なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(405)

    船越通信、癸苅娃機   。横娃隠糠3月24日   北村慈郎


・17日(日)の礼拝には久しぶりにAさんご家族、お孫さんお二人と共に5人が出席されました。ですか

ら礼拝では、これも久しぶりに、説教の前に544番の讃美歌を皆で歌い、幼児祝福のお祈りをしました。

またこの日の礼拝には、私の連れ合いとほぼ同じ病になりましたT・Mさんも、久しぶりに自ら自動車を運

転して出席されました。比較的お元気そうでしたので、安心しました。これからの治療がよい方向に進む

ようにと願います。神の支えと癒しをお祈りいたします。


・礼拝後はいつものように残れる人でお茶を飲み、懇談の時を持ちました。前日のK・Sさんのお別れ会で

いただいたお菓子を差し入れして、皆でいただきました。その時T・Sさんが詳しく病状とこれからの治療

法についてお話してくれました。基本的には連れ合いと同じようですが、少し違うところもあり、病院の

違いによるのだろうと思いました。懇談の後皆が散会しましたので、この日私は急いで私は鶴巻に帰りま

した。実はこの日子どもたちが春休みですので、この4月から高校生になる男の子と中学生になる女の子

のいる、紅葉坂教会時代の家族4人が、連れ合いに会いたいと言って鶴巻に来ていたからです。午後3時少

し前に鶴巻の自宅に着き、約2時間ほどその家族と懇談することができました。この家族は、私たちが紅

葉坂教会を辞めて鶴巻に越してきてから数年間、その頃未だ小さかった二人の子どもを連れて、別の家族

3人と一緒に、子供の夏休みに狭い鶴巻のマンションに一泊して、秦野の戸川公園や小田原のこどもの森

わんぱく公園などに遊びに行きましたので、二人の子どもたちも連れ合いに会いたいということで、今回

来てくれたという次第です。連れ合いは子どもたちのパワーをもらったようです。午後5時頃その家族は

車に乗って帰って行きました。


・18日(月)から19日(火)にかけて、19日が連れ合いの75歳の誕生日でしたので、昨年の8月末に

病気になってから、一度も温泉に入っていませんでしたので、ストーマでも大丈夫な温泉付きの部屋のあ

る箱根強羅の宿屋を予約していました。幸い天気も暖かく、心配なく近場ですが箱根強羅への一泊の旅を

無事にしてくることができました。19日は中強羅駅で強羅から早雲山までの箱根ケーブルに乗り、早雲山

まで行き、早雲山から大涌谷までローウウエイで行き、大涌谷で乗り換えてロープウエイで湖尻まで行く

ことができました。火曜日でしたが、箱根は人が多く、大涌谷から湖尻行きのロープウエイに乗る時は、

少し待たされました。ロープウエイからは、少し頂上に雲のかかった雄大な富士山が見えましたの、連れ

合いはその写真を撮ってフェイスブックに投稿したようですが、それを見てN・Sさんからも応答があった

ようです。私はフェイスブックをしませんので、分かりませんが、富士山の彼女の写真を見て、20数名の

方からの応答があったということです。その写真から元気な連れ合いを想像して、皆さん、喜んでくれた

ようです。湖尻からは心配でしたので、バスで小田原まで来て、小田原でお昼を食べて、鶴巻に帰って来

ました。鶴巻の自宅に着いたのが午後2時頃でしたので、出かけたのが前日の午後2時頃でしたので、ちょ

うど一昼夜の外出でしたが、幸いに連れ合いは元気に過ごすことができたようで、私は安心し、喜んでも

います。


・20日(水)は一日、24日―25日と神戸である「もとすす連絡会」の全国集会の発題準備に使いまし

た。


・21日(木・休)は一日、教区社会委員会主催の「平和フェスタ」が二宮教会でありましたので、私も

出席しました。これまで平和フェスタでは毎回連れ合いがうどんを約30食作って販売し、その売上金は辺

野古新基地反対の大きなうねりの会へのカンパに当てていました。今回は昼食を出すところが少ないとい

うので、連れ合いは混ぜご飯のお握りを30食と、何時も出している杏仁豆腐40個作り、私が持って行って

平和フェスタで販売してもらいました。私は開始時間の午前10時半ギリギリに二宮教会に着き、お握りと

杏仁豆腐を販売してくれる人に預け、既に始まっていた礼拝に出ました。藤沢大庭教会のY牧師の説教

で、Y牧師は沖縄のうぶざと伝道所の牧師もしたことがあり、沖縄では辺野古新基地建設反対の海上行動

に船を運転して加わっていて、藤沢大庭に来てからも足しげく沖縄に通っています。今回の平和フェスタ

は「沖縄の心を受け止める~~辺野古新基地建設 主犯は誰だ!~」というテーマで午後の講演はヘリ基

地反対協の共同代表を務めている安次富浩さんでした。ですから、今回の平和フェスタの礼拝説教者とし

ては、Y牧師は最適任者だったと言えます。短かいメッセージでしたが、弱さを抱えた神に造られた人間

同士が、互に助け合い、支え合って、生かされていくことを思い、権力に踏みにじられている沖縄の人び

との心の声にヤマトの人間としてどう応えるか、そのYさんの呻吟が聞えてくるような説教でした。安次

富さんの話は、県民投票とそれ以後の状況、特に大浦湾の軟弱地盤と活断層の存在は、最終的には辺野古

新基地建設を不可能にするのではないか。数日前に県民集会の申し入れ書を防衛省の役人に渡したそうで

すが、防衛省側からは責任ある立場の人は出て来なかったこと、出て来た役人の「真摯に受け止めます」

の「真摯に」は言葉だけで、もし「真摯に受け止める」ならば、即刻工事を中止するはずではないかと、

役人の言葉の議案を鋭く突いて言いました。安次富さんの講演と質疑の後、諸委員会の報告がありました

が、それが終わった後、後片付けは任せて、私は帰らせてもらいました。


・22日(金)夜には、紅葉坂教会で私の支援会の世話人・事務局会があり、主に4月6日の支援会第7回

総会の準備をしました。5月26日(日)の午後に札幌の北光教会で支援会の出前集会を行うことになりま

した。北光教会のメンバーの支援会会員の方が中心になって、北海教区でのはじめての出前集会を企画し

て下さいました。その日は、私と支援会世話人代表のS先生の二人で伺うことにしています。