なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(569)復刻版

 今日は大晦日です。朝早くから寿の越冬に参加し、先ほど鶴巻に帰ってきたました。

 黙想と祈りの夕べ通信(569)復刻版を掲載します。2010年8月のものです。



       黙想と祈りの夕べ通信(569)[Ⅺ-46]2010・8・22発行)復刻版


 日曜学校の今年の夏期キャンプは、神奈川県立足柄ふれあいの村で行われます。足柄ふれあいの村は、

今年5月、「第61回全国植樹祭 2010 かながわ」の、秦野市と共に大会会場になった南足柄市

隣接している場所にあります。小田原から大雄山線に乗り換えて終点の大雄山駅からバスで20分ほど行

ったところです。日曜学校の夏期キャンプのテーマは、「平和をつくり出す人 パートV」で昨年に引き

続き、平和と環境問題を学ぶ予定です。昨年は、会場は教会でしたが、「エゴからエコへ」という副題

を掲げ、水をテーマに考えました。水源である森から川となって流れる水が海に行くまでの、川の生物

やその周囲の風景を模造紙8枚に、4グループに分かれて、それぞれ描き、8枚を繋ぎ合わせると、森か

ら海までの景色になりました。海に近づくに従って、人工的な橋や工場が現れ、人や自動車も多くなり

ます。それだけ自然の破壊が目立ちます。今年は、その絵を持っていって、水源である森の豊かさを、

足柄ふれあいの村の自然の中で観察し、森林部分を描き直そうと計画を立てています。

 さて私は21日(土)の開会礼拝を受け持ちますが、詩編37編11節「貧しい人は地を継ぎ、豊か

な平和に自らをゆだねるであろう」に基づいてお話をすることになっています。詩編37編は、神に逆

らう「繁栄の道を行く者や悪だくみをする者」は断たれ、「主に望みをおく人は、地を継ぐ」(9節)

が主旋律となっている詩です。「繁栄の道を行く者」や「悪だくみをする者」とは、現代的に言い換え

れば、利権を求めて開発という大義によって自然を破壊する者ではないでしょうか。そのような人たち

にとって、何よりも自分の快楽の満足が第一です。アメリカの先住民であるインディオにとっては、す

べての被造物の中に神の霊が宿っているわけです。木の葉も、岩も、小川も、空も、さまざまな動物た

ちにも、・・・・。ですから、自分たちの生存を護るために動物を殺す場合にも、その自分たちの行為を正

当化することなく、動物への謝罪の心を持ちつつ、最小限度にして、決して乱獲することはないという

のです。これはアイヌの場合も同じだと言われています。そういうアメリカのインディアンにとって、

白人の侵略の行為は悪魔の行為以外の何ものでもありませんでした。今回日曜学校の夏期キャンプの前

に、『虹の戦士』というインディアンの精神のルーツとなる物語を読みました。アメリカ・インディア

ンに「地球が病んで 動物たちが 姿を 消しはじめる時、まさにそのとき みんなを救うために 虹

の戦士たちが あらわれる」という古くから伝わる言い伝えがあるそうですが、そのような言い伝えに

基づいて、この『虹の戦士』という本は書かれています。12歳くらいの曾孫の少年の問いに老婆が答

えるという形をとっています。この本は、最後のところで老婆が次のように曾孫の少年に語って終わり

ます。「虹はすべてのもののなかにおられるあのおかたからのメッセージだ。すべての人間がひとつの

家族のようにつながることを、虹は教えている。さあ、あの山の頂にお行き、わたしにつながる愛しい

者よ。どうやったら虹の戦士になれるか、行け、行って学ぶがよい。愛と喜びをみんなの間にひろげる

ことだけが、この世界の憎しみを理解と優しさに変えることができる。この世からいっさいの戦争と破

壊をなくすために、残された道はもはやそれしかない!」。

 8月21日(土)8時45分に横浜駅コンコースに待ち合わせして、みんなで足柄ふれあいの村に出

発し、無事11時に到着しました。開村式と開会礼拝をして、昼食を食堂でいただき、午後活動の時間

で2006年の夏期学校のときにつくった「平和の祈り」についてお話を聞きました。その後「ニジマ

スつかみどり」を楽しみ、22匹のニジマスを持ち帰り、さばいて、バーベキューのときに焼いて食べ

ました。ご飯も美味しく炊けました。私は焼きあがったニジマスとご飯を少しいただいて、みんなに又

明日来るねと言って別れて、一人教会に帰ってきました。明日礼拝が終わったら、また足柄ふれあいの

村に出かけることになっています。


         「私たちの旅をよく生きる」   8月22日


 死は新しいいのちへの旅です。こういうと非常に美しく響きますが、私たちの内にこの旅をしたいと

思う人はほとんどいません。これまでの旅の数々が、私たちの最後の旅の前置きとなっていると考えて

みることは、死について考える時役に立つかもしれません。生まれる時、私たちは胎内の生活から家族

の生活へと旅します。学校に行くようになると、家族の生活からより大きなコミュニティーでの生活へ

と旅します。結婚する時、多くの選択肢のあった生活から、一人の人にコミットした生活へと旅します。

退職する時、明確に把握出来ていた仕事の生活から、新しい創造性と知恵とが求められる生活へと旅し

ます。

 これらの旅の一つひとつが、新しいいのちへと導く一つの死であるといえます。これらの旅をよく生

きるなら、私たちの最後の旅に向けての準備がますます整えられてゆくことでしょう。

 

                   (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)