なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(522)復刻版

 黙想と祈りの夕べ通信(522)復刻版を掲載します。2009年9月のものです。


        黙想と祈りの夕べ通信(522[-48]2009・9・27発行)復刻版


 先日召されましたHさんが、生前所属していた教会の高齢者のシオン会が発行した『永遠の平和を祈って

~私たちの戦争体験記~』という小冊子の中に一文を寄せていますが、その小冊子を娘のAさんからいただ

いて読みました。彼女が71歳、戦後37年の夏に書いたものです。「敗戦後三十七年の夏、戦争体験者も少な

くなりつつある今日、あの苦しい時代を生き抜いた者の目を通して見たこの国の歴史をしっかりと見直さな

ければとの思いを深くさせられる今日この頃です。君のため、国のため、命を捧げることこそ最高の栄誉と

して戦場へと赴かせた目的は一体何だったのでしょう」と、書き始めています。そしてご自身の体験を記し

ています。「我が国が戦争に突入した日、私は敵国である英国領土の北ボルネオに在住していました。真紅

の花が咲く常夏の島は私の第二のふるさとだったからです。多種多様な民族が共に住み、それぞれの生活を

のんびりと、楽しく営むことの出来る平和な島でした」と、開戦前のボルネオでの平穏な生活を記していま

す。しかし、日本の開戦により、在留の日本人全部が市民病院に集められ、自由を奪われた苦しい生活が三

ヶ月続きます。日本軍の突然の上陸でその状態は解放されますが、現地の人と日本軍の間に立った在留邦人

の立場の苦しさを経験されます。「やがて敗戦間近の五月『敵軍上陸の恐れがあるから、直ちにここを撤退

せよ』との軍の命令により、僅かの食糧を携えてジャングルの中へ逃げ込むことになりました。・・・父や親

しい友人を多くこの中で亡くし、失意のどん底で敗戦を知らされた時の気持を表現する言葉を見つけえませ

ん。敗戦国の常として、再び捕虜収容所へ、民間人、軍人を含めて大収容所での六ヶ月間の生活は、飢えた

人間世界のみじめさをいやという程味わいました。愛する祖国の状況は全くつかめず、敵国内にある身の不

安は増すのみで送還されるのを待ち続ける一日一日の何と長かったことでしょう。そしてやっとの思いで帰

り着いたふる里の焼け野原に立った日の悲しみと憤りを忘れることはできません」と記しています。そして

「教団戦責告白が出された頃私は次の一文に感動を覚えたものです。『まことに私どもの祖国が罪を犯した

とき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。心の深い傷みをもってこの罪を懺悔し、主にゆ

るしを願うとともに世界の、ことにアジア諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、また、わが国の同胞にこころ

からのゆるしを請う次第です。』と戦責告白の一節に触れて、「再び戦の道を歩まぬよう、その兆しの見え

る時、その根をつみとることこそ生き残った者の責任だろうと思う」と非戦への強い決意を記しています。

Hさんが生前お元気な頃靖国反対の月例デモに参加し、平和運動に取り組んでおられたことを伺って、この方

の中に戦時中のこのような原体験があったことを知らされ、いろいろ考えさせられました。

 上記の私の発言に続いて、一人の方がひと言、先週のこの集いでは、礼拝堂に安置されていたかつて一緒

イスラエル旅行をしたHさんのことを思い、、Kさんが補教師試験に合格したことを知り、北村先生と二人

だけで静かに祈ることが出来てよかったと述べられた。

 別の方からの発言が続きました。私は今回Hさんが亡くなって、KさんがHさんの葬儀式のオルガニストをさ

れたことを聞き、Kさんがお母さんのK・Hさんを亡くしたばかりだったので、辛いのでは思い、そのことをK

さんに申上げた。するとKさんは、母が背中を押していてくれるように感じていると言われた。 また母であ

るHさんを送ったAさんと夫のIさんは、母が亡くなっても、自分を見守っているようで身近に感じていると言

われた。私自身も、両親や祖父母、親しい友人を 失った経験があるが、いつもそうした人たちから「あなた

がんばって生きなさいよ」と言われているように感じている。Hさんは礼拝に来ていつもにこやかであのよう

になれたらいいなあと思っていた。K・Hさんとは、お元気な頃、もみじの会のテープ朗読を一緒させていただ

いたことがある。彼女は、必ずダビングしたみなさんに送るテープを認可をとった横浜中央郵便局にもって

いかなければと、Kさんに車を運転させて持っていった。私たちは出すのはどこの郵便局でもと思ったが、

K・Hさんは律儀にそうした。Kさんが、母に背中を押されている感じだとおっしゃったのは、K・Hさんから

こう生きたらどうと言う言葉かけをもらっている感じなのかも知れない。人が亡くなることは地上での別離

ではあるが、その人が見守っていてくれるということでいつまでも繋がっているように思う。幸いに私は紅

葉坂教会が母教会で、今までに多くの先達が亡くなっているが、その方々から頑張りなさいねと声かけされ

ている気がしている。多くの方々の命の繋がりの中にある自分を感じる。Hさん、K・Hさん、いろいろな先

達の方々の顔が浮かんでいる。ご家族の方々はそうは言っても寂しいことでしょう。お祈りしていきたい。

 最後にKさんから、補教師試験に合格できたことは自分としては奇蹟で、みなさんに支えていただいたお

陰である。感謝。自分には人と繋がりたいという思いがあるが、それが何故牧師としてなのかを、これから

も考えていきたい。   


           「洗礼、光の子となる、」     9月27日

 
 最後に弟子たちに姿を現された時、イエスは次のように言って弟子たちを世に遣わしました。「行って、

すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け」(マタイ28:19)な

さいと。
 父と子と聖霊なる神との交わりに招き入れられ、神のいとしい子として生きるようになるための道とし

て、イエスは私たちに洗礼を与えてくださいます。洗礼を通して、私たちはこの世に「ノー」と言います。

もう闇の子のままでいることを望まず、光の子、神の子となることを望むと宣言します。私たちはこの世

界から逃げようとするのではなく、この世にあって、この世のものとならずに生きたいのです。洗礼がこ

のことを可能にします。

 洗礼は旅立ちの式です。ユダヤ人たちは、航海を渡り、約束の地へと大移動しました。イエスご自身も、

苦しみと死を通って、天の御父の家へ移ることを願いました。これがイエスの洗礼でした。「このわたしが

受ける洗礼を受けることが出来るか」(ルカ10:38)とイエスは弟子たちに尋ねられました。今イエスは私

たちにも尋ねておられます。使徒パウロはそれ故に、私たちの洗礼についても、「イエスの死にあずかる」

洗礼という言い方をしています(ローマ6:4)。

 洗礼を受けるとは、イスラエルの人々と共に、またイエスと共に旅に出ることです。奴隷状態から自由へ、

死から新しいいのちへの旅です。それは、イエスにあるいのち、イエスを通してのいのちに加わることです。


                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)