なんちゃって牧師の日記

説教要旨と牧師という職業で日々感じることを日記にしてみました。

船越通信(228)

           船越通信癸横横検 。横娃隠鞠9月20日    

・13日の日曜日は礼拝後「辺野古のたたかい」(2014年10-12月)のDVD鑑賞会がありました。この日は同じ

時間に、「横須賀に原子力空母永久母港化に反対する大集会」がヴェルニー公園でありましたので、礼拝出席

者の中にはそちらの集会に行く人もありました。この「辺野古のたたかい」のDVDには2014年11月4日に沖縄で

開かれた一万人集会での菅原文太さんの発言が入っています。菅原文太さんはこの集会での発言後しばらくし

てお亡くなりになりました。そういう意味ではこの集会での菅原文太さんの発言は、彼の遺言と言ってもよい

でしょう。その発言の中で菅原文太さんは「政治の役割は二つある」と言って、「一つは、国民を飢えさせな

いこと。安全な食べ物を食べさせるようにすること。もう一つは、これが最も大事です、絶対に戦争をしない

こと。・・・・・」と言われました。この「辺野古のたたかい」のDVD鑑賞会のあった翌日の14日からは、辺

野古では工事の再開が始まりました。シュワブゲート前で抗議する7~80人に対して、倍近い150人の機動

隊を配置して、あくまでも政府側は力で排除して、工事を推し進めようとしています。これはかつて米軍がブ

ルトーザーと銃剣で沖縄の人たちの土地を奪い、基地を作ったことと全く同じ構造ではないでしょうか。「戦

争法案」の参議院における強行採決と言い、安倍政権の強権的なあり方に否を突き付け続けていくことでしょ

う。

・それにしても、他の人の意見に全く聞く耳を持たない、安倍政権の多数による強権的な姿勢は、現在の日本

基督教団の執行部にも共通するものでもあり、これは何なのだろうかと考えずにはおれません。人はこれが真

実だと自分では思ったとしても、他の人が思っている真実にも耳を傾けて、よりよい真実をお互いに求めてい

くところで共通の基盤を得ているのではないでしょうか。自分の考えていることが絶対だとなれば、よりよい

ものを求めてお互いが連帯するということはあり得ません。他者は自分のいう事を従順に聞く存在でしかなく

なります。やはり私たちが自分だけではなく、多くの他者と共に生きていく限り、それぞれの個の自立と他者

との共生をどのように紡ぎ出していくかが問われているように思われます。個の抑圧にならない共生の在り様

とはどういうものなのでしょうか。東京新聞高橋源一郎さんが、組織に縛られないような組織の在り様とし

て、かつてのべ兵連を例に挙げていました。必要に応じて集まって、必要がなくなったら解散する。自己目的

的な組織は作らないということでしょうか。

・個の自由を前提にした連帯の在り方は、この社会で生きる私たち一人ひとりの重要な課題であることは確か

です。教会もある意味では一つの組織ですから、個の抑圧にならない組織の在り方を模索していかなければな

らないと思います。それにしても、安倍政権にしても、教団執行部にしても、多数の横暴に対しては、非暴力

抵抗を忍耐強く貫いていく以外にはないのかもしれません。「戦争法案」が可決しても、それに反対し続ける

こと、辺野古新基地建設反対運動に連なり続けること。それによって強権的な在り方に否を突き続けることで

しょうか。

・13日の日曜日DVD鑑賞会が終わった後、Iさんと横須賀で市民運動をしている二人の方と午後4時近くまで、

いろいろな話をしました。特に目的があっての話し合いの場ではありませんでしたが、お互いに言いたいこと

を言い、聞き合うという自然な時間を過ごせました。こういう時間も必要ではないかと思わされました。

・14日(月)と15日(火)の二日は、支援会で通信第14号の印刷発送作業を船越教会で予定していました

ので、13日の日曜日は連れ合いも船越教会に泊まり、14日の作業準備を一緒にしました。11日の金曜日

夜に通信第14号の編集レイアウトが完成していましたし、印刷の方は時間のあるときにしましたので、日曜日

の午後は二つ折り4枚の通信の組み合わせが主な作業でした。14日(月)には、通信第14号、10・31集会案内

チラシ、第3期宣言賛同者のお願い、署名用紙を封筒に入れて封をし、宛先ラベルとメール便ラベルを貼って

完成です。14日は私たちの他に3名の方が作業に来てくださり、支援会関係約1,000に、今回は東京教区、

西東京教区、神奈川教区、関東教区埼玉地区の諸教会伝道所約500に発送しました。10・31集会の呼びかけ

の中には下記の一文も入れました。

・<最近教団常議員会は、「戦後70年にあたって平和を求める祈り」を作り、諸教会伝道所に送ってきました。

その中にこういう一節があります。「また、国政に責任を負う者の中に、多くの重荷を負わせられている沖縄

の人々のうめきや痛みをかえりみず、言論を封じようとする発言があることに心が痛むと共に、為政者のおご

りを感じます。異なる意見に耳をかさず、懲らしめなければならないとうそぶいている権力の担い手たちが、

異なる意見を真摯に聞く心を与えられるように祈ります」。

 これを読んで、もしこの祈りを教団執行部の方々が、為政者だけにではなく自らをも含めて真摯に祈るなら

ば、教団における沖縄教区や北村牧師の切り捨ては起こらなかったのではないでしょうか。現在の教団執行部

の問題性は、この「戦後70年にあたっての平和の祈り」を、自らを問わずに平然と出せるところによく表れて

いると思われます。>

・私は若い時から「他者批判=自己批判」ということを強く意識しながらやってきました。そういう意味で、

自分の言葉には責任を持たなければならないという鉄則を堅持してきているつもりです。自分を問わずに、他

者だけを問うなどということは論外だと思っています。しかし、特に教会の世界では、自分を棚上げして他者

に言葉が向けられることが多いように思っています。

・17日(木)には夜蒔田教会で行われる沖縄交流委員会に、沖縄交流委員会と基地・自衛隊問題小委員会の

共催で、沖縄の高里鈴代さんと岩国の大川清さんを講師にした集会を10月3日に予定していますので、両委員会

の費用と役割分担の打ち合わせに、基地・自衛隊問題小委員会からSさんとIさんの3人で伺いました。この日は

久保山の一休庵で家族だけの葬儀式を司式し、一度鶴巻に帰ってから、蒔田教会に来ましたので、2度横浜を

往復したことになりました。