔に生まれてイエスの弟子たちと一緒だったらよかったのに」と思うかもしれません。

けれども実は、イエスはご自分と同じ時期に生きていた友によりも、さらに私たちの近くにいてください

ます。今日イエスは私たちの日毎のパンになられたのですから。


                    (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)