なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

黙想と祈りの夕べ通信(570)復刻版

 新年あけましておめでとうございます。今年もどうぞよろしく。

 黙想と祈りの夕べ通信(570)復刻版を掲載します。2010年8月のものです。


      黙想と祈りの夕べ通信(570)[Ⅺ-47]2010・8・29発行)復刻版


 日曜学校の夏期キャンプが8月23日(月)に終わりました。前回の通信で21日(土)の一日目について

は、大体報告しました。私は21日(土)夜一人で教会に戻り、22日(日)の紅葉坂教会での日曜礼拝を

終えて、Kさんと一緒に足柄ふれあいの村に又向かいました。横浜駅午後1時過ぎのJR東海道線下りに乗

り、小田原で大雄山線に乗り換えて、終点の大雄山からバスで足柄ふれあいの村まで、大変順調にほと

んど待ち時間無しで、午後2時半過ぎには着きました。そのころみんなは足柄ふれあいの村に隣接して

いる丸太の森に行っていましたので、私とKさんは荷物をコテージの玄関前に置いて、丸太の森に向い

ました。携帯電話で連絡を取り、みんなは丸太の森の入口近くにあるアスレチックのところにいるとい

うので、そちらに向いました。入口でその日帰ることになっていたSくんと迎えに来たSくんのパパに出

会いました。二人に出会って、すぐに別れを告げ、私たちはみんなのいる所に行きました。そこで時間

を過ごし、午後4時近くになりましたので、丸太の森から足柄ふれあいの村に帰る途中にあります「おん

りーゆう」という温泉に、みんなで行き、ゆっくり汗を流しました。丸太の森で遊んだ人は、午後4時

以降おんりーゆうには半額で入れます。男子風呂は、内風呂、サウナの他に、渓流沿いに露天風呂が二

つあり、一つは38度で、いつまでも入っていられるくらいぬる湯でした。子どもたちと一緒に、ゆっく

り温泉を楽しみ、そして足柄ふれあいの村の食堂に直接行き、夕食をいただきました。その日の夜は

キャンプファイアーです。スタッフが、火の担当です。特にHくんが一生懸命火の管理をしてくれました。

その火を囲んで、みんなで歌を歌い、ゲームをして楽しみました。午後8時半にはキャンプファイアーを

終えて、それぞれのコテージに帰り、休みました。スタッフは大人男子のコテージに集まり、2時間ほど、

その日2日目の反省と翌日3日目の打ち合わせを、夜中の12時近くまでしました。そしてそれぞれのコテ

ージに行き、休みました。

 3日目は朝7時半に早天礼拝、荷物整理、掃除をして、朝食をいただきました。朝食後感想文を書く人

と掃除をする人に分かれ、9時20分頃閉会礼拝をしました。閉会礼拝後、荷物をSさんの車に積み、おに

ぎりのお弁当とペットボトルのお茶をもって、バスで大雄山最乗寺に行きました。最乗寺の参道の両側

は、3人くらいが手を広げてつなぐことのできる太い幹の杉が空に向って、何本もまっすぐに伸びてい

る杉林です。太陽の光線は杉の枝に遮られて、参道は日陰です。私たちは最乗寺の奥の院まで、300段

以上のまっすぐな階段を登っていきました。奥の院で少し休み、湧き水を飲みました。帰路の坂道に入

ったところで、お昼のお弁当をいただき、その坂道を降って、バス停まで行きました。お店でお土産を

買ったり、ソフトクリームを食べて、休憩し、Sさんの車から荷物を出して、車で帰るSさん家族とそこ

で別れて、私たちは横浜への帰路に着きました。バスで大雄山駅へ、大雄山鉄道で小田原へ、そして小

田原からJRで横浜へ来て、午後3時半過ぎに横浜駅コンコースで解散しました。

 今回の夏期キャンプは2泊3日、総勢25名の参加者がありました。子どもは幼少から高校生まで11名、

大人はスタッフ、保護者他14名でした。足柄ふれあいの村は、県の施設でしたが、比較的自由に使わせ

てもらえて、費用も安く、施設としてもよくできていて、しかも自然豊かなところで、夏期キャンプの

場所としては申し分ありませんでした。ただ数年前までは、足柄ふれあいの村近辺の道路も、今の半分

くらいの巾だったそうです。ここ数年で道路の巾が広がり、今年は植樹祭の会場も近くに作られ、かえ

って林が少しなくなってしまったようです。道路が拡張されたのも植樹祭で天皇がくるためだったのか

もしれません。何だかおかしなことです。でも3日間、暑くはありましたが、都会の暑さとは違って、林

の中で過ごし、自然の中で豊かな生活をみんなで味わうことができ、感謝でした。       


          「死んだ人々との交わり」     8月29日


 年をとるにつれて、私たちより先に亡くなった人々を思い起こす回数が段々増えてゆきます。私たち

を愛してくれた人々、また私たちが愛した人々を思い起こすことはとても大切です。こうした人々を思

い起こすことで、彼らの霊が日常生活における私たちを励ましてくれることになります。先に亡くなっ

た人々は、私たちの霊的なコミュニティーに加わり、人生の旅路で何かを決断することに、私たちをや

さしく助けてくれます。両親、配偶者、子どもたち、友人、これらの人々はみな亡くなった後、真の霊

的な同伴者となり得るのです。時として、生前見える姿で私たちと共にいた時よりも、死後さらに近い

存在となることさえあります。

 亡くなった人々を思い起こすことは、亡くなった人々との今も変わることのない交わりを望んでいる

ことです。

 

                  (ヘンリ・J・M・ナウエン『今日のパン、明日の糧』より)