なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(557)復刻版

 5日間このブログをお休みしました。先週木曜日から土曜日夜遅くまでは、知床、阿寒、釧路の北海道

東部をめぐる旅をしてきました。夏休みが取れなかったので、14日の日曜日はお休みさせてもらい、連れ

合いと出かけました。私たちは自動車を運転しませので、バスでいろいろな見どころを巡ってくれるツア

ーの旅に、たまに出かけます。紅葉坂教会時代の最後の頃に九州のツアーの旅に出かけたことがあります。

その時は、はじめての阿蘇山の風景が印象的でした。今回の道東(北海道東部地方)の旅では、何といっ

ても野生の大鷲と丹頂鶴の群を見ることができたこと、それにオホーツクの海、摩周湖がきれいに見えた

こと、そして釧路湿原や牧草地帯の風景が印象的でした。

 冬の北海道ということで、防寒には万全の備えをして出かけましたが、阿寒湖に少し雪が積もっていた

だけで、他は何処に行ってもほとんど雪はなく、天候にも恵まれて、「ひかし北海道 ごちそうたべつくし 

3日間」というツアーのネーミング通り、お腹も満足の小旅行を楽しむことができました。知床と阿寒の宿

の温泉もよかったです。

 クリスマスを前にして、こんなことができるのも、紅葉坂教会時代や御器所教会時代には考えられなかっ

たことです。ところで、今日のテレビの天気予報では、北海道東部は大荒れの天気で、雪も60~70センチ積

り、海も大荒れということです。

 さて、14日の日曜日午後から昨日夕方までに、私の支援会『通信』第12号と『別冊』第4号の印刷発送作

業を事務局の方々や船越教会のメンバーの協力を得て終えることができました。今回も支援者約1,000と教団

の全教会・伝道所約1,700、合計約2,700に発送しました。私の支援会は来年3月か4月開催の支援会総会で確

認して、私個の支援会から教団改革を主導する会になっていくと思います。その意味でも、これららも皆さ

んの周りの方々へこの支援会への加入をお誘いいただければ幸いです。どうぞよろしくお願いいたします。、


          黙想と祈りの夕べ通信(557)[Ⅺ-35]2010・5・30発行)復刻版


 先日テレビを観ていましたら、ハイチで30年以上医療活動をしている日本人で84歳の女医さんのことが放

映されていました。この方はカトリックの信仰者のようですが、結核の専門医で40代後半になってハイチで

の活動を始めたということです。ハイチのマザーテレサと言われているそうです。今回の22万人の命が失わ

れたと言われますハイチの地震で、彼女の活動拠点であった病院も崩壊してしまい、地震後のハイチは大変

困難な状況にあるようです。私は今回テレビで観るまでこの方のことは全く知りませんでした。1960年

代に岩村昇さんがネパールに行って医療活動を始めました。その岩村昇さんを支える会があり、私も多少関

わっていました。その後岩村昇さんは、現地の人に医療技術をつけて現地に帰って医療活動をすることがで

きるようにという働きをするようになりました。名古屋の郊外にアジアのワーカーを受け入れる病院があっ

て、そこが研修の場所になっていました。岩村昇さんやハイチの女医さんやアフガニスタンでの働きを続け

ておられる中村哲さんもそうですが、NGOを通してこういう方々が世界のいろいろな所で活動されていること

を改めて知って、心強く思いました。ヨーダーというアメリカの神学者は、教会は社会に対して対抗文化と

なり、開拓的なコミュニティーを社会に提示する働きをすると言っています。ともしますと、教会はその社

会を補完し、下から支えるイデオロギーとしての役割をすることがありますが、ヨーダーのように社会とは

異なる教会の使命を自覚したいと思います。何かの本で読んだのですが、21世紀には欧米の教会にはアフ

リカや南米やアジアの教会が宣教師を派遣するようになるのではということが書かれていました。つまり、

欧米の社会ではキリスト教の生命力が失われてしまって、世俗化の波に巻き込まれて衰退したときに、アフ

リカを中心に旺盛な生命力をもったキリスト教が、かつてとは逆に欧米の世界に宣教活動を繰り広げるだろ

うということです。そういうことが起こるかも知れません。

 上記の私の発言に続いて、一人の方から発言がありました。事業仕分けが話題になっているが、実際の事

業仕分けでは、上の人はやめさせられずに、下請けの人が仕事を失って、失業手当をもらっている人がいる

そうである。矛盾を感じやるせない思いがする。

 もう一人の人の発言がありました。今日は朝9時から自分が代表をしているNPOに県からの監査があり、出

かけた。3年に1度の監査で、私が代表になって初めてなので緊張して出かけた。書類を監査した結果の評

価は、問題なしであった。前回、不備を指摘されたところを修正していたので、何も問題はなかったのだ。私

は素人で偶然に代表にさせられたのだが、仕事をする人がそれぞれ責任を持って、障がいの子のために一生

懸命やっていてくれるので、監査も問題なしということになったのだと思う。監査に来た人は、私たちの仕

事の内容についてはほとんど知らなかったが、質問に答えて仕事の内容を説明すると、大切な仕事をしてい

ることを少し分かってくれたようだ。監査が終わった時、働く人が一人一人喜んで働いていて、日々まじめ

に書類作りもし、仕事を丁寧にしている。そういう働き人が宝である事を強く思わされた。現在教会は社会

のいろいろな問題に関わり取り組んでいるわけではないが、信徒がそれぞれいろいろな働きに関わっている

ことでよいのではないか。社会事業はキリスト教が開拓したが、今は公的な仕事になっている。キリスト者

がそれぞれの場で誠実に生き、福祉の隙間を埋め、周りの人たちと一緒に変わっていかれたらと思う。教会

の構造的なものは変わらないが、人と人とを繋ぎ、命の大切さを現すことができればいいと思っている。


           平和を実現するイエス」   5月30日


祝福された父のみ子、イエスは平和を実現する方です。イエスの平和は、単に戦争がない状態を言うのでは

ありません。単なる調和や均衡ではないのです。イエスの平和は、神の無償の賜物としての幸せが満ち満ち

ていることです。イエスは言われました。「わたしは、平和をあなたがたに残し、わたしの平和を与える。

わたしはこれを、世が与えるように与えるのではない」(ヨハネ14:27)。

 平和はシャロームです。それは一人ひとりの、そしてコミュニティーの精神、心、体が健全に保たれてい

る状態です。戦争によって引き裂かれた世界のただ中で、未解決の問題や増大する人間の争いのさなかであ

っても、平和は存在し得ます。イエスは、兄弟姉妹のためにご自分のいのちを与えることで平和を実現され

ました。平和のために、私たちも進んでいのちを与えることが出来るでしょうか。 


                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)