なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(386)

     船越通信、癸械牽供   。横娃隠固11月4日   北村慈郎


・28日の日曜日は、礼拝後「平和と人権を考えるDVD鑑賞会」が行われました。土井敏郎監督のDVD「パ

レスチナからフクシマへ」を皆で観ました。このDVDは、長年パレスチナを撮り続けている土井敏郎さん

が、パレスチナガザ地区の人権活動家ラジ・スラーニさんを通してパレスチナとフクシマの現実に内在

する普遍的な問題を描いたものです。一つは、「パレスチナもフクシマも、いずれも“責任所在”が曖昧

にされ、その責任者たちが処罰されない不条理な現実」です。もう一つは、このDVDの中でスラーニさん

が福島・飯館村を訪問して、飯館村の被災住民に訴え伝えたことですが、「数十年の侵略と占領と破壊の

中でパレスチナ人を支えてきた人間の“尊厳”と、“正義のための不屈の闘い”」です。インターネット

で土井敏郎さんを検索して見ましたら、土井敏郎さんのWEBコラム、日々の雑感に以下の文章がありまし

た。


・【「なぜ日本人が『遠いパレスチナ』と関わるのか?」「遠いパレスチナに関わることは日本人にとっ

てどういうことなのか?」「日本人はパレスチナに何ができるのか?」──多くの人たちからそう問われ

る。それはまた私自身がパレスチナと関わってきた30数年間、ずっと自問し続けてきた問いでもある。/

もしそれに私がいま答えられることがあるとすれば、「“パレスチナ”がもつ“普遍性”を抽出し、それ

を日本が抱える問題の“普遍性”に照らし重ね合わせていくこと、それによって“パレスチナ”を日本

に、もっと言えば私たち日本人の“あり方”“生き方”に引き寄せていくというができるのではないか」

ということである。それによってオキナワの人たちは「自分たちの闘いは孤立無援ではなく、遠いパレス

チナや世界につながる重要な闘いなのだ」と自覚でき、力づけられ、影響しあうことができるのではない

か。/私たちジャーナリストの役割は、そのまったく異なる遠い問題のように見えるそれぞれの現場か

ら、“普遍性”を引き出し、読者や視聴者に提示していくこと、そして“自分と同じ人間の問題”として

想像力を人々に呼び起こすために、等身大で固有名詞の“素材”を提示していくことではないか、と考え

ている。/私はそれを“飯舘村”で試みた。「長年、パレスチナを追いかけてきたあなたがなぜフクシマ

飯舘村なのか?」と問われると、私は「それは故郷をイスラエル建国によって追われたパレスチナ人と

同じく、放射能汚染という人災によって村を追われる人の“痛み”を伝えることで、『人にとって“故

郷”“家”“土地”とは何か』という人間にとって普遍的なテーマを追求する作業です」と私は答える。

/同様に、長年“パレスチナ”を伝えてきた私は、“パレスチナ”を“オキナワ”に引き寄せ、重ね合わ

せる作業ができればと思う。それは、飯舘村と同じく、『人にとって“故郷”“家”“土地”とは何か』

という問いをオキナワの現場で追う仕事である。/飯舘村もオキナワも、そういう作業を通して“日本の

中のパレスチナ”として私たちに迫ってくることになるはずだ。】


・私たちすべてを支配する不条理な現実は、パレスチナや沖縄や福島では顕在化していますが、私たちの

日常では隠蔽されているように思われます。その隠蔽された日常の中で安穏と暮らしていく落とし穴に、

私たちには落ちてしまう危険性があるように思われます。パレスチナや沖縄や福島の不条理な現実を直視

し、私たちの日常の場で課題を発見し、「人間の尊厳と正義のための不屈の闘い」に少しでも連なってい

きたいと思います。


・29日(月)は午後、私の前立腺のことで3か月に1回のペースで診察を受け、薬をもらっています秦野

日赤の泌尿器科に、私は行きました。この日は血液検査、胸部レントゲン、心電図をとり、主治医の診察

を受けました。11月下旬に2泊3日で前立腺がんの検査入院をすることになっているからです。連れ合い

共々病を抱えながらの生活ですが、何とか一日一生を感謝して歩んでいきたいと思っています。


・30日(火)は13:30から紅葉坂教会で教区婦人委員会、性差別問題特別委員会共催の講演会「道徳の

教科化を問う~教会教育の歩みの検証と共に~」(講演;比企敦子さん)がありました。私はこの日の午

後農伝の授業がありましたので、集会には参加できませんでしたが、この集会参加者に私の支援会のリー

フレットを配布させてもらうことになっていましたので、午前中に私がリーフレット紅葉坂教会に届け

に行きました。その途中の電車の中でマナーモードになっていた私の携帯が鳴り、周囲に遠慮がちに携帯

を耳に当てましたら、「慈郎さん、今日は農伝の礼拝説教の担当ですよ」というT・Aさんからの電話でし

た。私は小声で「あ、ごめん、すっかり忘れていました。」と応答して、電話を切り、メールで「申し訳

ありません。礼拝失念していました。恥ずかしい限りです。」とT・Aさんに謝罪しました。私は来年3月

で牧師になって50年になります。今回のようなことは今までに一度だけありました。名古屋時代ですが、

私が牧師をしていた教会のお年寄りの方に、超教派の方が集まって行われていた朝祷会という朝の祈りの

会に奨励を頼まれていたのですが、その日朝早くから教会の庭掃除を始めて、すっかり忘れてしまったの

です。お昼ごろ、私に奨励を頼んだ方が、教会にやってきて、「先生、どうしちょった」と言われて、は

じめて朝祷会の奨励をすっぽかしたことに気が付いて、恥ずかしさで顔を赤くして謝罪したという次第で

す。その方は私が病気にでもなっているのかと、心配して教会まで来てくれたようですが、私の元気な姿

を見て、安心して帰って行かれました。今回も、午後授業のために農伝に行ったとき、12時半ごろでした

ので、先ず食堂にいた学生と教師の皆さんに、「大変申し訳ありませんでした。説教に関係する授業の講

師が、礼拝説教を失念するなんて恥かしい限りです」と謝罪しました。その後農伝校長のウイットマー先

生にお会いした時にも、謝罪しました。みなさん、私を責めずに、優しく受け容れてくれました。


・3日(土)は、新横浜の横浜ラポールで、連れ合いが理事長をしているNPO法人の15周年記念の音楽

会がありました。連れ合いは病気になる前から計画していたことなので、この音楽会にはどうしても出席

すると言って、体調を整えてきました。幸いこの日は上の息子が自動車で連れ合いを送り迎えしてくれま

したので、彼女の念願通り音楽会に行くことが出来ました。私はこの日昼過ぎに鶴巻から船越に来ました

ので、夜連れ合いから電話で元気に行って来られたという報告を受け、安心しました。