船越通信癸横横魁 。横娃隠鞠8月9日
・この日の礼拝は2回目の試行になりますが、講壇を使わずに、礼拝堂に長方形に椅子を並べて、回る
く囲んでお互いの顔が見えるようにして礼拝を行いました。それは説教の後で、説教についての「分か
ち合い」の時を持つためです。この日は平和聖日でしたので、テキストも何時ものエレミヤとガラテヤ
とは違って、平和聖日の聖書日課の箇所から、ロマの信徒への手紙12章9-21節によって、テキストの訳
は新共同訳よりも本田哲郎さんの訳によって説教をしました。そして平和聖日ということもあって、現
在安倍政権が進めている集団的自衛権の行使による戦争のできる国造りに対して、現在私たちがどのよ
うに平和を求めていくのかについて、少し突っ込んで話をしました。
・<・・・21節には、<悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい>(新共同訳)とあります。お
そらくこの言葉がこの箇所の総括になるのではないかと思われます。しかし、新共同訳では大変抽象的で
す。悪とは何か、善とはなにか。解釈次第ではいろいろに解釈できるからです。ところが、本田訳では、
「悪」を「不当な仕打ち」と訳し、「善」を「親身に関わること」と訳しています。<不当な仕打ちに打
ち負かされるままでいるのではなく、親身に関わることによって、不当な仕打ちに打ち勝ちなさい>と。
<小さくされた仲間とあゆみをともにする>ということは、この世の現実においては常に<不当な仕打ち
に打ち負かされるままでいるのではなく、親身に関わることによって、不当な仕打ちに打ち勝つ>ことで
はないでしょうか。
・・・・・・中略・・・・今日は平和聖日ですので、「小さくされた仲間とあゆみをともにする」礼拝者
として、「平和を創り出す」とは、どういうことなのかについて考えてみたいと思います。私は聖書、特
にイエスの生き様からすれば、軍事力によらない平和の構築が求められていると思います。その意味では
国家は、憲法第9条にもとづく外交努力にかけるべきだと思っています。そういう私の考えに対して、キリ
スト者の中にも、安全保障の問題を突き付けてきて、あなたの考えは絶対平和主義だが、現実の国民国家
によって分断しているこの世界の状況からすれば、それは机上の空論だ。米軍と自衛隊の存在は抑止力に
なっているではないかというのです。それに対して、心の中では思うところがありましたが、昨日の教区
の秘密保護法反対特別委員会の講演会に行って、講師とのやり取りをして、はっきりと確信できるように
なりました。それは国家を前提にしない考え方で、国民国家による分断という現在の世界の現実からすれ
ば、憲法第9条を貫き日本の国が軍隊を持たない場合、日本が他国に侵略されるかも知れないが、もしそう
なっても、かつての植民地支配下のアフリカの国々の人々の場合のように、また沖縄の人々のように、
「小さくされた仲間とあゆみを共にする」ことによる希望があるということです。講師は、現在の戦争
法案反対の運動を担う人々の中に、そこまで考えている人がどこまでいるかを問題にしていました。イ
エスに倣ってこの時代を生きる者は、そこまで考えながら、「小さくされた仲間とあゆみをともにする」
礼拝者として、今この時代を生き抜いていきたいと思うものです>。
・説教の分かち合いでは、上記の部分について一人の方から感想の発言がありました。その方の発言を私
なりにまとめてみますと、こうなります。「私たちが生活のためにより良い給料を求めて仕事を選んでい
くことは、私たちの中にはそういう誘惑が常にあって、その誘惑に自分を売ることも少なくないのだが、
そういう私たちの生き方は結果的に国家を前提にしているのではないだろうか」と。私は彼の発言を聞い
て、このように答えました。「私の3人の子どもたちは今何とか生活していますが、サービス業の末端の
働き手であり、社会構造的には私などよりはるかに犯罪的ではないと思っている。かつて私の息子が、牧
師をしている私に向かて、「お父さんは、説教なんか垂れて、善良な市民から献金という形でお金を巻き
上げているんだ」という趣旨のことを言ったことがある。以前私が牧師をしていた二つの教会は、確かに
社会的には中流の上に属するメンバーが多く、そういう教会員の献金によって私が生活してきたというこ
とは、息子が私に対して言った悪態は本質を突いているところがあると思っていると。もう一人の方から
は、説教テキストのローマの信徒への手紙にも、「あなたを迫害する者のためにも祈りなさい。祝福を祈
るのであって、呪ってはなりません」という言葉があるのだから、澤地久枝さんの呼びかけである<アベ
政治を許さない!! 7月18日(土)午後1時きっかり、 同じポスターを全国一斉にかかげよう>に応
えて教会の看板と崖の網に掲げました「アベ政治を許さない」に対する疑問の発言がありました。それに
ついては特に私の方からはコメントしませんでした。分かち合いの時間は最初10分から15分程度と考えて
いましたが、約30分くらいになってしまいました。説教と分かち合いの後、聖餐式、献金、頌栄をもって
礼拝を終えました。
・8月6日(木)には私の支援会の集まりが二つ、なか伝道所をお借りしてありました。一つは、「聖餐・
戒規免職・対話~日本基督教団への問いかけ」という冊子の編集委員会です。午後2時半から約2時間行い
ました。個人からの原稿の寄稿も順調で、内容的にはほぼ冊子ができるところまで来ています。夜には世
話人会・事務局会を行い、「宣言」賛同者の現況(約1350名)の報告と完成した場合の冊子の用い方、
10・31集会のこと、裁判記録発行のことを話し合い、9月半ばに通信第14号を発行することにしました。
8月8日(土)は午後2時から紅葉坂教会で平和集会があり、講師の金井創さんから辺野古の話を聞き、
デモをしました。