なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(197)

            船越通信癸隠坑掘 。横娃隠鞠2月8日    

・2月1日の日曜礼拝の時、私はまだイスラム国に人質になっていた後藤さんが処刑されたことを知りま

せんでした。礼拝後の懇談で、その日礼拝に出席していた人から、その日の早朝に後藤さんが殺された動

画がインターネットに公開されたことを知りました。人質の殺害ということ自身は、どの国でもどのグル

ープで行ったとしても、絶対に許してはならないと、私も思っています。けれども、後藤さんがイスラム

国の人質になり、イスラム国の日本国に対する身代金要求の動画がインターネットに公開されて以来、キ

リスト教界では「人質解放の祈り」が、各地の団体で、また教会で、そしてキリスト者一人一人でも捧ら

えてきました。私は、祈りを捧げることはいいとしても、どのような祈りがささげられているのか、いさ

さか気になっていました。何かの機会に私の意見を公表しなとければ思っていた矢先に、クリスチャン新

聞(2月8日号)に<「人質解放の祈り」とは?>と題した、寄稿文が掲載されているのを知り、その寄稿

文を読ませてもらいました。・・・・・この方の考えられたことと、私が思っていたことが殆ど同じです

ので、ここにKさんの寄稿文の要約を記しておきたいと思います。

・「人質解放のための祈り」の要請メールの転送を受けて、Kさんは「私も祈りの末席に連なりますと

返信しました」と書き、続けてこのように記しています。「人質たちの生還は多くの日本人の人情です。

しかし、私たちの『祈り』が国家イデオロギーによるプロパガンダ(政治宣伝)に取り込まれるなら、大

きな罪を犯すことになります」と。私もこのことに危惧を感じた一人です。その後Kさんは、「ここで

政治に関わる祈りについて考えてみましょう」と言い、「祈りは人情の言葉ではなく、神の言葉に根ざし

歴史認識を必要とします」と言っています。そして祈りの最悪の例として、「原爆を搭載して広島へ飛

び立とうとする米軍爆撃機の乗組員の安全と任務の完遂を祈った『エノラゲイの祈り』。戦時中、日本の

教会が英米打倒を謳った「戦勝祈願」の祈り。礼拝の中で戦地に送られる青年に『無事の帰還』を願って

捧げられた『出陣の祝祷』」を挙げて、「これらはすべて、祈る人の意識がどうであれ、一定の国家イデ

オロギーに基礎づけられた『祈り』であると言えます」と断言しています。さらに「世界は『イスラム国』

のテロを非難します。わたしもテロを憎みます。けれども一般的に言って『イスラム国』への非難に共通

してかけている視点があります」と言って、「国家テロ」について指摘しています。「去年8月、イスラ

エル(シオニスト国家)がパレスチナの500人の子どもたちを虐殺しました。この国家テロを非難しない

諸帝国は、イスラム国のテロには容赦ない非難を浴びせます。/世界中からムジャヒディン(イスラム

『聖戦士』)として「イスラム国」へ集まる若者たちは、この国際的に『合法化された』国家テロを黙認

する不正義に対して抗議の叫びを上げています。今回の人質事件は安倍政権の愚政および欧米の植民地政

策と深く関係しているのです。イスラム国が欧米人や日本人を人質にして身代金を要求したり処刑したり

する動画を世界に公開して、欧米諸国や日本をイスラム国との戦いに参加するように誘っているかに見え

ます。イスラム国のこの挑発を逆手に取って、『人質解放』を名目に自衛隊武力行使も辞さないという、

日本国憲法を踏みこえる極めて危険な冒険主義の道を進んでいます」と、Kさんは危惧を表明し、以下

のように結んでいます。「イザヤは私たち(教会)に『夜回りよ、今は夜の何どきですか』と、神の言葉

によって研ぎ澄まされた時代認識を求めています。『人質解放の祈り』は、現代の諸帝国が行っている国

家テロに対して、私たちがいかに向き合うべきであるかという宣教(ミッション)の課題を、祈る私たち

に差し出しているのではないでしょうか」と。

・少し長くなりましたが、K一さんの指摘は大変重要な問いを含んでいますので、ここに掲載させて

いただきました。

・さて、2月1日日曜日の夜に、O牧師の送別会が地下鉄蒔田駅上の中華店で行われました。O牧師は4月か

宮古島の伝道所の牧師として転任することになっています。少し早いのですが、今回送別会の運びに

なりました。まとめ役は、川崎戸手教会のS牧師がしてくださり、約40名の人が集まりました。最初参

加者からの一言ずつの自己紹介と挨拶があり、その後溝の口教会信徒で常置委員のTさん、船越教会の

K・Cさん、六ッ川教会牧師のIさんからお別れの言葉があり、宴会になりました。この中華店は、毎月

月初めの火曜日に開催されている常置委員会が終わった後に、有志で集まり食事をする所で、40人も入

れるのかと思っていましたが、そう窮屈でもなく、余裕があるとは言えませんが、40人がきちっと入る

ことができました。O牧師は戸塚教会の牧師であった母親から引き継いで、ずっと戸塚教会の牧師を続

けてきました。横浜地区、神奈川教区でもさまざまな働きを担われてこられた方です。7,8年前に、

当時高座渋谷教会牧師であったK・R牧師が、沖縄の那覇中央教会に転任し、今はよきサマリア人伝道所

の牧師をしています。このお二人は私より少し年下になりますが、教団にあっては70年以来の問題提起

を共有しながら牧師としての働きを続けているという点で、同志のような気持ちでいますが、今回のO牧

師の転任で、二人とも沖縄教区に行くことになります。今までのようにいろいろな教区の集まりで時会

う機会がなくなりますが、沖縄教区と神奈川教区の違いがあっても、これからも課題を共有してやって

いきたいと思います。

・3日(火)は常置委員会に出席し、5日(木)には新越谷の病院に人を見舞い、夜には寿地区の地域の人

や様々な運動や働きに関わる人、また行政関係の人などによる寿大賀詞交歓会があり、私も出席しました。